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2019年5月3日金曜日

リバ剣 息子と稽古⑤「機をとらえる」「初太刀とは」

「石火の機」に挑む


正しい基本の稽古は一生するもの


 前回の投稿までに、足さばき、腰の遣い方、構え、一つ拍子の打ちを、息子と共に稽古し直してきたことを書きました。2010(平成22)年のことです。息子は当時小4。

 ここまでできても、安心はできません。一週間たてば足さばきが崩れる。すると、腰の遣い方が変わってしまう。それが、構えに表れる。体重移動の仕方が変わるので、一つ拍子の打ちができなくなる。
 これは、大人でも同じこと。自分で自分の基本を正しく修正することができるまでは、誰もが通らなければならない"難所"です。
 なぜ、"難所"なのか。自分で自分の基本を修正できるようにならないうちに、剣道から放れてしまう子供も多いからです。剣道の面白さが、全く解らないうちに辞めてしまうということです。
 ですから、なるべく早くこの“難所”をクリアさせてあげたいんですよね。そのためには、ある程度の厳しさは必要になってくる。それに耐えて、正しい基本を自分で稽古できるようになれば、「稽古の仕方」が解り始めるんじゃないでしょうか。
 やらされ感覚ではなく、本人が「稽古の仕方」を身に付ける。一生上達し続けるために、必要なことなんではないでしょうか。

「起こり」をとらえる


 正しい身体運用ができて、一つ拍子で打てるようになれば、「機をとらえる」ことができるようになります。
 息子は当時小学4年生。小さい子供にそんなことを教えるのはまだ早い、という人がいますが、「機をとらえる」のができないのは大人の方です。子供は素直ですから、正しく教えればすぐにできます。

 ご存じのように、機をとらえるところは三つ。居ついたところ、技の起こり、技の尽きたところ、ですね。
 まずは、技のおこり「出ばな」を息子に伝えました。
 教え方はいろいろあると思います。その子供に合った、理解できる教え方をすればいいと思います。息子には何パターンかの説明をしてすぐに理解できました。やや大げさに「起こり」を作ってやると、そこをとらえて“出ばな面”を打てるようになった。

「相面」自分を捨ててガチンコ勝負


 次は、相面を制することができるようにしました。
 相手が打ちかかってくるときに、恐怖心を捨てて正しい姿勢と動作で「打ち切る」ことができるように稽古した。もちろん、言葉ではなく稽古の中で子供自身が気づくまで何度も繰り返しました。

「初太刀」をとるということ、初太刀は「面」以外ありえない


 最近は、稽古が始まって、元立ちの先生に対していきなり小手を打って、「͡コテ、コテ、コテ」なんて言っている人が結構いますよね。昔だったらそんなことをしたら、ぶっ飛ばされて、帰らされましたよ。笑

 今の人たちは、初太刀で「面」以外を打つことが失礼なことだと分からない人が多いんですね。これも、「剣道のスポーツ化」が一因になっていると思います。残念なことですけどね。

 なぜ、「初太刀」を取りにいくのか。なぜ、初太刀は「面」なのか。
 このことは、回を改めて詳しく記述したいと思いますが、私が子供の頃に教えられたここを簡単にいうと、こういうことになります。

 真剣(日本刀)を執っての斬り合いで、最も理想的な勝ち方は、最初の一撃で相手を倒すということです。それに失敗すれば、次は自分が斬られるかもしれない。だから、「初太刀」に命を懸けるのです。
 命を懸けるというと大げさに聞こえるかもしれませんが、武士が抜刀するということは、その時点でもう後には引けない、すべてを捨てたという覚悟があるわけです。ですから、「初太刀」はまさに“命がけ”となるわけです。

 では、なぜ「面」なのか。これは、一撃で倒すためには、必殺技でなければならないということです。
 宮本武蔵は弟子たちに、「真剣勝負になったら、眉八文字を斬らなければ絶対に勝つことはできない」と常日頃から伝えていたそうです。「眉八文字」とは眉間(みけん)のこと。まさに「面」です。武蔵の養子である宮本伊織はのちに、武蔵は数十回の試合で眉八文字を外すことはなかった、と証言しています。
 剣道で一撃必殺の技は「面」なのです。他のどの部位を斬っても、相手は死に物狂いで反撃可能です。ですから、この「面」を稽古することが重要なのです。
 剣道の基本の打突は「面」から教わります。素振りも「面」、切り返しも「面」ですね。
 
 ゆえに、稽古で元立ちの先生にかかっていくとき、「初太刀」を必ずとるという気迫が必要です。昔は、初太刀をとりにこなかった子供は、稽古してもらえませんでした。ですから、何が何でも初太刀の「面」を取りにいくという気概がありました。

 ではなぜ、初太刀で「小手」や「胴」を打ったら元立ちの先生に失礼なのか。
 「スポーツ化した剣道」であれば、小手や胴も打突部位なんだから打ってもいいじゃないか、ということになっちゃうんでしょうね。
 試合であれば、いいですよ。どこを打ったって。勝負ですからね。
 でも、元立ちにかかるのは稽古です。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」わけです。ですから「初太刀」は一撃必殺の「面」なのです。

 ちなみに古来、小手、胴、突き、というのは、面打ちの稽古の際、師が弟子に対し指導のために打った場所といわれています。

  • 「小手」を打って、攻めに対して手元が上がったことを教える。
  • 「胴」を打って、脇があまくなったことを教える。
  • 「突き」を打って、中心が取れていないことを教える。

 それを、稽古の最初に、元立ちの先生に対してかかり手やったら、失礼だということです。

 稽古の最初、「初太刀」の「面」を何が何でもとりにいく。返されり、応じられると分かっていても渾身の「面」を打つわけです。
 その「初太刀」で、稽古の“質”が決まると言ってもいいんじゃないでしょうか。わずか5分程度の地稽古が本当に充実したものになるかどうか。
 そして、最後も渾身の「面」で締めくくるのです。稽古をつけて頂いた最後に、「初太刀」よりも上達した「面」を打つ、“捨てて打つ”ことが、礼儀なんではないでしょうか。

 小4だった息子が、どこまで理解したか分かりませんけどね。でも、先生方に対して失礼な剣道だけはしてほしくなかったので、伝えるべきところは伝えたつもりです。

剣道の面白さを知る


 ここまでのことができれば、「剣道は面白い」と思い始めるのではないかと思います。ですから、ある程度の厳しさがなければならないんじゃないでしょうか。甘やかして楽しいだけでは身に付かないことはありますからね。
 結果的には、息子に一番厳しく稽古することになってしまった。それでも毎回、稽古の最初は私のところに一番に並んで来た。
 うれしかったですね。息子とこんなふうに剣尖で会話ができるようになるなんて思ってもみませんでしたから。

 便宜上、“教える”という言葉は使ってますけど、剣道は“教える”ことはできないと思っています。教えて全部できるようになるんだったら、誰も苦労はしませんからね。心を開いて、厳しい稽古を通して、自分が“学ぶ”しかない。
 大人はその稽古の仕方を“示す”ことしかできないんじゃないでしょうか。

後は指導の先生にお任せしました


 この時点で、子供に身に付けて欲しかったことは、大体伝えられたと思います。
 最低限の稽古の仕方を身に付けて、あとは心を開いて精一杯稽古するだけ。
 中学生ぐらいになって、真剣に試合に勝ちたいと思うようになれば、また伝えることがあるんじゃないかと。

 私は私で、自分の稽古に集中して、息子にその後ろ姿を見せるだけです。

 とりあえずは、“剣道大好き”になってくれてたみたいで、安心しました。
 

 ある朝のこと。
 その日は道場の稽古のある日。
 息子は起きてくるなり、こう言いました。

 「やったぁーっ!今日は剣道だぁー!!」

 昔の私と同じです。笑


2019年5月1日水曜日

リバ剣 息子と稽古④ 一つ拍子で打つ

正しい「一足一刀」で打つ


一足一刀の間合い


 2010(平成22)年8月。当時小学4年の息子と初めて稽古した時のこと。
 「一足一刀の間合いから打ってみて」と息子に言ったら、「届かないよ」って言われました。しかも、偉そうに。笑

 言うまでもなく、「一足踏み込めば打突部位をとらえることができる間合い」ですね。
 具体的な距離は規定されていませんが、互いの切っ先が5cmほど交差する間合いと言われています。
 剣道をやっている人ならこの距離感は体に染みついていると思います。
 
 では、この「一足一刀の間合い」から“一足一刀”で打てる人はどれくらいいるでしょうか。

 実際問題として、「一足一刀の間合い」からでは届かない人が多いのではないでしょうか。
 基本稽古で、「一足一刀で打て!」と言われて、もう一歩前へ出てから打っている人、よく見かけます。その場合の間合いを“打ち間”と称している方もいますが、いずれにせよ「一足一刀の間合い」ではありません。
 または、届かないので左足を右足の前に出して、つまり二足一刀で打っている人も多いですよね。
 私が子供の頃は、こういったことをしていたら、怒られたなんてもんじゃない。大変なことになりましたよ。笑

 現在は指導者によっては「一足一刀の間合いでは届かないから一歩入って打て」と言っている方もいます。ご自分が一足一刀で打てないんですね。

 「一足一刀の間合い」は“一足一刀”で打てるから「一足一刀の間合い」なんです。
 それが届かないのであれば、“一足一刀”で打つための基本、身体運用が崩れているということになります。

 息子の場合は、前回の投稿で記述した「一足一刀で打つための3つのポイント」を実践しただけで、すぐに打てるようになりました。本人が「絶対届かない」と思っていたものが、届くようになる。届くだけでなく“正しく”打てるようになったのです。
 
 何も特別なことをしたわけではありません。基本に忠実に打突しただけです。

 私自身も、「一足一刀の間合いから一足一刀で打つ」という基本稽古をすることによって、正しい基本ができているかどうかのバロメーターにしています。

 「届かないよ」なんて自信たっぷりに宣言してた息子ですけどね、基本通りに正しく打って届くようになった後の顔は、やっぱり輝いてましたね。

「二つ拍子」で打っている


 前回の投稿で、記述が途中になってしまいました息子の拍子のとり方。
 「二つ拍子」になっている。
 大きく打ったら「二つ拍子」で、小さく速く打ったら「一つ拍子」というわけではありません。(その違いは、前回の投稿をご覧ください)

 「一つ拍子」の打ちをやって見せるんですが、できない。道場の子供たちで「一つ拍子」で打っている子の打ち方を見せても、自分との違いが分からないんですね。「ボクだって、ちゃんとできてるじゃん」ってなっちゃう。

 「二つ拍子」で打つ人の特徴は、構えた時に右足に体重をかけて立っているんです。たいていの人の利き足が“右”ですからね。その方が楽なんですね。
 しかし、打つためには、右足にほとんどの体重がかかっている状態からでは、打てません。一度、左足に体重を移してから、右足を上げて前方へ踏み出すことになります。
 この「左足に体重を移したとき」に拍子を一回とっているんですね。すべての動作がほんの一瞬ですが止まります。
 そのほとんどの人が、左足を動かす。体重を乗せやすい位置まで左足を継ぐんですね。

 立合う相手から見れば、ここが機になるわけです。打つ前の左足を継ぐという動作が、「起こり」となってはっきり表れる。余談ですが、息子は後に、この相手の「起こり」をとらえられるようになって、試合に勝てるようになっていきました。

