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2021年1月31日日曜日

剣道 戦国期の下克上が意味するもの

「下達」が駆逐され「上達」への道が拓かれた戦国時代


「下達」とは


 論語の一節に「君子は上達す、小人は下達(かたつ)す」という言葉があります。
 凡人は、とかくつまらぬことに悪達者になる。励めば励むほどかえってそういう方向に突き進んでしまう。やがて手に負えない厄介者になり、私はこんなにすごいと言って周りを睥睨(へいげい)する。実は、並以下の者でしかないのに。これが「下達」の意味なのだそうです。

 私たちが生きている世間には、ありとあらゆる種類の「下達」があります。武道家には武道家の、宗教家には宗教家の下達があって、理から離れて自分勝手な空想から物事を裁断するのに忙しい。「下達」同士の争いは歴史の本体を成していると言っても過言ではないかもしれません。

下克上という思想


 日本の戦国期に「下克上」というものがありました。「下克上」という言葉自体は誰もが聞いたことがあると思います。下位の者の勢力が上位の者に打ち勝つ、というような意味でとらえられるのが普通です。
 具体的には、戦国期に「下克上」という考えが広がり、それが思想化していった。そして、下達する者の架空の権威や争いが、至るところで徹底して破壊されたことを言います。

 その時代、小智を誇る架空の学問は破壊された。諸芸を守る家系の権威も一蹴された。政治も宗教も何もかもが叩き壊された。下達がどこでも通用しないことは、いやでも知るほかない状況が、百年以上も続いた。これは見方を変えれば大変重要なことではないかと思うのです。
 後世に生きる私たちは、この出来事によってもたらされた意味に気づかなければなりません。

 下達が通用しなければ、上達しかない。けれども、上達とは何で、それはどこにあるのか。

 こういう問いを根本的に立てようとした人が、おそらく戦国時代には出現していたに違いありません。もちろん上達というものが通用する見込みだってない。すべてが、際限のない下克上の嵐かも知れない。血で血を洗う乱世が百年以上も続いた。人間の領域に「上達」が存在することは、この時にこそ最も強く信じられ、希求されたのではないでしょうか。

兵法における「上達」


 下克上の思想から希求されたものが、まず何と言っても兵法における「上達」だったことは、至極当然のことと思われます。
 戦国期を通じ、軍略はさまざまに変化せざるを得ず、武器と戦法とのありとあらゆる工夫が試されては壊された。人はこの領域で下達、停滞することは許されなかった。と同時に、上達への路もまた見いだせないままとなっていた。

 このような状況の中で、剣法、刀法だけが、兵法として驚くべき独特の飛躍を生み出すことができたのです。言い換えれば、刀法は「上達」への路を突如として開き、言わば「上達」がこの世にあり得ることを証明しました。

偶然から脱し普遍原理に到達


 身体運動の一般法則によって試される戦闘が、いかに一寸先も闇の偶然に委ねられているかを、少なくともこの時代の武士たちは見尽くしたに違いありません。それが彼らを圧する実感だったでしょう。
 どんな下達もここでは空しい。それ故に、彼らが達しようと願ったところは、こうした一般性の外だったのではないでしょうか。

 その結果、実際に彼らの一部は「剣理」に達しているのです。達した領域で「上達」が生み出された。あるいは、思想としての下克上を脱せしめる普遍的な何事かが、そこで起こった。
 下達を破壊して嗤(わら)う思想は、一般化して時代の潮流を作りました。奇跡のごとく生み出された「上達」への通路は、少数者が実現する普遍原理となったのです。

兵法の「上達」はこのように顕れた


 剣法、刀法において、この時代に「上達」が顕れた具体的な変化として、諸手刀法の登場というものがあります。世界の剣技が片手で行なわれるのと同様に、室町以前の日本も、太刀を片手で操作する片手保持刀法でした。そして、室町後期に諸手保持刀法が芽生え、戦国期以後はそれが全盛となる。(片手から諸手に刀法が変更された経緯は、こちら
 
 変更された理由は二つしか考えられません。ひとつは、平安末期から続いてきた太刀打の動作体系が、通用しなくなったため。もうひとつは、その動作体系がある決定的な飛躍によって、新たな段階を開いたためです。

 なぜ、片手で太刀を振る動作体系が通用しなくなったのか。この動作体系では、乱戦というある意味の極限状態の中で、限界を知ることになってしまった。それは、同程度に熟達した者同士の斬り合いでは、どちらがどのような理由で勝つのか、このことがわからないのです。
 うっかり斬りをはずされた者、受けが間に合わなかった者、躊躇して動きが一瞬遅れた者、こういう者たちがたまたま不覚を取る。このようにして生じる勝敗は、スポーツなどでは立派な勝敗でしょうが、刀法では偶然にすぎません。いや、偶然と考え、その偶然を根底から克服しようと願うことが、刀法の探究に生きる意味だった。

「流祖」となった達人たち


 戦国末期の茶の湯と刀法とは、乱世に平常心を得て生きようとする二種類の徹底した探究として成立していました。
 茶の湯がそのようなものになるのに、利休という天才を要したように、刀法にもまた上泉伊勢守(新陰流流祖)のような天才が必要だったでしょう。
 しかし、〈太刀打の偶然〉を超えようとした者は、むろん伊勢守だけではないし、彼が最初の人間でもない。