「一つ拍子」の打ち


 「一つ拍子」で打つために大事なことは、常に敵(相手)を想定することです。
 「一つ拍子」で打てるということは、理合(りあい)を体現するための前提条件です。「二つ拍子」でしか打てない人は、理合の体現は難しいのではないでしょうか。理合の体現は独りよがりではできません。お相手が自分を斬ろうとしている、斬りかかってくる、あるいは斬りかかってきた、という状態が必要ですね。
 たとえ打ち込み台が相手でも、基本稽古の時も、相手を想定してこれらの機をとらえようとする心持が必要です。そうでないと絶妙な体重移動が伴いませんからね。

 そしてもう一つ大事なことは、前述した体重移動。
 右足に全体重がかかっていては、機をとらえられませんから、左右の足に均等にかける。打つ時は左足は継がず、構えた状態から右足を前方に出す。大きく振りかぶっても小さく振りかぶらずに打っても同じです。

 防具を着けずに一人で打つと、「一つ拍子」で打てる人も、防具を着けて相手と向かい合うと左足を継いでしまう人、多いんですよね。

 息子にはなかなか理解してもらえませんでした。自宅で、簡単な打ち込み台まで作って稽古しましたが、どうしてもできない。左足を継いでしまう、体重移動の仕方を直せないんですね。当時、小4ですからね、まだできなくてもいいんですけど、できている子供もいますから。親が剣道をやっているのに、そのままではかわいそうだと思いましてね。

 そのころ、私が好きで観ていたのが『座頭市』のDVD。北野武監督のやつ。

 「そうだ、これを見せてみよう」

 名刀を手に入れた悪徳商人が、自分の使用人に試し斬りを命ずるシーン。
 たまたま通りがかった目の不自由な座頭市は恰好の餌食と思われた。名刀を抜いて上段に構える使用人。息を殺してそのまま座頭市の左側に回った。座頭市は気配、呼吸、わずかな物音から相手を正確にとらえている。座頭市の“仕込み杖”の柄に右手がかかった。
 使用人が息を継いで名刀を一気に振り下ろそうとする刹那、その「起こり」をとらえた座頭市が抜き打ちで名刀の柄を両断した。柄を斬ったのは相手が素人とみてのこと。

 息子は真剣に画面に見入っていました。

 「座頭市は刀が鞘(さや)に収まった状態から“一つ拍子”で斬っている。これは抜刀術というんだ。お前は鞘から抜いて、構えた状態から打つんだから、“一つ拍子”ができないわけがないよ。やってごらん」

 おもむろに竹刀をとって打ち込み台に向かった息子。

 スパァーン!

 「一つ拍子」の打ちができるようになった瞬間でした。


2019年4月30日火曜日

リバ剣 息子と稽古③ 一足一刀

「一足一刀」で打つために


さかのぼってやり直す


 前回の投稿で、2010(平成22)年8月当時の息子の剣道の現状について書きました。
 小1から剣道を始めた息子は当時小4。正しい剣道を伝えるためには、“正しくない”ところまでさかのぼってやり直すしかありません。息子との稽古はそこから始めました。

 まずは、「提げ刀」の姿勢から。次に、立礼の仕方。帯刀とは何か。そして蹲踞の仕方。初心者に教えることを一つ一つやり直す。私の真剣さに気づいたのか、息子も真剣にやってました。普段は友達みたいな“お父さん”も「剣道」となると別人だと思ったでしょうね。
 まあ、このへんまではすぐに矯正可能ですよね。息子も難なくできるようになった。問題は次、足さばき。

「一足一刀」で打てる“足さばき”


 剣道の入門書や稽古法の解説書など、“足さばき”についてはそれぞれの方法が書かれています。
 剣道の足さばきは“すり足”です。そこから、“送り足”と“歩み足”に大別されます。どちらも剣道に必要な足さばきです。
 私が子供の頃(昭和40年代)は、二足一刀など歩み足での刀法も習いましたが、最近は古流の道場にでも行かない限り、歩み足での刀法を習うことはなくなってしまいました。
 ですから、現在出版されている剣道の入門書などからは、歩み足に関する記述はほぼ、なくなってしまっています。(歩み足の刀法については、こちら
 
 そういった経緯は別にして、現代の剣道の入門書などには、最も大事な送り足の「目的」が書かれていない。なぜ、そういう“足さばき”をしなければならないのか。

 “送り足”を身に付ける目的は、攻め込みそして「一足一刀」で打つために、です。
 
 息子の場合、「一足一刀」で打つという目的のために、足さばきで直さなければならない点は三つ。

  1.  一つは撞木足(しゅもくあし)。構えた時に、左足のつま先が大きく外側を向いていました。「かかとを外側に持っていくような気持で」と指導したら、すぐに直りました。でも、しばらくすれば元に戻ります。これは、腰の遣い方がなってないから。
  2.  二つ目はその腰の遣い方。腰を左に開いて構えている。いわゆる「腰が入っていない」という状態。右足前、左足後ろにして立てば、腰は自然にやや左に開きます。これを「腰が入っている」状態にするためには、背骨を軸にして骨盤をわずかに右に回転させた状態で止める。すると腰の“開き”が矯正され身体を相手に正対させることができます。「腰を入れた」ことによって、撞木足に戻らなくなりました。
  3.  三つ目は、いざ打つとなると左足を継いでから右足を踏み出して打っているということ。ひどい時は、右足を追い越して左足を一旦前に出してから、右足を踏み出している。「二足一刀」になっちゃってるんです。構えた状態から左足を継がずに、そのまま右足を前に出して打つ。できない人にとっては簡単なことではないんですね、これが。息子は、この癖が完全に直るまでに、数年かかりました。

 この三つの点は、大人でもできていない人が多いですね。安易な稽古をしていると陥りやすいところです。私も肝に銘じています。 

「一足一刀」で打てる“構え”


 「そんな構えで打てるのか」

 息子と初めて剣を交えた時に、私が言った言葉です。
 “構え”は構えるためのものではなく、打つ(斬る)ためのものです。ここでも目的をはっきりさせなければなりません。

 “正しい構え”が形(かたち)だけのものであっては、意味がありません。身体の運用が正しくできている結果として、正しく構えられているのでなければなりません。
 一見、正しく構えているようでも、いざ打ってみると腰が開いてしまうっていう人よく見ますよね。身体の運用法が違っちゃってるんですね。腰の遣い方が違うんです。

 明治維新以前の日本人が「ナンバ歩き」という歩き方(または走り方)をしていたころは特段気にすることはなかったでしょう。(ナンバ歩きについては、こちら
 維新後、西洋化が進み、服装や歩き方も変化した。すると、剣道や、能、狂言、茶道などに見られる日本古来の歩き方をするには、正しい知識が必要になってしまった。
 日本古来の武芸は、当時の日本人が“常の歩き方”としていた「ナンバ歩き」を土台にして出来上がっているといっても過言ではありません。

 私が子供の頃は、こういったことを「腰をいれろ!」という表現で教えられました。腰が開いていれば、竹刀で腰のあたりを思いっきり叩かれる。体で覚えさせられたわけです。

 現在では「腰を入れろ」と言っている指導者はあまり見かけないですよね。ですから、腰が開いている子供を見ても放置しっぱなし。大人たちが、「腰を入れる」とはどういうことなのかわからないのです。たいていそういう場合は、その指導者自身が腰が開いていますよね。

 背骨を軸にして骨盤を右に回転させるようにして左足で蹴り、右足を前へ出す。「腰を入れる」の正体です。
 このような腰の遣い方をすれば、打った後の左足の引付けは自然とできます。引付けようと思わなくても引付けられるのです。そういう身体の運用法なのです。

 このように打てるようになれば、自然と腰の入った正しい構えになります。
 

「一つ拍子」で打つ


 正しい足さばきができ、腰を入れて打つことができるようになれば、「一つ拍子」で打てるようにします。教えなくても最初から「一つ拍子」で打つ子供もいます。息子は完全な「二つ拍子」。しかも、「これの何がいけないんだ」って言ってました。違いがわからないんですね。笑

 構えた状態からいざ打とうとすると、竹刀を振りかぶるのと同時に左足を継ぐ、そこで一度拍子をとりますから、竹刀の動きは頭上で一瞬止まります。次に竹刀を振り下ろしながら、右足を前へ出して打ちます。大きく打った場合の「二つ拍子」です。
 小さく打っても同じ。打つ前に左足が動きます。継いだり、構え直したりするのです。ここで拍子をとってますから、小さく打っても「二つ拍子」になっているのです。

 これは、大人でも直せない人はたくさんいます。「二つ拍子」である自覚がないんですね。
 しかし、子供の場合は必ず直ります。素直ですから自覚がなくても正しく伝えれば、できるようになります。

 私の息子ですか?
 かなりてこずりましたけどね。あることをきっかけに、“開眼”しました。笑
 次回に書きます。


2019年4月28日日曜日

リバ剣 息子と稽古② 「竹刀は刀」「一つ拍子」

大刀を腰に帯びるということ


子供であっても武士


 前回の投稿で、2010(平成22)年8月にリバ剣後初めて息子(当時、小4)と稽古した時、スポーツ化した現代の剣道に失望したことを書きました。私が子供の頃に、古流の裏付けのある剣道を学んだ経験を息子に伝えようと決めた。

 「竹刀は刀です。大刀を腰に帯びるということは、子供であっても一人前の武士ということ。子供扱いは一切しません。それがいやだったら、入会しないでください」

 1972(昭和47)年4月。小学2年生だった私が中山剣友会(現:市川市剣道連盟東部支部)に入会するにあたり、母親と一緒に受けた先生の説明です。(その道場についてはこちら
 帯刀するということ、大刀を扱うということ、それが竹刀であってもその覚悟を最初から求められたのです。

 この時点で現在の教え方とだいぶ違うんじゃないでしょうか。
 当時はそういう厳しさを子供たちに求めた一方で、大人たち、自分たちにもそれ以上の厳しさを課していたと思います。

 現在は、子供たちには厳しく指導しても、自分自身の稽古はあまりしないなんていう指導者がよくいますよね。子供たちを指導することだけが自分の"剣道"になっちゃってる人。そんな人は昔はいませんでした。自分はろくに稽古せずに子供たちを指導するなんてあり得ないことです。子供たちは皆、先生が苛酷な稽古をする後ろ姿を見て、自分たちもその厳しさに挑んでいったのです。

 自分の稽古をしっかりやらない人がどんなに厳しい指導をしても、子供たちはどこまでいっても「やらされ感覚」。自ら厳しさを求めようという心が養われているかどうか疑問ですね。

 そういった意味では、昭和の時代の道場は「子供にも厳しかったが、それ以上に大人が自分自身に対して厳しかった」と言えるんじゃないでしょうか。

まずは大人が自分を律し、厳しい稽古に挑むこと


 息子に剣道を「伝える」上で、まずはそこから始めました。
 できもしない、やりもしない人に誰がついていくでしょうか。そりゃあ、うわべだけは言うことを聞き、ついていくふりはしますよね。でも、それでは意味がない。剣道に限らず、息子に身につけてほしいのは、物事の形(かたち)ではなく本質です。
 
 物事の"本質"を見抜く力を養ってもらいたい。そのためには、「これが大人の稽古だ」という稽古を子供に見せること。もう、ここから息子との"真剣勝負"が始まったと思いました。
 大刀(竹刀)を腰に帯びるということは、他人に求める以上のものを自分に課すこと。わが身を律する修行だと思っています。

立ち姿で習った剣道がわかる


 リバ剣して子供たちと稽古するようになり、元立ちするようになって気づいたことですが、立礼をする前のお互いに向かい合った時の立ち姿で、その子がどんな剣道を習ったかが分かる。
 正しい基本を習っているかどうか。厳しい稽古をしているかどうか。そういうことが“立ち姿”から見て取れるのです。

 息子の立ち姿は、着装はまあきちんとできているが、「提げ刀」の仕方が適当。両足のかかとをつけずに立っている。体が静止していない。そんな状態から、立礼をしようとしている。
 初めて私が元に立ち、当時小学4年生の息子がその列にならび、順番がきて向かい合った時、正しい基本が身に付いていないことは一目瞭然でした。

息子の構え


目に留まったのは、撞木足(しゅもくあし)。
 中段に構えた時の左足のつま先が、大きく外側にむいているのです。

 撞木足であるということは、相手に正対していないということ。腰を開いて構えているわけです。
 こういう構えをしていれば、当然、腰が入らない。自分の正中線で刀を振ることができない。正しい打突の姿勢をとることができない。切っ先も自然に中心からは外れてしまいます。

 余談ですが、撞木足はアキレス腱断裂になりやすいという人もいます。

「一つ拍子」の打ち 


 最近は、1拍子(いちびょうし)という剣道家が多いようですが、私は本来の言い方である「一つ拍子」(ひとつびょうし)と言うことにします。

 初太刀で面を打ってきた息子。「二つ拍子」(ふたつびょうし)になっているんですね。
 これは致命的。まさに戦国時代であれば「二つ拍子」であることによって、相手に機を与え、命を落とすことになりかねない。

 大きく振りかぶって打つか、小さく鋭く打つかで、考えている方もいますがそうではありません。大きく振りかぶっても「一つ拍子」で打てますし、小さく鋭く打っても「二つ拍子」になってしまう人もいます。動作の大きさや、速さではないのです。もちろん、音楽用語としての“リズム”とは違います。

 その時の息子の打ち方は、面を打ってきた時に「いち、に」と打っている。「いち」で竹刀を振り上げ、「に」で振り下ろす。「いち」で振り上げた時に一度拍子をとっているんですね。だから振り下ろす時に「に」になってしまう。大きく振りかぶっても、小さく振りかぶらずに打っても同じこと。「二つ拍子」は「二つ拍子」です。

 「二つ拍子」でしか打てない、ということは、上達の妨げになるのです。
 
 剣道には、相手と自分のかかわりの中で成立する「理合」というものがあります。この理合を体現することは、稽古の重要な要素の一つです。

 「一つ拍子」で打つということは、理合を体現するための“前提”になります。「一つ拍子」で打てるようになってはじめて物毎(ものごと)の拍子がとれるようになる。独りよがりではない、相手と自分の運動世界がつくれるようになるのです。 

 「二つ拍子」で打っている人に、「一つ拍子」で打て、と言っても簡単に理解してもらえるものではありません。本人が「二つ拍子」で打っているという自覚がありませんから。

息子と私の稽古。まあ、こんなところからの出発でした。


2019年4月27日土曜日

リバ剣 息子と稽古① 原点に返る

剣道の伝え方


ウソはつけない


 2010(平成22)年8月。リバ剣して初めて息子と稽古したことを、前回の投稿で書きました。
 当時、小学4年だった息子。剣道を始めて4年目でしたが、基本が全くと言っていいほど身についていませんでした。

 小学生の指導は道場の指導者の先生方がいらっしゃいますので、基本的にはそちらに全てお任せしていました。
 しかし、一般の方の稽古に参加してきて、私のところに稽古をお願いしてきた子供には、正しい剣道を教えようと決めた。

 私にその決心をさせたのは、子供たちの"目"です。(その経緯はこちら

 「子供たちにウソは教えられない。本当のことを教えよう」

 そして、息子の"現状"がその気持ちを後押ししたのです。

古流は剣道の“親”


 私が小学生だった、昭和40年代後半。剣道の道場では大正生まれの先生方が元立ちに立たれていました。(その様子はこちら
 戦前から剣道をされていた方々ですから、当然、古流のいずれかの流派に属している方々です。「剣道家」は「古流」というバックボーンを持っていたのです。

 ご存知の通り、「剣道」とは、明治期に古流の剣術諸流派を統合したものです。「剣道」の源流は古流。いわば剣道の“親”です。
 剣道の“親”である「古流」を学べば、「剣道」が鮮明に浮かび上がってくる。現在の剣道で教えられている動作の一つ一つの“意味”が明確になり、何をどう「稽古」すればよいかを知ることが出来るわけです。

スポーツ化してしまった剣道


 私が30年ぶりに剣道を再開して一番驚いたことは、「剣道がスポーツ化している」ということです。

 スポーツという概念が日本に定着したのは昭和になってから。言うまでもなく、西洋から入ってきたものです。
 一方、剣道の源流である剣術諸流派(古流)の起こりは、平安後期から、鎌倉、戦国、江戸前期にかけて。

 剣道は数百年前に日本で生まれたその剣術諸流派(古流)を起源とする武道です。日本にスポーツという概念が入ってくるはるか前からあるわけです。

 その剣道を、戦後、スポーツの一種目としてそのカテゴリーに組み込んでしまった。
 それは、致し方ないことなのかもしれませんが、剣道の「スポーツ化」がここから始まったのは間違いありません。朱に交われば赤くなる、のことわざ通りです。

 そして、昭和の時代が終わるころ、古流というバックボーンを持った大正生まれの剣道家たちが世を去りました。

真実を伝える責務


 私の年代は、そういった大正期生まれの剣道家に、道場で剣道を習った最後の世代ということになります。
 当時を知る者はそれ故に、現在の剣道とのギャップに憂苦している方も多いのではないでしょうか。

 皆さんも、当時の教え方と現在の教え方が違うということは、これでなんとなく想像できると思います。
 教え方の“違い”があるのは、ある意味当然です。重要なのは、それで「正しい剣道」が伝わっているかどうかなのです。

 現在のスポーツ化した剣道で「正しさ」が伝わっているかどうか。甚だ疑問ですね。残念なことに。
 具体的な例を挙げて、揚げ足取りをするのはやめておきます。意味がありませんから。

 子供たちのあの“素直な目”は、いつも真実と理を求めているような気がしてならないのです。
 
 「もうこれ以上、しらばっくれるわけにはいかない」

 息子とともに、原点に返って稽古すると決めた。

 
 (「剣道のスポーツ化」についてはこちらのコラムをご覧ください)

2019年4月25日木曜日

リバ剣 日常の稽古④ 息子と初めての稽古

息子の変化


私のリバ剣が影響?


 2010(平成22)年1月に私がリバ剣した時には、息子は大変喜んでおりました。

 「息子さんの剣道が、急に変わりましたよ」

 毎回子供の付き添いで稽古の見学をしていたある保護者の方が、教えてくれた。

 それまでの息子の稽古の仕方は、まあ言ってみればチャランポラン。笑
 そんな態度で剣道をやっているのは息子だけ。妻は、それを見ていて恥ずかしかったと言っていました。

 それが、私がリバ剣して道場に通うようになったら、表情が変わり、気合が変わり、打ちが変わり、態度が変わったそうです。
 私は息子に注意したり、教えたりしていないのです。私は子供にとって"怖いお父さん"でもありません。

 その保護者の方曰く、「お父さんの稽古をする姿を見て、何か感じたんですね」

 私の“リバ剣”が、とりあえず息子には“影響”があったらしいです。笑

息子と稽古


 前回の投稿で、二段に昇段して一刀での稽古を解禁し、初めて子供たちと稽古したことについて書きました。2010(平成22)年の8月のことです。

 その中で、息子(当時、小4)との初めての稽古もかないました。その時息子は剣道を始めて4年目。

 私はリバ剣して以来、二刀でしか稽古しておらず、この日、一刀での稽古を解禁して、初めて小学生と稽古することに。
 最初は約束通りFJT君と。(その理由はこちら
 二番目に稽古したのが息子でした。

 お互いに向き合って立礼し、中段に構えて蹲踞の姿勢から立ち上がった。

 「これは、手入れをしていない盆栽と同じだな」

 息子の構えを見るなりそう思った。

 私は休日になると、美術館に行ったりすることがあります。最近は、盆栽展にも行くようになった。特に専門的な知識は何もありません。それらの鑑賞が好きなだけ。
 盆栽も、人間が愛情をもって“手入れ”をしてはじめて「盆栽」なのです。手入れをしなければ、ただの雑木です。

 「今まで申し訳ないことをしてしまった」

 そういう思いに駆られました。

 私が剣道経験者なのにそういうことを見てあげてなかった。
 リバ剣してからも、自分の稽古に夢中で、息子の剣道を見る余裕すらなかった。

 この時点で息子は「正しい基本」が身についていなかったのです。
 
 この日から、息子との"長い稽古"が始まった。この6年後、私が「急性リンパ性白血病」と診断されるまで。


2019年4月24日水曜日

リバ剣 日常の稽古③ 一刀解禁 子供たちと稽古

信念貫き、結果を出す


一刀解禁


 2010(平成22)年1月。浦安の道場でリバ剣直後に、「二刀で何らかの結果を出すまで一刀では稽古しない」と決意。(その経緯はこちら
 
 それは、子供たちとは稽古できないということを意味します。

 「FJT君がお父さんと稽古したいんだって」

 私よりも先にこの道場で剣道を始めていた息子(当時、小3)が私に言ってきた。
 しかし、その時は断るしかなく、FJT君(当時、小5)に、今は子供たちと稽古できないことを直接伝えた。(その様子はこちら

 「いつになったら、お父さんと稽古できるの」

 その後、息子にもこう聞かれてしまった。

 2010(平成22)年8月。二段の昇段審査を二刀で受審すると決め、これに合格すれば一刀での稽古を解禁しようと決めた。(その様子はこちら

 そして、二段合格。(その記事はこちら
 二刀で二段を受審し合格というのは、聞いたことがありませんし、そもそも二段を二刀で受審しようという人はいません。なので、これは「戦後初」なのではないかと、ひそかに思ってます。笑

 これでようやく、あの約束が果たせる。

最初は約束通りFJT君と


 「一緒に稽古できるようになったら、一番最初にやろうね」

 FJT君との約束です。

 二段を取得して、最初の浦安の道場での稽古。
 いつもは、竹刀袋には二刀用の大小を2本ずつ入れていましたが、この日は一刀用の竹刀(3.9 520g)1本も入れてきた。

 小学生の稽古が終わり、一般の稽古が始まる。
 意欲のある子供は、大人の稽古にも参加していいことになっている。
 小学6年になったF君と、4年になった息子の姿もあった。

 本当に最初に稽古してもらえるのか心配だったんでしょうね。FJT君が不安そうな顔をしてた。

 「FJT君、稽古しよう!」

 FJT君に歩み寄って声をかけた。すると、すぐにうなずいてニッコリ。
 待っていてくれたんですね。一緒に稽古してあげられない間、申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、私も胸にジーンときてしまった。