 鎌倉中期までは片手で太刀を操作していたものを、その後、わざわざ両手で持ち、あえて我が身を相手にさらすような刀法に変更したのは何のためだったのでしょうか。確実に言えることは、身体と刀との相関関係を大きく変えうる何かに、彼らが到達したということです。

 片手刀法は、刀は振られる腕の延長であり単なる武器に過ぎず、それ以上でもなければそれ以下でもない。一方、両手保持の諸手刀法はそうではありません。腕は刀ではなく、刀は腕ではない。刀は決して腕で振ってはならない。体全体の軸移動の中に法があるのです。
 この運動は、身体のすべてと刀との厳格で複合的な結合によって出来ています。この結合の形式は、当然我と敵との間の関係の性質を変えます。
 こうした事を、実地の経験において考え抜き、答えを引き出した人間が幾人かいた。彼らはそうやって「流祖」となったわけです。

 その「流祖」たちが到達した刀法の共通した剣理が「刀身一如」でした。(刀身一如の大原則とは、こちら

武蔵の片手刀法は「下達」なのか


 宮本武蔵は、この戦国流祖たちが世を去ったころに生を受けました。
 戦国期の流祖たちが具現化し到達したそれぞれの剣の法を、ひとつの思想問題として決着させようとした人物、それが宮本武蔵です。

 武蔵は、著書『五輪書』の中で、太刀は片手で振るものだと言っている。二刀を執る理由は、片手刀法の修練のためだと。

 では、武蔵は、刀身一如の原則を否定したのでしょうか。いえ、武蔵は単なる片手刀法への回帰を謳ったのではありません。彼の二刀は、戦国流祖たちがもたらした深い革新である刀身一如の大原則を極めて厳密に受け継いでいます。
 武蔵が言うように、二刀を用いて稽古することは、その受け継いだ運動感覚を一層鋭く、自由なものに研ぎ上げるための手段にほかならなかったのです。

 誰もが、勝負の馬鹿げた運で死にたくはない。では、何を知り、何に熟達することが、この偶然の底なしの闇に勝つことなのか。武蔵は戦国武士が強いられたこの課題を、乱世が収束した時代にやって来て、たった一人で思索せざるを得なかった。彼は歴史の中に、そんな具合に生まれついた人なのです。

上達の至極「実の道」


 宮本武蔵は、剣の理法が、またそのための稽古が、そのまま生きる目的や理由になりうることを、「実(まこと)の道」という真に普遍的な思想によって明るみに出しました。
 武蔵は、およそ技術を持ち道具を用いて生きていく人間のあいだに無数の度合いで存在する、ある語りがたい働きの総体を「実の道」と呼んでいた。(「実の道」に関する記述は、こちら

 「実の道」は、人をも物をも活かしきる道で、何かを殺すことによって成り立つ道ではありません。兵法者は人を斬るのではなく、斬らなくてはならない事態に、常にあらかじめ「勝つ」人でなければならない。これが武蔵の兵法思想です。

 兵法は手技から出発しますが、手技のひとつであることをはるかに超えていきます。超えていくがゆえに、すべての手技に貫通する道を知ることができる。物を活かす道そのものを観ることができるのです。兵法の目的は実にここにこそあるのだと、晩年の武蔵は確信していたようです。

 下克上という戦国期の武士たちにもたらした探究が、ここに帰結しているのです。

 上達の至極「実の道」を体得した者が、どんな心持ちであるか。この稿の最後に、武蔵の言葉を引かせていただきます。

 兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其(その)ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々(よくよく)吟味(ぎんみ)すべし。静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰(たい)につれず、躰は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心はよはくとも、そこの心をつよく、心を人に見わけられざるようにして、小身(しょうしん)なるものは心に大きなる事を残らずしり、大身(たいしん)なるものは心にちいさき事を能(よ)くしりて、大身も小身も、心を直(すぐ)にして、我身のひいきをせざるやうに心をもつ事肝要(かんよう)也。心の内にごらず、広くして、ひろき所へ智恵(ちえ)を置くべき也。智恵も心もひたとみがく事専(せん)也。(『五輪書』水之巻より)



引用・参考文献
 『剣の思想』甲野善紀 前田英樹 往復書簡 青土社 2013年



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2020年11月21日土曜日

剣道 「ナンバ」の足法は単なる歩き方の練習ではない

運動法則を根底から変更する


反発の原理を解除して得られるもの


 前回の投稿で、反発の原理をもって動作を起こそうとする運動法則を、解除するスイッチが体内にあると言いました。それを切り替えるために、ナンバの足法を身に修めるのだと。
 では、そのナンバの足法を身につけたら、何が変わるのでしょうか。
 それは単に、“送り足”が上手になるとか、“打突の起こり”が相手に察知されずらくなるとか、それだけのものではありません。もっと深いもっと根源的な問題を一挙に解決する「兵法の身なり」を稽古するために必要な身体運用法なのです。「兵法の身なり」とは『五輪書』にたびたび出てくる言葉ですが、そのことについて宮本武蔵はこう述べています。