 一人5分ぐらいの地稽古。この日は5人の小学生と一刀で稽古した後、大人と二刀を執って稽古しました。

子供たちのまなざし


 私にとって、子供たちとの稽古は初めてのこと。
 最初に稽古したFJT君は、この道場の小学生の中では一番強い子。よく打たれました。笑
 自分が小学生だった時に、先生方がどう稽古をつけてくださったか、思い出しながらやりました。まだまだ、上手な「元立ち」じゃなかったと思います。子供との稽古の中で、自分自身も上達しなければならないと、改めて思った。

 稽古中、子供たちの、ある共通点に気づいて感動してしまったんです。
 それは、子供たちの“目”。
 とても素直で、きらきらと輝いた、真剣なまなざし。
 そのまなざしで、無心で打ち込んでくる。

 「自分も子供の頃、こういう目をして剣道をやっていたのかもしれない」

 「子供と相対する時も、真剣に稽古しよう。学ばなければならないのは、大人のほうだ」

 打たれたのは“心”でした。
 

2019年4月23日火曜日

市川市剣道連盟東部支部(旧中山剣友会)④ "二刀の聖地"で稽古

私にとっての二刀の"聖地"


"語り部"の高齢化


 特にここが、二刀者が集まる道場だったわけではありません。二刀を執っていた方は、故松崎幹三郎先生ただおひとり。圧倒的だったのはその存在感と、素晴らしい稽古内容。それについては、前回の投稿で少し触れました。

 現在、私が市川市周辺の道場に出稽古に行くと、「キミの二刀は市川東部の松崎先生に習ったのか」と、年配の先生方から声をかけられることがあります。続けて松崎先生との立会の思い出を、目をキラキラ輝かせながら話してくださる。

 「こんなにたくさんの方々の記憶に鮮明に残っているんだな」

 そういうお話をして下さるのは皆さん一刀者。そのお話で共通することは、松崎先生の二刀に「理」を感じた、ということ。大変貴重な内容です。
 
 現在(平成31年)、もし故松崎幹三郎先生がご存命ならば100歳前後。松崎先生と剣を交えた方々もご高齢になりつつあります。そういう方々に、今の私が稽古を頂き当時のお話を聞かせて頂けることはこの上ない喜びです。
 市川東部のUEKS先生はその中では最年少の60代後半。しかも、最も数多く松崎先生と立合されたお方。(UEKS先生については前回の投稿をご覧ください)

 小学生の頃に、その立会いの多くを目撃している私が、この日、UEKS先生と34年ぶりに再会し、二刀を執って稽古させて頂くことができた。

“聖地”で稽古開始


 前回の投稿からの続き。2010(平成22)年晩夏、とある日曜日。
 34年ぶりに出身道場へ稽古に来て、当時の小学生たちの憧れのUEKS先生と再会した。

 私の中では永遠の青年だったUEKS先生が還暦を過ぎたという。
 こんなにも長く剣道から遠ざかってしまっていたことを後悔しましたね。この道場に何一つ恩返しできていない。申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

 二刀を執って剣道を再開したと伝えると、話はすぐに松崎先生の思い出話に。貴重なお話をたくさんしてくださった。その内容は、回を改めて。

 稽古が始まり、OIKW先輩が最初に声をかけて下さった。

 「二刀でやろうよ」

 私が躊躇なく二刀でやれるよう、気を遣ってくださってのことなんです。そういう優しい方なんですOIKW先輩は。

 元立ちのOIKW先輩に、二刀を執って稽古をお願いした。
 OIKW先輩の正眼の構えを見て、すぐに思い出した。

 「OIKW先輩は左利きだったな」
 
 構えというのは非常に個性が出るもので、構えに“面影”がある。
 OIKW先輩は晩年の松崎先生と稽古している方だ。やはり対二刀は慣れているとあって、なかなか打たせてもらえない。駆け出しの二刀では歯が立ちません。大変勉強になりました。

子供の頃の夢が現実に


 この10カ月前にリバ剣を決意した時、最初に夢に思い描いたのが「市川東部で二刀をやること」そして「UEKS先生と稽古すること」。
 この夢はそもそも小学生3年の時に、ここで松崎先生とUEKS先生の稽古を見て将来の目標としたものです。(その様子はこちら

 この8カ月前に浦安の道場でリバ剣し、そして二天一流武蔵会の門をたたき、二段の昇段審査に二刀で合格し、ついに市川東部へたどり着いた。
 そして今、九歩の間合いでUEKS先生が目の前に立っている。私は左手に二刀(大小)を提げて。
 
 稽古中は夢心地でした。まさか本当に実現するなんて。リバ剣を決意して本当によかった。人生の不思議を味わいながら、UEKS先生と剣先で"会話"をした。

 私の二刀はまだまだUEKS先生には通用しませんでしたが、本当に楽しいひと時でした。

新たな目標


 子供の頃、初めて故松崎幹三郎先生の二刀流を見たとき、私は興奮して三日間眠れなくなってしまった。

 今度は、「私の二刀を見た子供たちが、眠れなくなるような二刀をやる」。
 それが新たな目標になりました。

 稽古の後、満面の笑みでUEKS先生がこうおっしゃってくれた。

 「まるで松崎先生と稽古しているようだったよ」

 もったいないお言葉です。
 

市川市剣道連盟東部支部(旧中山剣友会)③ 目に焼き付いた「組み討ち稽古」

変わらない"音"


少年時代にタイムスリップ


 2010(平成22)年の夏が終わるころ、34年ぶりに子供の頃に通った道場に挨拶に行ったことを前回の投稿で書きました。

 その翌日の日曜日。早速、防具を担いで市川東部に稽古に行った。
 到着すると、すでに到着していたOIKW先輩が体育館の入り口で出迎えてくれた。OIKW先輩も私が稽古に来ることを心待ちにしていてくれたらしい。
 先日、市川東部に来るように声をかけて下さったTNK先生は、残念ながらこの日はお見えになられていませんでした。(TNK先生についてはこちら
 
 小学生の稽古はすでに始まっていて、参加は昨日と同じ10名程度。これで全員だそうだ。寂しさを感じずにはいられませんでしたね。何しろ、私が小学生の頃は、ここで200名の子供たちが稽古していたんですから。

 「ああ、私が聞いていたのはこの音だ」

 しかし、変わっていないものもありました。
 竹刀の"音"です。竹刀と竹刀が当たる音。竹刀で防具を打つ音。

 この"音"については、それまで気にすることは特にありませんでした。
 それが34年ぶりにこの道場に戻ってきて、"音"の違いに気づいた。施設によって音の反響の仕方が微妙に違うということを、この時初めて知ったのです。
 私にとっての剣道の"音"はこの音なんですね。本当に懐かしい。
 ワクワクして、緊張する、それでいて心地いい"音"。

 「帰って来たんだな」と思いました。

 この日の一般の稽古の参加者は私以外に6名だったと思います。
 大人の参加も毎回これくらいの人数だそう。もう、二刀を執っている方もいないそうだ。
 この中で、OIKW先輩以外にもう一方、34年ぶりの再会となった方がいらっしゃいました。

二刀流 故松崎幹三郎先生とUEKS先生の「組み討ち稽古」


 私が小学生だった昭和40年代後半から50年代にかけてのこと。
 私淑する故松崎幹三郎先生(二刀流)と毎週木曜日に稽古していたNGSK先生のことを、以前に記事にさせて頂いたことがある。(その記事はこちら
 実は、もう一人、松崎先生が木曜日に毎回稽古された方がいらっしゃる。というより、松崎先生(当時50歳ぐらい)が必ず稽古相手に“指名”する方がいた。UEKS先生(当時20代半ば)。


 昭和40年代後半のとある木曜日、午後8時。小学生の私が稽古を終えて、帰り支度をしているころになると、松崎先生が防具を担いで道場に入ってくる。道場全体が緊張感につつまれる瞬間だ。
 すでに面、小手以外の着装を済ませて、準備運動をしているU先生の表情からは笑顔が消え、集中モードに入ったのが分かる。
 他の小学生たちは家路につく中、私は道場の隅で、これから始まる稽古を目に焼き付けようとしている。

 稽古が始まった。元立ちの松崎先生が大小を抜刀して蹲踞し中段十字に構え、同時に掛かり手のUEKS先生が一刀中段に構えた。
 立ち上がると同時に、正二刀の松崎先生が小刀は中段のまま大刀を上段に構えた。二刀の代表的な構え「上下太刀」。UEKS先生は正眼の構え。二人の気合が道場に響く。松崎先生は“歩み足”。UEKS先生は“送り足”。お互いに間合いを詰める。
 “石火の機”に二人が動いた。
 初太刀はUEKS先生の面と思いきや、そこへ松崎先生が“流水の打ち”をかぶせて豪快な出ばな面で初太刀を取った。道場に打突音が響き渡る。
 なおも前へ出てくるUEKS先生の剣尖を小刀で表から押さえ、それに反発して剣尖を中心に戻そうとする刹那を大刀で小手をバックリ。
 今度は起死回生に先々の気概で飛び込んだUEKS先生の面打ちを、小刀で受けると同時に大刀で胴を抜いた。胴が割れるかと思うようなものすごい迫力。それでいてすべての動きが華麗で美しい。まるで踊りを踊っているよう。しかも圧倒的に強い。松崎先生の二刀の特徴だ。
 「いや、まだまだっ!」
 UEKS先生も、参りましたとは言わない。“最強の二刀流”に一刀で真正面から挑み続ける。二刀と一刀、明らかに条件が違う。スポーツだったらありえない、日本古来の武道であればこそ。その戦いぶりに見ている者皆心を打たれた。
 時計の針はすでに午後9時を回っている。二人で1時間以上ぶっ通しで稽古しているのだ。もう稽古というより“死闘”だ。
 片手で竹刀を振り続け握力が低下してきた松崎先生が、UEKS先生の体当たりを受けて右手に持った大刀を落とした。すかさず“入り身”になった松崎先生は、UEKS先生の竹刀を奪おうとその柄に手をかけた。
 UEKS先生は竹刀を奪われまいと両手に力を入れて握った瞬間、腰が浮いてしまった。そこを逃さず、松崎先生がUEKS先生に足払いをかけた。もつれて倒れ込む二人。「組み討ち稽古」の始まりだ。
 「組み討ち稽古」は面を外されるか、「参った」と言ったら負け。二人とももう竹刀は持っていない。床に転げて組み合うこと数分。松崎先生がUEKS先生の体をキメて面を外した。
 息が上がる二人。とっくに体力の限界は超えている。それでも立ち上がって、落とした竹刀を拾い、九歩の間合いをとって静かに正座した。組み討ち稽古で乱れた着装を整える。UEKS先生は外された面を着け直した。
 立ち上がって、立礼から互いに抜刀し、UEKS先生が気力を振り絞って気合もろとも打ち込んだ。稽古の締めの「切り返し」だ。こうして1時間以上続いたの二人の稽古は終了した。
 
 見ている私たちは感動しかありません。こういう「稽古」を毎週されていたのです。忘れられるはずがありません。攻め込む時の松崎先生の足の指の動きまで、鮮明に覚えています。

 
 今回、このUEKS先生に再会することができた。二刀流 松崎幹三郎先生の“生き証人”です。
 
 

2019年4月21日日曜日

市川市剣道連盟東部支部(旧中山剣友会)② 34年ぶりに出身道場へ

「剣道」と出会った場所


リバ剣の二刀者は受け入れられるか


 前回の投稿では、リバ剣して最初の段審査の会場で再会したTNK先生の"教え"について書かせて頂きました。
 再会した時に、「二刀をやっているなら"東部"へ来てください」と声をかけて頂いた。(その時の経緯はこちら

 これはうれしかったですね。あの"怖い"TNK先生が満面の笑みで「古巣」に来るように促してくださった。

 正直、迷っていたのです。いつ市川東部に行こうかと。
 古巣といえども、今、どのような状況になっているかどうか分からない。少子化の影響で消滅している道場もあると聞きます。
 現在も同じ場所(中山小学校体育館)でやっているのか。主たる運営者は誰なのか。私のことを知る人が現在もいるのか。HPもないようなので、情報がまったくない。

 私が市川東部に在籍していたのは小学6年まで。中学からは部活で剣道をやっていました。(当時の市川東部〔旧中山剣友会〕の様子はこちら
 ですから、市川東部に行くとすれば34年ぶりになります。はたして、剣道再開したので二刀で稽古させてくださいなんて言って、受け入れてもらえるのだろうか。それがとても不安でした。

 しかし、TNK先生から声をかけて頂いたことによって、それは“取り越し苦労”になりました。

まずはご挨拶へ


 「ああ、あの頃のままだ」

 2010(平成22)年晩夏。
 とある土曜日の夜、市川市立中山小学校体育館前に着いた。
 34年ぶり。外観は何も変わっていない。窓からは明かりが漏れ、剣道の稽古をする子供たちの気合が聞こえる。

 懐かしいというよりは、何かせつないような、ほろ苦いような……。
 嫌な思い出があるわけでもないのに、胸が締め付けられるような……。
 夢が詰まり過ぎているんでしょうね、この道場には。

 冷房の設備はないようで、暑さのため出入り口の扉が開け放しになっている。
 中をのぞいて見ると、小学生が10名弱、指導している大人が2人。

 やはり少子化の影響か。週末のわりには人が少なすぎる。
 私が子供の頃、週末ともなればこの体育館には、入り切れないほどの人が集まり、活気に満ちあふれていました。

 指導をしている大人2人の「垂ネーム」に目をやると、1人は私と同時期にここで稽古をし、試合にも一緒に出場していた方だ。一つ年上のOIKW先輩。お互い年を取りましたが面影がある。

 「やはり剣道を継続されていたんだな」

 安心しました。OIKW先輩なら必ず私のことを覚えているはず。小学生の頃は、いつも私の面倒を見て下さる優しい先輩でした。

 小学生の稽古が終了したところを見計らって、一礼して道場の中へ。
 お2人のもとへ挨拶に向かった。

 「○○です。大変ご無沙汰しております」と名前を名乗った。
 
 少しの沈黙の後、OIKW先輩が「小学生の時ここにいた○○君?!」と驚いた様子。

 「そうです!」

 この半年ほど前に浦安で剣道を再開したこと、先日の段審査の時にTNK先生にお会いして声をかけて頂いたこと、二刀をやっていることなどを報告した。

 初めてお目にかかるもう1人の指導者の方と、OIKW先輩、お2人とも大変喜んでくださり、翌日の日曜日から稽古に参加することを約束して、道場をあとにしました。


 このことをきっかけに、剣道でご縁があった方々と次々に再会し、数えきれないほどの新たな出会いが、加速していくことになります。

 子供の頃、この道場に詰め込んだたくさんの夢。
 その“夢”を一つ一つ、現実の世界に引き出す時がきた。


2019年4月19日金曜日

市川市剣道連盟東部支部(旧中山剣友会)① TNK先生

TNK先生は“怖い”


剣道で大事なことを教えて頂く


前回の投稿で、2010(平成22)年8月に、リバ剣後初めての段審査を、二刀で受審したことを書きました。
 その会場で、出身道場の恩師TNK先生と34年ぶりに再会した。

 私が小学生の頃、TNK先生は20代後半か30歳ぐらいだったでしょうか。とても怖い先生でした。

 まずは、顔が怖い。(笑) これは説明できません。とにかく怖い。
 そして、剣道が怖い。

 これは、どういうことかというと、正眼に構えた時の剣尖が怖い。剣尖が常に物を言っているのです。
 これは、小学生だった私たちにはとても恐怖で、どう打っていっていいか分からない。子供相手にも関わらず、剣尖を緩めてくれないのです。

 剣尖が怖いから、正面をはずして左右にややずれて打っていったり、体を開いて打ったりする。そうすると、まったく打たせてもらえないんですね。すべてさばかれてしまう。
 どうすればいいか分からず、泣き出してしまう子供が続出でした。
 その頃の私はどうしたかというと、TNK先生のところには並ばない、そういう"対策"をとりました。(笑)

 当時、この道場は小学生が約200名在籍していましたので、一人の元立ちの先生に対して、5~10名ぐらいの子供たちが常に並んでいました。自分の順番が回ってくるまでには時間がかかります。(当時の様子はこちら
 TNK先生のところにまったく並ばないわけにはいきませんので、稽古終了時間の間際になってから並ぶ。そうすると、時間切れで私の前で終わるのです。稽古する意欲はあったと見せられるわけです。
 しかしこれが、うまくいかない時があるんです。思ったよりも早く順番が回ってきて、自分の番になってしまうことがある。それでようやく「もう、やるしかない」と心を決めて、稽古をお願いするわけです。

無言の教え


 私が小学4年生ぐらいだったと思います。ある木曜日の稽古。

 その日は参加者が極端に少なく、小学生は10名ぐらい。元立ちの先生は2名だったでしょうか。その先生のうちのお一人がTNK先生でした。

 基本稽古が終わって地稽古が始まりました。この日はもうTNK先生にかかるしかない。
 意を決してTNK先生の前へ、一番に並んだ。
 稽古が始まって構えると、いつも通り正眼に構えたTNK先生の剣尖が緩んでない。やっぱり怖い。どう打っていっていいか分からない。

 他の先生でしたら、相手が小学4年生ぐらいまででしたら、剣尖を緩めて打たせてくれる。緩めるどころか打突部位を開けてくれる先生もいる。

 TNK先生の剣尖は物を言っているんですね、常に。怖いものですから、中心を取らずに斜めに打っていったり、正中線でとらえずに開いて打ったり、体は残して手先だけで打ったり、自分の考えうる方法で打ってみた。でも、やっぱり打たせてもらえない。すべてさばかれてしまう。

 「もう真正面からまっすぐ打つしかない。どうにでもなれ」

 TNK先生に正対し、正中線を割って思い切って正面を打った。

 初めて打たせてもらえました。
 すべてを捨てて正面から攻め入った時、私の中心に向けられたその切っ先が緩んだ。その刹那を打つことができた瞬間です。
 その後も、真正面から捨て身で打っていくと、次々と打たせてくださる。

 「TNK先生は、これを教えようとしていたんだな」

 言葉は一切なし。剣尖で教えて頂きました。

 いつもは“怖い”面金(めんがね)の奥の顔が、微笑んでいました。

 あれから45年たった今も、ガチンコの相面で相手を仕留める時、思い出すのはTNK先生のこの“無言の教え”です。


※TNK先生は、再会した2010(平成22)年当時は市川市剣道連盟会長。現在(平成31年)は同名誉会長をされております。
 
 

2019年4月16日火曜日

半月板損傷 剣道の稽古中

初出場した試合は反省しきり


取り組むべきことが見えたばかりなのに


 前回の投稿で、30年ぶりに剣道を再開して始めての試合となった、2010(平成22)年の浦安市春季市民剣道大会に出場したことを書きました。
 しかも、始めて間もない二刀での出場で、1試合中に場外反則を4回もやってしまうという大失態。前代未聞だと思います。(その様子はこちら

 30年のブランクで、"コート感覚"が全くなくなっていることが判明しました。

 普段の稽古では試合コートのことなんて意識しませんからね。これは、試合経験を重ねて、取り戻していかなければならない感覚なんだなと思いました。

 他にも、反省点、改善しなければならないところはたくさんあります。数え上げたらきりがない。取り組まなければならない問題だらけ。

 その中でも、最も重要で真っ先に取り組まなければならないことが、はっきりした。

足さばき


 リバ剣して、試合に出てみて、痛感したこと。
 やはり、攻める、打突の機会をつくるのは、「足と腰」だなと思いました。
 
 この半年前、リバ剣を決意した時に、最初に取り組んだのが足腰の強化、そして足さばき。なのに、その足が動かない。試合になったら全くダメなんです。稽古ではそこそこ足が遣えてたんですけどね。
 
 今までの稽古量では"ぬるい"と思い。さらに強化しなければならないと思った矢先、予想もしていなかったことが起こった。

右ヒザ半月板損傷


 市の剣道連盟が主催する稽古会に参加した時のこと。

 稽古場所は、所属道場が使用している市の武道館ではなく、市の総合体育館。

 「ここは、床が硬いな」

 会場に入ってすぐに思った。剣道をやる人なら、結構気にするとこですよね。

 案の定、稽古開始前に担当者からアナウンスがあった。

 「ここは、床が硬いので気をつけてください」

 まるで、コンクリートの床の上に直接板材を張ったような感触だ。その日は強く踏み込まずに稽古したつもりでした。
 
 稽古終了時の「静座」で、何となく右ヒザに違和感があった。それでも、特に気にすることもなく帰宅。

 しかし翌日、右ヒザに痛みを感じるようになり、3日後には痛くて右ヒザが曲げられなくなった。

 「これは、半月板が折れてるな」

 そう思った。
 
 実は私、この9年ほど前に左ヒザの半月板を損傷して、手術した経験があるのです。
 この左ヒザは、小学生のころに剣道の稽古中に痛めてそのままにしていたもの。日常生活に支障はなかったので、長年放置していたのです。

 "放置"といっても最初からそうしたわけではありません。小学生でしたから親も随分と心配して、あちこちの病院やら接骨院やら鍼灸院までいろいろ連れて行かれました。
 当時は昭和40年代後半ですから、レントゲン検査といってもアナログの時代で、画像の解像度なんてめちゃくちゃ低いですから、ヒザの痛みの原因が分からなかったんです。
 もちろんMRI検査なんてありませんでしたから。

 それから26年たったある日。家で床にあぐらをかいて座っていて、立ち上がろうとした時に「ボキッ」という音がして、左ヒザがロックして動かなくなってしまった。
 翌日、近所の整形外科を受診し検査すると、医師からこういう説明があった。

 「左ヒザの半月板が折れています。あなたは生まれつき、半月板が“半月”の形をしておらず、丸い形をしているので(これを円盤状軟骨といいます)、こういう人は普通に生活しているだけで折れます。右ヒザの半月板が折れるのも時間の問題です」

 この医師の言葉を思い出して、今回、“折れてる”と思ったのです。
 そしてすぐに整形外科にかかると、やはり思った通り。手術も一週間後と決まった。
 痛みだけで動かすことはできていた右ヒザは、手術当日までには「ボキッ」と音がしてロックしてしまった。
  
 手術が終わって当日一日だけ入院し、翌日退院しましたが仕事は2週間休みました。
 剣道は1カ月休むことになってしまった。これには焦りました。リバ剣後、初めての試合も二刀で経験して、さあこれからという時ですから。
 