 「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とすること肝要也」(『五輪書』水之巻)

 兵法の身が常の身と異なるものでないのなら、稽古など必要ではありません。しかし、これは、稽古によって常の身を深い次元で改変し兵法の身を修め、その兵法の身を常の身そのものに還元するのだ、と武蔵は言っているのです。

 ナンバの足法を前提とした「兵法の身なり」を修めた場合には、ただ真っすぐ正面向きに歩くだけなら、上体はぶれません。反動動作は自然に消えます。歩く時に両手を振ることは、一種の反動動作を用いることですから、これも自然に消える。
 この時、移動軸は体を左右対称に割った真ん中の線におのずと決まります。こうした厳密さだけが、武道(武術)を西洋から押し付けられてしまった運動法則から解放する基礎なのであり、先人たちが到達した理(ことわり)なのです。

地面に対する反発を解除する


 「ナンバ歩き」は、古来、日本人特有の歩き方。(ナンバ歩きについては、こちら
 日本の武術はこの身体運用法を前提としているといってよい。これができるようになれば、左足で床を"蹴って飛ぶ"必要がなくなり、右足を踏み出す前の溜がなくなる。
 構えた時に腰を入れて構えられるので機を逃しませんし、打突時には引付けようと思わなくても左足は引付けられます。

胴体に対する反発を解除する


 刀を振る時に、腕と胴体が反発し合っていては、自らの動作の起こりを相手に教えているようなものです。 
 まず、竹刀の柄をを小指と薬指で軽く握り締めること。小指から脇の下につながる筋肉(これを下筋と呼びます)が締まり、腕の動きと胴体は反発しない。わしづかみにすれば、体と剣はバラバラになり、互いに反発し合います。
 この時大事なのは、ナンバで身につけた“腰始動”で腕を振ることです。動作の“起こり”を腰で行なうわけです。
 

竹刀の重さに対する反発を解除する


 竹刀の重さに反発したり、力でねじ伏せるようなトレーニングはいつまでも続けられるものではありませんし、また、その意味もありません。
 重要なのは、構えた時の竹刀の重心の位置や、打突時の竹刀の重心の軌道です。竹刀の重心を意識した操作をすることによって、竹刀の重さを引き出して(利用して)振ることができる。(片手刀法の重心に関する記述はこちら
 例えば諸手一刀中段に構えた場合、竹刀の重心を頭の上に引き上げて振りかぶるのではなく、振り上げた竹刀の重心の下に右足を踏み出して体を入れる。体を一歩前へ出して、振り上げた竹刀の重心の下に入るのです。そして振り下ろす。
 前者は、竹刀の重心のベクトルが後方に向かってしまう。後者は、ベクトルが前方に向いた状態で、体が移動するベクトルの方向と一致します。前方にいる相手を斬るという、体のベクトルに反発しないわけです。
 竹刀の重量と重心の方向を感じ取っていれば、その重量が移動する動きに腕が加勢するように振ることができます。

相手の動きに対する反発を解除する


 相手との対立を一挙に無にすることです。相手と自分との解きがたい相互反発を解く。
 これは、間合いや拍子の鍛錬に関わっており、稽古の最終段階に属します。 
 力まかせに打ったり、独りよがりに技を出すのではない。相手の力を利用し、移動しようとする動きを利用し、拍子をつかみ、相手を引き出す。
 相手を敵ではなく、あたかも理合を体現するための協力者のように動かすことです。


 何ものかに反発する時には、人はそのものを知ることができません。
 反発の原理から解放されることによって、「常の身」は変化する相手の運動そのものの中に入り込み、それが崩れる一点に我が身の移動を置くことができるのです。
 武蔵はひとりそれを「勝つ」と表現しています。



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2020年11月14日土曜日

剣道 作用/反作用の運動法則から抜け出る ~コロナ禍の再始動~

稽古自粛からの再開


稽古ができない


 2020年1月、仕事が多忙となり道場へ稽古に行く時間がとれなくなった。
 「またすぐに稽古に行く時間をつくれるだろう」
 そんなふうに安穏と考えていたところ、世の中の状況が変わってきた。お隣の国で未知のウイルスが拡散し、多数の死者が出ているという。
 2月には日本でも感染が広がり、外出自粛措置がとられ、道場も稽古休止になった。

 7月に入り、感染対策をして稽古再開する道場が出はじめた。私の所属する道場もその一つ。しかし私は急性リンパ性白血病の治療中のため、感染症にかかれば重症化は免れない。(私の急性リンパ性白血病闘病記事はこちら
 「もうしばらく状況を見極めてから再開しよう」
 そんな気持ちでいたのだが、それがだんだんと"言い訳"になっていると気づいてきた。

 道場が稽古休止の措置をとっても、自宅で"ひとり稽古"はできる。素振りはもちろんできるし、打ち込み台もある。
 5月ぐらいまでは自宅で”ひとり稽古”をしていたが、それだけでは煮詰まってくしモチベーションを上げることができなくなってきた。

 とうとうそれ以降は自宅で竹刀や木刀を握ることさえなくなっていた。

きっかけは妻のひと言


 「基本を一から教えてほしい」

 10月に入って、妻からこう言われた。
 息子が小1で剣道を始めたのをきっかけに、40歳を過ぎてから剣道を始めた妻は、三段を取得して以降は伸び悩んでいた。リバ剣してきた同年代の女性たちが次々と昇段していく中、このままではいけないと思ったらしい。
 
 以前は、私のアドバイスには一向に耳を傾けなかった妻。壁に突き当たってようやく稽古法を見直す決心ができたようだ。もう少し早く気づいてくれればと思うが仕方がない。しかし私にとってみれば、私自身の稽古再開のチャンスだ。妻の申し出を快く引き受けた。

 今から6年前の2014年、当時中学2年だった息子がやはり壁に突き当たって剣道を楽しめない時期があった。その原因は基本をおろそかにしているからに他ならないのだが、当の本人というのはまったくそれに気づかないものだ。あれこれと小手先の技を研究するという外道(げどう)にはまっている。見かねた私は、息子と一緒に基本を一から稽古し直すことを決意した。約一年間週一回2時間、二人だけの稽古をしたことがある。(その様子はこちら

 その時、使用したのが市総合体育館の剣道場だった。今回もここを借り切って、妻と二人で稽古することに決めた。中学までは弱小剣士だった息子が、その後は高校大学と剣道の強豪校に進学するまでになったが、果たして妻はどうなるか。

この稽古の目的


 息子の時と同様、この稽古の目的は作用/反作用の運動法則から抜け出し、反発の原理をもって動作を起こそうという身体運用を解除することだ。
 古流の身体運用を知らずスポーツ化した練習法をされている方々は、作用/反作用の運動法則を最大限に利用し、苛酷な反発動作に耐えうる肉体をトレーニングによって作っていることだろう。しかし、これでは必ず限界は来る。10代でその限界を感じてしまう人もいれば、30代で自覚する人もいる。たいていの人は、そこで剣道から心が離れてしまう。こんなにつまらない話はない。
 
 幸い私は幼少の頃に、古流の流れを汲む道場で剣道を習った。(その道場についてはこちら
 その頃に伝えられた剣道と今の剣道は、まったく違うものになっていると言ってよい。武道である剣道がスポーツ化の道を歩んで久しい今日、古(いにしえ)から連綿と伝えられてきた剣道(剣術)が下達(かたつ)の道を進んでいる気がしてならない。

 妻が身につけた「剣道」を見ていると、スポーツの訓練をしているようにしか思えないのだ。これでは運動神経が発達し、跳躍力や瞬発力がある若年層には可能だが、壮年には無理な話だ。この"訓練"が可能な年齢の人でも、そのうち限界は来る。
 戦国武士が敵と相対した時に、「跳躍力や瞬発力が低下したので戦えません」と言い訳するのだろうか。戦国武士にスポーツ選手のような引退はない。いついかなる時も、すべてを捨てて抜刀しなければならない事態に備えなければならなかったはずだ。

 話をもとに戻そう。
 作用/反作用の運動法則から、なぜ抜け出さなければならないのかについては、稿を改めて記述するつもりだ。
 ではその作用/反作用の運動法則から抜け出す方法、反発の原理をもって動作を起こそうという身体運用を解除する方法とはどんなものか。
 それは人が生活する上でもっとも基本的な動作を、深い次元にまで下りて変更することなのだ。

「ナンバ」の足法と刀法


 "ナンバ歩き"という言葉をご存知の方も多いと思う。日本人が江戸時代の末期まで、当たり前のように身につけていた歩き方であり身体運用法のことだ。
 明治維新になって身体運用にも変化をもたらす要因が起こってきた。和装から洋装へ、草履履きから靴履きへ、そして西洋式の軍事教練の導入など、“足裏で地面を蹴って前へ進む”動作を求められるようになった。その結果、上体をひねって腕を振りながら歩くという反発の原理を利用した身体運用法に変化してしまった。

 すると、日本古来の足法である「ナンバ」は日常の動作から消えていく運命をたどることになった。現在もかろうじてその足法が残されている分野としては、能楽、古武道、古流剣術、相撲などであろう。時代劇のプロの役者の方の中にも「ナンバ」の足法を身につけている方々を見かけることがある。

 日本の室町末期から戦国期にかけて確立された諸手刀法(両手で刀の柄を保持するもの)はこの「ナンバ」の身体運用がベースとなって生まれた刀法だと言ってよい。言い換えれば、日本人が「ナンバ」の動作を身につけていなかったら、あるいは身につけられなかったら、刀身一如の諸手刀法は誕生しなかったことになる。(刀身一如についてはこちら
 
 私が2010年に、30年のブランクから剣道を再開した時も、まず取り組んだのは「ナンバ歩き」の稽古だ。これは単なる歩き方の練習ではない。
 反発の原理をもって動作を起こそうとする運動法則を解除する「スイッチ」が体の中にあるのだが、その「スイッチ」を切り替えるために修めなければならないのが「ナンバ」なのだ。(過去の「ナンバ歩き」に関する記事は、こちら

二人だけの稽古


 2010年に剣道を再開してすぐに右ヒザの半月板を損傷して手術。(そのことに関する記事はこちら
 2017年には急性リンパ性白血病になり、約1年間の入院生活。(そのことに関する記事はこちら
 そして2020年、今回のコロナ。
 よくも稽古継続を阻むような出来事は次々と起こるものだ。しかしその困難を乗り越えるたびに、わずかだが成長させていただいている気がする。感謝しかない。