 この剣道ができない1カ月間、何をすべきか考えた。

 「こういう時だからこそ、ヒザに負担のかからない“ナンバ歩き”をしっかり身に付けよう」

正しいナンバ歩き


 術後はリハビリがつきもの。半月板損傷の手術の後のリハビリは、ヒザの屈伸運動をすることと、歩くこと。これをしないと、ヒザが曲がらなくなったり歩けなくなったりする。

 リハビリの指導をしてくれた理学療法士からは、「ヒザが腫れた場合は、一旦中止し、腫れが引いてからやってください」と言われていました。

 早く剣道ができるようになりたかったので、まじめにやりましたよ、リハビリ。毎日2㎞歩くと決めた。
 この頃は、稽古していたナンバ歩きはまだまだ身に付いておらず、試行錯誤の状態でした。ですから日常でも、ナンバで歩いたり普通に歩いたりの繰り返し。リハビリ中もそうでした。

 するとすぐにこんなことに気がついた。

 「普通に歩くと手術した方のヒザが腫れるが、ナンバで歩くと腫れないな」

 正しいナンバで歩くと腫れない、これはいい“先生”になりました。
 本気でナンバ歩きに取り組むきっかけになりましたね。

 「ナンバ歩き」というと、同じ側の足と手を一緒に前へ出す歩き方、と思っている方は多いと思います。しかし、これは誤りです。
 「ナンバ歩き」とは、ある腰の遣い方で歩くと、結果的に自然と踏み出した足と同じ側の手が前に出るのです。(その方法は、こちら
 ですから重要なことは腕の振り方ではなく、“ある腰の遣い方”なのです。
 これは、日本古来の武芸に共通する基本中の基本ですね。

 リハビリをナンバ歩きですることによって、この“腰の遣い方”が理解でき、身に付き始めたのです。

 まさに、“怪我の功名”になりました。

 

2019年4月14日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加④ 二天一流第十七代師範 神免二刀流第十六代師範

流祖武蔵から連綿と継承された流派


中村天信 師範


 2010(平成22)年4月。武蔵会東京支部の稽古会に参加させて頂いた。

 会場に到着して着替えを済ませ準備運動をしていると、Kさん(HN:KOJIROさん)がお見えになり、こうおっしゃった。

 「本日は、中村先生がいらっしゃいます」

 ついにこの日が来た。
 現代の二刀流に失望しかけた私に、中村師範との出会い(その時は動画でですが)は、一条の光明となっていました。(その経緯はこちら

 二天一流の第十七代師範という「運命」を背負われたお方。
 宮本武蔵自流の正統として、伝統の荘厳なる継承の使命を負う。そういうお方に、いよいよお目にかかれる。

流祖から中村天信までの系譜


 江戸前期、流祖宮本武蔵が晩年を肥後(熊本)で過ごし、「二天一流」の系譜はここで端を開きます。
 その主な道統に「肥後の五流派」があります。寺尾派(山尾派)、山東派、村上派正勝系、村上派正之系、野田派。いずれも二天一流の正統です。
 また、二天一流から分派した流派として、新潟越後に伝わった神免二刀流があります。

 「肥後の五流派」のうち、大正期までに三流派が継承者が得られず断絶し、現在は、山東派と野田派が二大流派を形成しています。
 一方、神免二刀流は越後藩の剣術指南役を務める五十嵐家に伝わり、代々家伝の流儀として現代まで継承されてきました。

 先師荒関二刀斎は、神免二刀流継承者五十嵐一隆に就いて二刀流の指導を受け、後に印可を得て、神免二刀流を継承します。
 また、熊本に渡り、野田派の二天一流十五代松永展幸のもとでこれを学び、後に印可を得て二天一流の十六代を継承しました。
 いずれも昭和30年代のことです。

 先師荒関二刀斎は、昭和44年の第17回全日本剣道選手権大会にも二刀で出場されています。

 そして、平成8年に中村重則天信という後継者を得て、十七代を継承させたのです。

稽古開始


 この日も最初は、ナンバ歩きの稽古から。床を擦る「すり足」の音だけが、道場に静かに響く。中村先生が見守る中、皆さんの緊張が伝わってくる。

 次に形(かた)稽古。ここからは直接中村先生からご指導いただいた。私も「胴を切る」場面で、刃筋を手を取って直して頂いた。
 二刀の形で二刀の刀法を知り、理合を知る。古流でなければ出来ない稽古法です。特に武蔵会の場合は、これが竹刀稽古につながっている。実践につながる理論があるんですね。
 私自身、この3年後に、試合や段審査でその成果を実感することになります。

 そして、防具を着用して竹刀稽古。まずは基本打ち。
 これも中村先生が手本を見せて頂き、直接ご指導くださった。

 これも武蔵会ならではの稽古。
 試合や地稽古は、お相手さえいればある意味どこでもできます。しかし、二刀の基本稽古を正しくじっくりやるとなるとなかなか機会がない。
 私にあっては、この稽古ができるところを探してたわけですから。二天一流の十七代師範に直接ご教授頂けるなんて信じられない気持ち、まるで夢のようです。

 この後、通常であれば、それぞれにお相手と組んで地稽古となるんですが、この日は中村先生がいらっしゃるということで、一人ひとり中村先生と稽古して頂けることになった。
 とはいっても、人数も多いし時間の制限もあるので、代表の上級者5名ほどが稽古することに。他の者は、見取り稽古となった。
 私は面をはずして、固唾をのんで立ち合いに見入った。

少年の頃に見た二刀流がここに


 「この師に就いて学ぼう」

 立合いが始まってすぐにそう決意した。

 昭和40年代に見た、心を揺さ振られた二刀流。
 今、目の前で繰りひろげられる立合いに、あの頃と同じ種類の感動が沸き上がってくる。

 昭和40~50年代は二刀者が激減した時代。(その理由はこちら
 この頃二刀を執っていた方々は皆、大正生まれ。戦前から二刀流をやっていた方々です。そして、後継者がないまま二刀剣士の高齢化が進んでしまい、世を去ってしまった。

 平成に時代を移して、「試合・審判規則及び細則」が改正され、環境が変わって二刀を執る者が徐々に現れてきた。現代の二刀剣士の多くは(高名な二刀者も含めて)、これ以降にご自分の創意工夫で二刀を執られてきた方々です。

 私はそういう方々の二刀を、批判したり否定したりするつもりはありません。
 そういった時代背景がありますから、私たちが子供の頃に見た二刀流と違っていて当然なのです。

 しかしここに、継承された二刀者が実在したのです。
 中村天信師範。
 子供の頃から私淑してきた故松崎幹三郎先生と剣風はちがうが、根底に流れる「理」が同じような気がする。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 二刀の操作をどうにかやり繰りして一本を取ろうとする二刀剣道ではない。右片手、左片手、それぞれが独立して片手刀法として成立している。どちらか一方の介助がなかったとしても一本が取れる剣道だ。
 それでいて、左右の片手刀法が絶妙な調和をして、迫力があり美しい二刀剣道を具現化している。


 地元でも、故松崎幹三郎先生の二刀を知る人は、めっきり少なくなりました。
 松崎先生との立合いの経験がある、現在は高齢になった先生方は、「あの先生の二刀には、理があったね」と皆さん口をそろえます。


 もう見ることが出来ないであろうとあきらめていた「二刀の理」が、今、目の前にある。
 

 
参考文献
 『武蔵の剣 剣道二刀流の技と理論』佐々木博嗣編著・スキージャーナル・平成15年
 

2019年4月12日金曜日

リバ剣 日常の稽古② 正しい片手刀法の実践

古流に学び剣道で実践


結果はすぐに表れた


 前回の投稿で、二天一流武蔵会の稽古会にて「小手」と「胴」の片手打ちを学んだことを書きました。
 これで、「面」「小手」「胴」の正しい片手打ちを稽古できる。そう思うとますます稽古熱が高まっていきました。

 武蔵会東京支部の稽古会は毎月第2,4土曜日の午後です。pm5:00に終わりますので、急いで帰れば地元道場の稽古に間に合います。
 この時から、武蔵会の稽古会に参加した日は、ダブルヘッダーで稽古するようになりました。

正しい刀法はひとに伝わる


 先ほど覚えたばかりの二刀の正しい片手刀法を実戦で稽古したくて、地元の所属道場へ急ぎました。

 私は、30年のブランクからリバ剣したばかりで二刀初心者。しかもまだ初段。
 普通の道場だったらどのような対応を受けるでしょうか。

 「二刀をやる前に一刀で基本をしっかりやれ」
 「初段のくせに何が二刀だ」

 まあ、こんなリアクションでしょうかね。
 
 地元の所属道場ではこういうたぐいのことは、言われたことはありません。それどころか、“二刀、大歓迎”といった空気。本当にありがたかったですね。

 「次は、私と稽古しよう」

 この日も、皆さんに次々と声をかけて頂きました。

 そんな中、ある先生と地稽古をした後のこと、驚いた顔でこう聞かれた。

 「どこかで二刀を習ってきたの?」

 先月、稽古した時と全然違うと言うのです。私はこう答えました。

 「習ってません」

 説明し始めると長くなりますから。(笑) 稽古をする時間がもったいないですからね。

 二刀や片手打ちの経験がない方でも、"違い"が分かるんですね。他の先生方にも同じようなことを言われました。

 この時、リバ剣して3カ月目。私の二刀がガラッと変わったと思います。
 手さぐりで稽古してたものが、何を稽古すればよいか解ったという感じですかね。迷いも不安もなくなりました。

 しかし、意外な人にも、"正しさ"が伝わってしまったようです。

高名な二刀者のお弟子さん


 実は、この地元の所属道場には、数年前から二刀を執っている方がいたのです。
 平成の二刀の大家といわれる方の、お弟子さんです。

 この日、稽古が終わって着替えようとしているところに、この“お弟子さん”がやってきた。
 「小手ってどうやって打つの?」

 二刀者で範士である師がいらっしゃる方なのに、二刀初心者の私に小手の打ち方をいきなり聞いてきたんです。真顔で。

 ちょっと驚いてしまいました。
 そういう“大先生”が師匠でいらっしゃる方に、初段のしかも二刀を始めたばかりの私が、そんなこと教えられるわけがありません。
 そう言ってお断りすると、あからさまに不機嫌そうな顔をして、帰っていった。

 この後、様々な嫌がらせを、この“お弟子さん”から受けることになります。


2019年4月11日木曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加③ 片手刀法「小手打ち」「胴打ち」

基本の打突を伝授

大刀の重心に黒いビニールテープを貼った。
二刀の大刀。黒いしるしが重心位置。
片手刀法は刀の重心を意識することが肝要。

 2010(平成22)年2月と3月。それぞれ1回ずつ、武蔵会東京支部の定例稽古会に参加させて頂いた。両日ともに、全体の指導担当はKさん(HN:KOJIROさん)でした。
 
 まずは2月。
 前回は、私の指導を担当して頂いたKさんが、マンツーマンで指導して頂きました。
 今回からは、全体の稽古に混ざって参加。非常に緊張しましたが、これから二刀を執って剣道をやっていくうえで核になるものをつかみたい、そういう思いでいっぱいでした。

二刀の形稽古


 古流である二天一流武蔵会では、形(かた)の稽古を重要視しています。
 私が小学生のころに通った道場でも形は重視していて、小学生でも日本剣道形は全員できました。(当時の様子はこちら
 ですから、二刀の形には非常に興味がありましたので、二天一流用の木刀大小を準備して、参加しました。
 