 妻と二人だけの稽古は、私が妻に剣道を教えるという偉そうなものでは決してない。剣道は、一心に稽古する本人が学ぶしかないと思っている。しかし、その土台となる部分は手ほどきを受ける必要がある。
 そしてなにより、私自身が基本中の基本をもう一度やり直す機会だと思っている。
 剣道に限らず、「理」を追求する者にとっては傲慢な考え方は命取りだ。いつも肝に銘じている。

 この稽古の初回で妻に伝えたことは、いかに足で地を蹴らずに移動するかという一点だ。
 これは、体さばきに課せられる最初の問題だ。足で地を蹴って前へ進むことは、作用/反作用の原理の運動法則に従ってしまうことだ。
 戦国期の流祖たちによって実行された「反発の原理の解除」。
 まずはこれを身に修めることが上達への道だと確信している。



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2020年4月8日水曜日

剣道には人それぞれの実現形がある

否定してはならないその人の実現形


他人との違いを認められなくなってしまった現代剣道


 剣理をどう体得しているかが、その人の現時点での実現形(じつげんけい)に表れます。礼法、構え、足さばき、打突、残心、そして理合。そのすべてにはっきりと浮き出てしまうのが剣道。
 ウソはつけませんし、取り繕うこともできない。だから心を開いて謙虚に今の自分をさらけ出すしかない。何年キャリアがあっても、段位が何段であっても、たとえ高段者であってもです。
 その不断の稽古によって、人間形成の道が開かれていくのが武道としての剣道。スポーツのように年齢が来たから現役引退、あとは高みの見物でご意見番に、なんてことにはならない。戦国武士たちに現役引退などあるわけありませんからね。いざという時は、すべてを捨てて抜刀しなければならなかったわけですから。

 その武道としての剣道が、スポーツ化している側面を持っていることを、危惧している人は多いと思います。(剣道のスポーツ化に関する投稿は、こちら
 その一つとして、画一化ということがある。他者との違いを認められない風潮のことです。

実現形の違いは戦国期に剣術の「流派」として現れた


 室町末期から戦国期にかけて、剣術には流儀(流派)が生まれます。新当流(神道流)、念流、陰流(これを剣術の三大源流と言います)に始まり、その後に登場する新陰流がその概念を確固たるものにします。
 さらにその後、一刀流流祖の伊藤一刀斎、二天一流流祖の宮本武蔵、示現流流祖の東郷重位らが、流儀(流派)の概念を先鋭化させていきます。

 これらの異なる流儀(流派)は刀身一如を原則としていて、体現している理の部分は一致していました。しかし、理に対するアプローチの仕方が異なるという点において、実現形にはっきりとした違いが表れていたのです。それは、各流儀に伝わる形(かた)を見れば明らかです。
 アプローチが違っていても到達した剣理は同じであったため、明治期に「剣道」として諸流派を統合することができたのだと言えるでしょう。(「刀身一如」についてはこちらをご参照ください)

剣道家にも「流派」があった時代


 私が剣道を始めた昭和40年代は、元に立っている先生方は、皆さん大正生まれ。例外なく古流のいずれかの流派に属している方々でした。そのためお一人お一人の剣風はまったく違うものでした。(その当時の様子は、こちら
 教え方も様々で、各流派ごとに特徴がありましたね。しかし、言わんとする理は同じ。ここが剣道の魅力であり、神髄なんです。
 そういった流派の違いを超えて、一堂に会して稽古し、教え教えられるのが剣道だった。

 見た目や剣風の違いにとらわれることなく、根底にある理をつかもうとしていたあの時代。今とは比べものにならないくらい道場に活気がありました。
 画一化して、一見するときれいにまとまっているように見える現在の方が、いろいろな意味で雑になっていますね。礼儀をおろそかにしている人が多いし、体現できなくなってしまった理合や刀法もあります。そのことに現代の剣道家が気づいていないことは問題です。
 現代の剣道指導者たちは、剣道を非常に狭い枠の中に押し込めていることを自覚しなければなりません。このまま画一化が進んでいけば、剣道においては「自然体」という言葉は死語になります。奇矯な動作を訓練して身につける、一部のアスリートのためのスポーツと化していくことになるのではないかと危惧しています。(「剣道のスポーツ化」については、こちらをご参照ください)

身体的理由としての差異


 話はちょっとそれましたが、一人ひとりの実現形が異なる理由として、骨格や筋肉のつき方の違いということがあります。
 以前、解剖学がご専門の医師が書かれた記事を読んだときに、ちょっと驚いたことがあるのです。骨格は、体の大きさや身長の高低がありますから、違いがあるのはわかります。筋肉は、鍛えられたものとそうでないものが違うのは明らかです。しかし違いはもう一つあって、それは筋肉がついている場所なのだそうです。

 筋肉は腱で骨とつながっています。その腱で骨とつながっている場所が、一人ひとり違うそうなのです。それも、ちょっとずれているというものではないそうで、驚くほど離れている場所についている場合があるそうです。
 それだけ違う場所に腱がつながっていれば、物理的に全く同じ動作をすることは不可能なのだそうです。

 野球のピッチャーを例に挙げると、昭和の時代まではサイドスローやアンダースローのピッチャーが活躍していたことをご存知の方も多いのではないでしょか。これも、それぞれの部位についている筋肉の腱の位置が違うため、最も速くキレのある球が投げられるフォームが、人によって違うというわけです。
 現在は、ほとんどのピッチャーがオーバースロースタイルですね。もともとオーバースローに適した位置に筋肉がついている人には良いわけです。そうでない人は、ピッチャーとしては淘汰されてしまう。サイドスローやアンダースローという選択肢が事実上ほぼ閉ざされているからですね。

 このように、変更不可能な身体的理由で、全ての人が同じ動作ができるわけではないのです。

感覚的理由としての差異


 指導者によって教え方が違うということはよくありますね。これは、前述した剣術諸流派のようにアプローチの仕方が違うだけで、伝えようとしている理は同じであれば問題ありません。
 一つひとつの動作の意味のとらえ方、解釈の仕方は、皆が全く同じわけではありませんね。人それぞれ微妙に違う。それが指導にもはっきり表れます。

 また、指導を受ける側も、受け取り方が完全には一致しないのは言うまでもありません。人それぞれの解釈は違う。同じ段位でも剣道のとらえ方の深さは異なるのです。
 自分と同じようにとらえている人は、自分しかいないということですね。

 そういった感覚的な要因でも実現形に違いが表れます。

現代剣道においても剣風に違いがあって然るべき


 このように剣道を理解する深さが、他人と100%一致することはあり得ないことですが、それを自分と同じように理解させようと言葉で諭そうとするあまり、相手を全否定してしまう高段者がいることも困ったものです。
 人それぞれの実現形が"正しい"と言っているではありません。他人の今現在の実現形を尊重し、さらに上達することができる稽古をしてあげることが大切なのです。
 必要なのはお互いに理を追究する謙虚さであって、現段階の実現形の違いを否定することではないのです。

理の追究の機会を閉ざされてしまう人がいる


 剣道を画一化平均化しようとすることによって、結果的に他人との比較に終わるようなことになっている気がします。相対評価なんですね。これは評価する側もされる側も相対評価が基準になっている。

 評価する側(指導者)がそうなるのは絶対評価をする能力がないからです。自分とは違う剣風にとらわれて、理の体現を認識できない。認識できていたとしても、剣風の違いをことさらに問題視する方は多いですね。

 一方、評価される側にはさらに深刻な問題が表れます。指導者が相対的基準で指導しますから、指導を受ける側も自己評価を相対的基準で行なう癖がつきます。
 他人ができて自分ができない動作や技、試合に勝てないこと、あるいは強かった子が勝てなくなるなど、こういったことが気になり始めると、剣道をやめるきっかけになりますね。小学校の高学年あたりや、中学1年、高校1年でそういうことになってしまう人が多いのは大変残念なことです。(私の息子も剣道への情熱を失いかけた時がありました。その様子は、こちらをご参照ください)

 他人との比較で終わらないために、子供たちには理の体現という目標(喜び)とそのための稽古の意義を正しく伝えることが大事です。

剣理を教えることはできない


 剣理とは体得するものであることは言うまでもありません。他人に教えることはできない。教えられるのはせいぜい剣理を体得するための稽古の仕方ぐらいではないでしょうか。あとは本人が心を開いて一心に稽古するしかない。理をつかむのは本人なのです。

 ですから、他人に翻弄されないために、正しい稽古、自分に合った稽古法を見つけることは重要です。そのために、古流を学ぶことはたいへん有意義だと思います。

 前述した通り、剣道とは明治期に剣術諸流派を統合してできたものですから、剣道にとって古流は“親”です。さかのぼってルーツを知れば、おのずと現在が見えてくる。剣道で当たり前のように指導されている一つ一つの動作の深い意味を知れば、稽古で得られるものが全く変わります。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」という稽古本来の意味を知ることになるでしょう。
 

理にかなった剣道を目指して


 結局のところ基準は、自分の剣道が理にかなっているかどうかです。
 理にかなっていることを立証する行為が、理合の体現ということになる。
 それが喜びとなり、相手はその喜びの共鳴者となる。これが剣道のおもしろいところ。

 例えば新陰流にあっては、勝敗は創造された運動世界の切り離せない「表裏」のようにして成り立ちます。敵手はあたかも進んでこの世界の成立に協力するかのように動かされる。敵の太刀筋が差し込む光なら、自分の太刀筋はその陰のごとくに働く。勝つことは、この光を十全ならしめる陰となることにほかなりません。

 そのための実現形の次元や水準が人によって違うのは当然のこと。堂々と今の自分をさらけ出すことの何がいけないんでしょうか。
 他人との実現形の違いから何かを学ばなければならないのは、それを否定している人のほうではないでしょうかねぇ。


追記

 以前、ある方からこんな話を伺いました。

 その方は、30代の前半で剣道六段を取得しましたが、そこから七段へはなかなか昇段できず、20年が経ってしまったそうです。その間、あちこちの八段の先生の道場に伺っては指南を受けていたそうですが、迷いの心が次第に強くなってしまった。