 武蔵会では「五方ノ形」以外にもいくつかの形を稽古していて、今回も先師荒関二刀斎が制定した「十三本の兵道形」を稽古しました。
 初めての二刀の形稽古で、皆さんについていくのが大変でしたが、理合を覚えるには形稽古は必須。この日は、十三本のうち三本をしっかり覚えました。

片手での小手打ち


 前回は、Kさんにナンバと面打ちまで、教えて頂いています。
 なんと、この日の基本稽古のメインメニューが"上下太刀の構えからの小手打ち"。グッドタイミングでした。
 
 教えて頂いた上下太刀からの小手打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     相手のどこを打つかにかかわらず、構えの基本は変わりません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井を向くことがないようにする。これも、どこを打つかで変わることはありません。
  3. 振り下ろす時も重心を正中線上からはずさず、「面打ち」と同じ太刀筋で振り下ろす
     降り始めから、重心を打突する小手側にずらすことのないようにする。
  4. 中段に構えた相手の太刀の物打ちの裏に、大刀の重心部分を通す
     相手の竹刀の裏、スレスレのところを通すようにする。この瞬間は、大刀を握った拳はへその前。
  5. 大刀を握った拳を一気に自分の左腰骨の前に持っていきながら、物打ちで小手を打つ
     大刀が相手の竹刀の裏に入る瞬間に、大刀を握った拳を左腰骨の前あたりに瞬間移動させる心持。その時、大刀の重心を意識し、重心をずらさずに拳を動かすことによって物打ちで小手をとらえる。
  6. 大刀が重心を中心に回転するようにして打つ
     大刀の物打ちが小手に当たる直前に拳を跳ね上げる。これが手の内の冴えになる。平打ちにならないように、刃筋を通す。

片手での胴打ち


 ここからは翌3月の稽古会。私はすべての稽古会に出席できているわけではないのですが、なんとこの日の基本稽古のメインメニューが胴打ち。またもやグッドタイミングでした。

 教えて頂いた上下太刀からの胴打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     胴打ちの時も、構えに変わりはありません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井に向かないようにする。胴打ちの時も変わりません。
  3. 振り下ろす時も、重心が正中線に近いところを通るように振る
     相手との間合や位置関係で多少違いますが、大刀の重心が正中線上から大きくはずれることのないように振る。
  4. 斜め45度の刃筋を通す
     バットのスイングにならないようにする。最短距離の太刀筋で胴をとらえる。
  5. ナンバ歩きの要領で、背骨を軸に骨盤を回転させて、しっかり腰で打つ
     熟練を要する。ナンバ歩きをしっかり稽古することが肝要。


 これで、「面」「小手」「胴」と、突き以外の基本打ちの方法を習うことができた。
 感激と感謝。念願でしたからね。

 稽古会が終了したのは夕方。

 「正しい刀法を早く試したい」

 飛んで帰って、地元の所属道場の稽古に行きました。
 

2019年4月10日水曜日

リバ剣 日常の稽古① 稽古法の修正

理にかなった稽古の実践


古流の理論を体現する


前回の投稿で、二天一流武蔵会に参加し正しい片手刀法の稽古の仕方を、学んだ内容を書きました。
 早速、その日の夜から、自己流の稽古法を修正しました。

ジョギングを「ナンバ走り」に


 メタボ体質からの脱却と基礎体力作りのため、リバ剣を決意してから毎日4㎞程度のジョギングをしてきました。
 これを「ナンバ走り」に変更。仕事から帰ったらすぐに着替えて、自宅近くの川沿いの遊歩道&ランニングコースで「ナンバ走り」の稽古。
 最初の頃は、10mも走れば、いつの間にか今まで通りの現代人の走り方に戻ってしまう。それでも根気よくナンバ走りを繰り返した。

 日常の"歩く"動作もすべて「ナンバ」で歩くようにしましたので、道ですれ違う人に失笑されることも度々ありました。なんて変な歩き方をしてるんだろうと思われたんでしょうね。最初はぎこちなかったですから。笑
 しかし、「リバ剣おやじ」としては、稽古時間を確保することも課題の一つ。日常の生活そのものを稽古にしてしまう作戦です。
 

"鉄筋棒"での素振りをやめた


 これも、リバ剣を決意してすぐにやってきたこと。自宅のベランダで約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをしてました。(その様子はこちら
 しかし、重い木刀などを使って素振りすることはあまり効果がないことを教えて頂きました。逆に、軽い物で素振りした方がいいと。
 
 また、片手の場合、素振りは手首に非常に負担がかかるので、最初は「打ち込み」で、竹刀の握り方、構え、太刀筋、手の内、を稽古した方がよいということなので、それを実践した。
 ですから「素振り」は、しばらく稽古メニューからはずします。

腕力で打つのではなく、竹刀の重さを引き出しての打ち込み稽古


 道場での稽古がない日は、“防風林の中”で打ち込み稽古です。(その経緯はこちら
 打ち込みも全て片手ですが、それまでは約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをして筋力アップし、竹刀を腕力だけで振っていました。

 正しくは、片手上段に構えた竹刀の重心を常に意識し、落下しようとする竹刀自体の重さを感じながら、その重さを利用して打つ。

 しかし、しばらくはうまくいきませんでした。どうしても、肩、腕、手、に力が入ってしまう。重い鉄筋棒を片手で振っていたためです。
 余計な力が入り過ぎているため、打突が弱い、刃筋が通らない、手の内が効かない。間違った稽古法の悪影響がはっきりと出てしまった。

 これを克服するのに、この後、半年を要することになります。


地元の所属道場の稽古で


 「 FJT君がお父さんと稽古したいんだって」

 道場で稽古が始まる前、小学3年の息子が私に言ってきた。

 FJT君は小学5年生。この道場の小学生の中で1番強い男の子。息子の面倒もよく見てくれる子だ。

 しかし私は、リバ剣初日の稽古の後、二刀で納得がいく結果が出るまで、一刀はやらないと決めてしまった。(その経緯はこちら
 それは、子供たちとは稽古できないということを意味します。もちろん、自分の息子ともできません。

 FJT君に直接話しました。

 「ごめんね。今はまだ、子供たちと稽古できないんだ。できるようになったら、1番最初にやろうね」

 その時のFJT君の寂しそうな目が忘れられないんです。今でも。

 こんな私とでも一緒に稽古をしたいと思ってくれてる子供がいる。1日でも早く上達して、二刀で何らかの結果を出そう。
 
 涙があふれました。
 

2019年4月9日火曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加② ナンバ歩き 片手刀法「正面打ち」

実際の稽古に参加


基本中の基本を習う


 2010(平成22)年1月のこと。

 前回の武蔵会東京支部稽古会では、見取り稽古をさせて頂きました。(その時の様子はこちら
 
 私はもともと、小学生の時に、「古流」というバックボーンを持った指導者の方々に「剣道」を教わりました。(その様子はこちら
 よって、二刀を習ううえでも、古流である二天一流で“竹刀剣道”を教えて頂ける道場を探していました。

 「ここだ!」

 前回の見取り稽古で直感しました。
 
 そして2週間後。この日が来るのが待ち遠しかった。
 会員の皆様にご挨拶させて頂き、稽古に参加させて頂きました。
 二刀初心者の私の指導にあたって下さったのは、Kさん(HN:KOJIROさん)でした。

ナンバ歩き


ナンバ歩き画像 本人 総合体育館剣道場
右足が前になった時は
左の腰が入っている。
最初はやはり“ナンバ歩き”から。古流ならではの稽古法です。
 しかし本来は、「剣道」にとっても“基本中の基本”なんですけどね。

 まずは、Kさんがお手本を見せて下さった。

 「見たことある」

 俳優の大御所が出演するようなきちんとした時代劇の出演者は、皆この歩き方をしているな、と思いました。
 また、能や狂言もこの“足の運び”をしている。能や狂言の起こりは、剣術のそれとほぼ同時代。
 一般庶民から能楽師、武士に至るまで、当時の日本人の身体運用法の基本となるもの。
 この土台なくして、“正しい刀法”はあり得ないと思いましたね。

 しかし、実際にやってみると非常に難しい。全く出来ないと言っていい。
 背骨を軸にして骨盤を回転させる。右足を一歩踏み出した時は左の腰が前に出ている。左足を一歩踏み出した時は右の腰が前に出ている。

 つまり、現代人の歩き方とは、踏み出す足と回転する骨盤の方向が逆。歩き方の根本的な動作を変更しなければ出来ない歩き方です。即席で出来るものではないと分かった。

 それでも、Kさんの丁寧で解りやすい説明のおかげで、ナンバ歩きの原理は理解できた。
 あとは、日常の中で実践し体得していくしかない。普段の歩行もナンバ歩きですると決めた。

 この効果は、この半年後ぐらいから徐々に表れ始めることになります。

片手での正面打ち

大刀の重心の位置にしるしがある。
大刀の重心が正中線上にあるのがわかる。

 この日、Kさんにもう一つ教えて頂いたのが、片手での「正面打ち」。

 まずは、大刀の重心位置に黒いビニールテープを巻いてしるしをした。
 私は正二刀ですので、右片手で上段に構える。今日はまだ小刀は持たない。空いている左手は体側に下げたまま。
 
 この日、教えて頂いたポイントは4つ

  1.  大刀の重心が頭の真上にくるように構える。
     つまり、刀の重心が自分の正中線上にあるように構えるということ。
     二刀の構えは、人によって非常に個性が出ます。例えば、上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)の大刀の位置に限ってみても、人それぞれに違います。大刀を頭上高く構える方もいれば、頭上すれすれに低く構える方もいる。
     いずれにしろ重要なことは"大刀の重心が自分の正中線上にある"こと。
  2.  構えた大刀の刃部は相手に向ける。
     上段に構えた大刀の刃部が天井を向いていると、振りが大きくなって機を捉えにくい、相手から見て起こりがわかりやすい。
  3.  腕力で竹刀を振るのではなく、竹刀の重さを引き出して振る。
  4.  竹刀の「物打ち」が面を打突する瞬間に、拳を跳ね上げて竹刀が重心を中心に回転するように打つ。これが、手の内の“冴え”となる。

 「ナンバ歩き」と「片手での正面打ち」。二刀(片手刀法)の基本中の基本。
 これで、地元の所属道場、自宅、そして“防風林の中”で、正しい稽古法が実践できる。(防風林の中の稽古についてはこちら

 「二天一流武蔵会の稽古法は素晴らしい!」

そんな思いを胸に、我流から脱却できる喜びでいっぱいで帰路についた。


2019年4月7日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加① 見取り稽古

古流の「理」にかなった稽古


充実の内容に心を揺さ振られる


 2010(平成22)年1月。
 ブランク30年から剣道を再開し、地元剣連で道場デビューした1週間後のこと。(道場デビューの様子はこちら
 二天一流武蔵会東京支部の稽古会におじゃまさせて頂き、見取り稽古をさせて頂きました。(「武蔵会」を知った経緯はこちら

 二天一流第十七代師範であり新免二刀流第十六代師範である中村天信先生は、こちらの稽古会には年に数回お見えになるということですが、この日はいらっしゃいませんでした。
 この日の指導は、師範代の佐々木さんがされておりました。
 参加者は20名ぐらい。年齢層は、20代の方からご高齢の方までいらっしゃいました。