 そのようなころ、友人に誘われて地元近くの道場に出稽古に行ったときに、稽古をお願いしたのがTNK先生。なんと、私の小学生時代の恩師。(TNK先生については、こちらをご参照ください)
 その方が迷いの中で剣道をしていることを見抜いたTNK先生に、ある言葉をかけられたそうです。その瞬間、暗闇の中でもがいていた自分に光明が差したとのこと。
 そして、TNK先生のもとに通うこと一年。見事、七段に昇段できたのだそうです。20年ぶりの昇段にその方はたいへん喜んでおられました。

 初対面のTNK先生にかけられた言葉は、こうだったそうです。

 「〇〇さん、自分の剣道をやりなさいよ」


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2020年3月20日金曜日

剣道 刀身一如の大原則

日本独特の刀法


土台となる概念


 剣道に関する書物を読んでいると目にすることがある「刀身一如」という四文字熟語。この解ったようで解らないような言葉の意味とはどんなものなのでしょうか。

 この「刀身一如」という四文字熟語はもともとあった思想に後付けされたものです。読んで字のごとく、刀と身体が一体となって、という意味です。
 その元となる概念は、約400年前に戦国流祖たちや上泉伊勢守、宮本武蔵らがそれを顕かにしております。彼らは概念だけでなく、それを実現するための刀法と理合を体現した人たちです。

 現代剣道では、後付けした「刀身一如」という言葉のイメージからか、抽象的な表現で解説されることが多くなってしまったような気がします。禅に影響されたようなインテリぶった理屈をつけて、自己満足を披瀝しているような解説を、剣道誌などに寄稿している剣道家がいらっしゃいますね。
 しかし、「刀身一如」は、不断の稽古の中で、もっと具体的に伝えられるべきものだと思いますし、本来はそうであったと思います。

 古流はもちろん現代剣道を稽古する上で、この概念を正しく具体的に知ることは、一生をかけて稽古するための、揺るがない土台作りになると思います。そういった意味において、この稿では刀身一如を剣道の"大原則"と位置付けることにします。

戦国流祖たちが到達した境地


 皆さんご存知の通り、現在の剣道は、明治期に剣術諸流派を統合したものです。江戸期には数百といわれる流派がありましたが、その源流となった流儀が新当流(神道流)、念流、陰流の三つです。この三大源流が登場する室町末期から戦国期に、刀法の革新的な変更があったことは、前回のコラムで書きました。(前回のコラムは、こちら

 室町中期以前は片手で刀を操作していたものを、諸手(両手)で操作する刀法に変更した。片手刀法から諸手刀法へと刀法が変更したその理由は、あらゆる敵に“あらかじめ勝つ、勝つ必然を得る”ためにです。しかし、そのために単純に片手から諸手(両手)に替えたというものではありません。
 いかなる場面でも敵を制するために流祖たちが到達した境地、それが刀身一如。その刀身一如を体現するために諸手刀法という日本独特の操法にたどり着いたということです。

刀身一如とは


 刀を諸手(両手)で持つ目的はひとつ。敵を斬るために身体が移動する、その移動の力と刀の働きを完全に一致させるためにです。身体の移動軸が敵に向かって動く。その動きが刀を通して敵の心と身体を崩す働きとなる。
 具体的には、相手と正対し、身体をひらかず腰を入れ、機をみて身体もろとも打ち込んで仕留める。その瞬間、防御は一切なし。まさに捨て身の刀法なのです。

 現代剣道では、初心者に対して竹刀は両手で握るものと教えますね。だから刀を両手で持つに至った経緯が分からない。諸手刀法の目的、刀身一如の深い意味が伝わりにくいという側面があります。

武蔵は刀身一如を否定したのか


 一方、宮本武蔵は、戦国流祖たちが世を去ったころに生を受け、江戸初期に生きた人です。いわば、刀身一如の諸手刀法が全盛となっていた時代。そんな時代に、二刀を自流の原則とし、「やっぱり刀は片手で振るものだ」と言って、諸手刀法を否定した人です。

 では、武蔵は、刀身一如の原則まで否定したのでしょうか。

 武蔵が著書『五輪書』の中で説く「兵法の身なり」、「足づかひ」、「目付け」、「太刀の持ちやう」、「太刀の道」。それぞれの節には、刀身一如を体現するための具体的な稽古法が解説されています。
 つまり、武蔵の二刀は単なる片手刀法への回帰ではなく、戦国流祖たちがもたらした刀身一如という深い革新を、極めて厳密に受け継いでいる。(武蔵は、実際に、幼少期に養父から当理流という諸手刀法を仕込まれているのです。)しかも二刀を用いることによって、戦国流祖たちの革新から受け継いだ運動感覚を、むしろ一層鋭く、自由なものに研ぎ上げようとした。実際、彼はそれを生涯をかけて体現することに成功しているのです。
 

外道に陥らないために 


 このように、諸手刀法でも片手刀法でも、一刀でも二刀でも、刀身一如は共通の原則であることが解ると思います。現代剣道においても、それが連綿と受け継がれており、これからもそれを伝承していかなければならない。これが日本の伝統文化としての剣道の核心部分なのです。