 稽古が始まった。

 最初は基礎体錬から。
 道着・袴姿で、ナンバ歩きの稽古。

 通常、「剣道」では稽古の最初は"形”もしくは"素振り"ですよね。「古流」ともなれば最初は"ナンバ歩き"なんですね。
 すでにこの時点で、二天一流の稽古に引き込まれていきましたね。

 次に形(かた)の稽古。
 武蔵会で稽古している形はいくつかあって、この時は、先師荒関二刀斎が制定した「十三本の兵道形」を稽古していました。
 初めて見る二刀の形。これも興味津々で見入っていました。

 そして、竹刀を執って片手で素振りと打ち込み。
 大刀の重心部分に印(しるし)がある方がいる。私は二天一流武蔵会のホームページを事前に見て、この意味を知っていましたので、稽古している内容が理解できました。
 木刀や竹刀の重心を知る。重要なことなんですね。

 そして最後に、防具を着用して、基本打ちと地稽古。

 トータルで約4時間。とても充実した内容といえる稽古会でした。

見取りした感想


 全体的な印象としては、和気藹々とした雰囲気の中で、皆さん非常に集中して稽古なさっているな、と思いました。
 基本と、正しい片手刀法を重視した、きれいな二刀剣道をされているなと。

 特に興味深かったのは、ナンバ歩きの稽古。諸手であっても片手であっても、正しい刀法にはこれがベースになければならない、ということですね。
 日本人の現在の歩き方は、明治維新後の服装や生活様式の変化、西洋式の軍事教練の導入などで変化したものだと、聞いたことがあります。
 ですから、明治維新以前の日本人は皆、この“ナンバ”で歩き、走っていたんですね。和装の特徴を一つ一つ見れば、納得できます。

 例えばその一つ。雨に濡れた土の道をビーチサンダルであるいたら、「ペタンペタン」とビーチサンダルのかかとに当たる部分が跳ね上がり、泥水も一緒に跳ね上がって足にかかってしまいますよね。
 和装に草履履き。コンクリートもアスファルトで舗装された道もない時代。ナンバ歩きなら、泥水は跳ね上がりません。
 刀法はこの“ナンバ”という日本人特有の身体運用法があったうえでのもの、ということになります。正しい刀法には、ナンバは不可欠だということですね。
 
 思い返してみれば、小中学生のころ、剣道の稽古中に指導者の先生から「腰を入れろ!」とよく注意されました。
 「腰をいれる」とはどういうことか。ナンバ歩きを稽古していくことによって、説明がつきそうだなと思いました。

 「ここなら、二刀の正しい基本と理が学べる」と直感した。
 やはり、見立てに狂いはありませんでした。


 この稽古会は定例で、次回は2週間後とお聞きし、参加を決めて帰路に就いた。
 
 

2019年4月6日土曜日

リバ剣 道場デビュー② 決意

「あきらめるわけにはいかない」


一刀を捨てた


 前回の投稿で、ブランク30年からの剣道再開と同時に二刀を執った様子を書きました。
 
 「あまりにもつらい。リバ剣なんてしなければよかった。以前の生活になんの不満もなかったんだから」

 そう思いました。

 しかし、同じ道場で息子も妻も剣道をやっている。ここで、私が「やっぱりやめた」と言ったら、家族はどう思うか。

 「お父さんて、根性なかったの?」「だったら僕もやめようかな」なんて、息子が言い出しかねない。
 妻には、「だから二刀をやるなんて反対だったのよ」って、言われるに決まってます。

 やはりやめるわけにはいかない。子供の頃に二刀流に魅せられ、将来二刀を執ることを決め、病で一度はあきらめたその夢を、今実現できるところまで来ている。(二刀流との出会いはこちら

 それで、初日の稽古から帰宅した直後に、一刀での稽古用に用意した3.9の竹刀を“のこぎり”で切り刻んで捨てたのです。一刀を執ったら、そちらに逃げて二刀を執らなくなると思ったから。
 せめて二刀で納得のいく結果が出るまでは、一刀を執るのはやめよう。お相手がどなたであっても、どの場所でも、必ず二刀でやる。そう決意しました。

二刀でリバ剣して気づいたこと


  • 一番負担がかかった部位は「ふくらはぎ」
     基本打ちの稽古が終わった時点で、足で床をける力は残っていませんでした。足が前へ出なかった。ふくらはぎに異常なくらい負担がかかっていたと思います。帰りに車を運転しようとすると、ブレーキもアクセルも適度な踏み込みができない。力の加減が分からないんです。ふくらはぎの筋肉が言うことを聞かないって感じで。危険なのでしばらく休んでから運転しました。
  • 小刀を構え続けることがキツイ
     意外でしたが、小刀を中段に構えていることが大変でした。わずか280gの小刀が重くて重くて手が下がってしまう。小刀で攻めるなんてできるようになるのかな、と思いました。
  • 以外だった歓迎ムード
     二刀に対して、あるいは二刀を執ることに対して、否定的なことは言われませんでした、今のところは。心配していたのとは逆に、好意的に受け入れていただきました。これは本当に安心しましたね。道場の先生方に感謝です。
  • 剣道を続けている方々への敬意
     道場に一歩足を踏み入れて、最初に感じたこと。「継続することも実力のうちだな」そう思った。私は小中学生のころ、試合で負けた記憶があまりない。特に市内大会では負けたことありません。しかし、剣道を続けられなかった。その理由が病気であっても、言い訳できない。こうして、剣道を続けてきた方々がいらっしゃる。そういう方こそ、本当の意味で実力があるんだなと思いました。
  • 我流ではダメだ
     今の稽古を重ねていってもダメだと改めて思った。これについては、リバ剣を決意した時に、古流の二天一流武蔵会で片手刀法の基本から学びたいと思っていたので、早く実行しなくてはと思った。

目標設定


 初日の稽古が終わって帰る支度をしているときに、ひとりの先生が私のところにきて、こうおっしゃった。

 「もしかして、学生の頃、強かったんじゃないですか?」

 なぜ、そう思われたんでしょうかね。でもその言葉に救われたところがあります。
 受け入れられたというか、認められたというか、少しホッとしました。

 2カ月前にリバ剣を決意した時から、とりあえずの目標は決めていました。
 まずは3年以内に、市民大会で優勝すること。

 「あきらめるわけにはいかない」

 心の中でそう叫びながら、稽古を続けました。
 

2019年4月5日金曜日

リバ剣 道場デビュー① 後悔

リバ剣初日


緊張は頂点に


 2010(平成22)年1月。遂に、ブランク30年から剣道再開!

 当時小学3年の息子と妻が通う地元の道場に、私も入会しました。
 息子の付き添いなどで、道場の先生方や保護者の皆さんとは面識がありましたが、改めて、入会とリバ剣のご挨拶をさせていただきました。

 「ええっ。剣道やってたんですか」

 剣道をやっていたことは、家族以外には言ってませんでしたので、皆さん驚いてましたね。子供の“お父さん”が突然、道着・袴を着て、防具を担いで現れたんですから。

稽古の準備


 一礼して道場に入る。片隅で正座して垂と胴をつけた。
 竹刀袋から二刀用の大刀と小刀を取り出して鍔(つば)をつけた。
 小学生と稽古することも想定して、一刀でも稽古ができるように持ってきた3.9の竹刀も準備した。

 「二刀をなさるんですか!!!」

 ひとりの高齢の「錬士」の方が、私の小刀を見るなり声をかけてきた。
 剣道再開と同時に二刀を執るつもりであることを伝えた。

 「正逆どちらですか?」

 「正二刀です」

 「私の後輩で逆二刀を執る者がいて何度も稽古をしてるので、ぜひ今日は正二刀と稽古がしてみたい。よろしくお願いします」

 私、この時初段ですよ。しかもブランク30年の再開初日。
 そんな私に、ご高齢の錬士の方が稽古をお願いしますと言ってくださるなんて。恐縮と感謝で涙が出そうになりましたね。

 実は、リバ剣を決意してから今日まで、喜びと期待が大きくなっていく一方で、不安に押しつぶされそうになっていました。

 「本当に、いきなり二刀でやって大丈夫だろうか。受け入れてもらえるのだろうか」
 そんな不安を振り払うために、毎日ひとり稽古に熱中してきたともいえるのです。
 そして、今日初日、その不安は頂点に達していた。

 ご高齢の「錬士」ISMR先生。後に分かったことですが、後輩の逆二刀者とは、出身大学と所属会社が同じだったTD範士のことでした。

基本稽古開始、いきなり二刀で


 リバ剣と同時に二刀を執る理由は、以前の投稿で書きました。(それは、こちら

 小学生以下の稽古が終了し、中学生以上、一般の稽古が始まった。
 まずは回り稽古で基本打ち。最初は「切り返し」。
 私は二刀ですから切り返しも片手です。

 リバ剣、初めての二刀での稽古が始まった。「切り返し」も"防風林の中"(その様子はこちら)で、充分にやってきた。

 しかし、道場で防具をつけて生身の人間を相手にする稽古は全然違いました。
 死ぬかと思いましたよ。1回切り返しをやっただけで、息はゼーゼーハーハー、足はフラフラ、もう限界まで来てしまったという感じ。

 家では、毎日3時間以上竹刀を振り続けても大丈夫だったし、このころ1日4㎞は走ってました。なのに「なんで」って心の中で叫びましたよ。苦笑
 しかし、ここで休憩するわけにもいかず、初めての基本稽古をなんとかやり終えました。
 
 初めて二刀を執って片手での基本打ちは反省点ばかり。「面」打ちも「小手」打ちも、ただ“当たった”だけ。先生方には「打たれた気がしない」と言われました。「胴」打ちは、外してばかり。全く打突部位に当たりませんでした。「突き」はこの時点では稽古していませんでしたので、やりませんでした。

地稽古開始、もちろん二刀で


 回り稽古での基本打ちが終わると、高段者の先生方が元に立って地稽古が始まります。
 私は、先ほど声をかけてくださった ISMR 先生に稽古をお願いしました。

 30年ぶりの稽古で、初めて二刀を執っているわけですから、いいとこなんてありません。理合もなくただ打っていくだけ。それでも ISMR先生が何とか引き立たせて下さるので、稽古らしくなってたと思います。私は必死でしたけど。

 もう限界をとっくに超えてました。片手で竹刀を振り続けるなんてもう無理、と思いましたね。何度竹刀を落としたことか。握力がなくなっている。足ももう前に出ない。

 気持ちは高校生の時のままなんです。でも、体がついていかない。そのギャップを埋めようとさらに力が入ってしまう。
 尋常じゃない汗の量。しかも爽やかな汗ではなく、“変な汗”。30年間運動をほとんどしてこなかったので、体内の“毒素”が出たって感じ。自分の汗で滑って転びました。笑

 その後も、次々に声をかけて頂き、3名の方と稽古してしまいました。もう精も根も尽き果てました。

未使用の一刀用の竹刀を捨てた


 「剣道をやるなんて言わなきゃよかった」

 リバ剣初日にいきなり二刀で稽古して、あまりのつらさに帰りの車の中でそう思いました。心から後悔しましたね。

 帰宅してすぐ、竹刀袋から一刀用の3.9の竹刀を取り出した。そして、“のこぎり”でその竹刀を切り刻んで捨てました。

 「もし、一刀を執ったら、そのまま一刀に逃げてしまい、二刀の稽古をしなくなる」そう思ったから。

 リバ剣と同時の二刀での稽古。その苦しさは、想像を絶していました。
 
 

注目の投稿です

宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

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