 しかし、残念なことに、刀身一如の大原則を無視するような稽古の仕方に明け暮れている人たちがいることも事実ですね。小手先の技やフェイント技に勝機を見いだそうとして、あれこれと奇妙な技をひねり出す人たち。
 こういった外道(げどう)といわれる者の特質は、理から離れて自分の勝手な空想から物事を裁断することにあります。
 相手の間抜けが原因で、たまたま勝ったに過ぎない幾つかの経験から、技をでっちあげる。自分では達者に立ち回って素人を欺き、大いによろしくやっている気でいるのかもしれません。しかし彼らは、俗世の幻想を維持する駒のひとつとなって、走り回らされているに過ぎないのです。
 その外道たちの行く末は皆さんご存知の通り。自分の技が通用しなくなって試合に勝てなくなったり、格下の者に打ち込まれるようになったり、昇段できなくなったところで、剣道をやめてしまう。稽古すべき正しい方向を、はるか前に見失っているからなのです。

 いにしえに流祖たちが具現化した刀身一如。その大原則を心に刻んでいれば、稽古すべき道は、目の前にはっきりと現れてくるのではないでしょうか。

 この稿も、最後に武蔵の言葉を引かせていただきます。
 手をねじ、身をひねりて、飛び、ひらき、人をきる事、実(まこと)の道にあらず。人をきるに、ねじてきられず、ひねりてきられず、飛んできれず、ひらいてきれず、かつて役に立たざる事也。我(わが)兵法におゐては、身なりも心も直(すぐ)にして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝つ事肝心(かんじん)也。能々(よくよく)吟味あるべし。(『五輪書』風之巻)


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2020年2月14日金曜日

剣道 成長した息子を見て思うこと

驚きと感動の光景


追い出し稽古


「ああ、私が伝えたことをすべて実行しているんだなぁ」

 2019(平成31)年3月4日、都内某高校の剣道場。急性リンパ性白血病を克服して、久しぶりに息子が通う高校へ。この日は、3年生が卒業する直前に行われる「追い出し稽古」の日。
 都内では剣道強豪校の一角を占める学校で、3年間部活を休むことなく継続してきた息子。高校での最後の稽古を観るため、息子の学校へ行ったときに率直に感じたことです。

 まずは通常のメニューで稽古開始。そして最後に、卒業する3年生が元に立って地稽古になるのですが、下級生たちが次々に本気で掛かっていく。
 稽古をつけてやる立場の3年生がヘトヘトになって音を上げる、いわゆる「追い出し稽古」。息子の試合の観戦をしたことはありましたが、私が大病をしてしまったこともあり、高校生になってからの稽古を観る機会はほとんどありませんでした。

泣き虫少年剣士


 小学1年で剣道を始めた息子。その3年後に私が剣道を再開しました。ちょうど30年のブランクを経て。
 小学校低学年の頃の息子は、道場でいつも泣いてばかり。そんな息子がかわいそうで見ていられず、あまり道場には行かなかった私。しかし、あるきっかけで息子が小学3年を終わる頃に、私が剣道を再開して同じ道場で稽古するようになった。(あるきっかけとは、こちら

 「お父さんが始められてから、息子さんの剣道が変わりましたよ」

 ある保護者の方にかけられた言葉です。息子が剣道に真剣に取り組むようになったんですね、この時。強くなりたい、上達したいという気持ちが芽生えたようです。

試合で勝てない


 息子は小学校高学年になって、毎週のように対外試合に行くようになりましたが、試合に勝てないんですね。所属道場内ではそこそこでも、大会に出たら勝てない。
 それでも剣道が大好きで、張り切って稽古に行く姿を見て、息子自身が壁にぶつかるまでは、アドバイスはしないでいました。本人が吸収できる時に伝えないと、理解できないと思いまして。

剣道が好きでなくなっているかも


 中学に入って盲腸で2度入院した息子。これで、すっかり剣道への意欲がなくなってしまったように見えた。ライバルに差をつけられてしまったんですね。手術を終えて復帰してからも、何か惰性で部活をやっているような感じ。小学生の頃のような、生き生きとした様子が感じられないんです。

 「このままでは、剣道の本当のおもしろさを分からないまま、やめてしまうかもしれない」

 そう思った私は、息子と1から稽古し直すことを決意します。息子が中学2年の頃だったと思います。

二人だけの稽古


 毎週日曜日の夜、市の総合体育施設にある剣道場を借り切って、息子と二人で稽古しました。内容は基本稽古のみ。最初の数週間は、竹刀は持たず、足さばきの稽古。腰を入れた打突には不可欠な稽古法である「ナンバ歩き」を、徹底的に教えました。(ナンバ歩きとは、こちら
 次の数週間は構えの矯正と、正しい素振り。その次は、ひたすら切り返し。その次は………

 一つひとつの段階を、確実に身につくまでやって次にいく。よくも嫌がらずにやってくれたと思います、一年近くも。普通、中学2年といえば反抗期の真っただ中ですよね。そんな時期に父親と二人だけで毎回2時間の稽古をするんですからね。「あのとき頑張ってよかった」と思ってもらえるように、こちらも真剣でした。

 息子と稽古するにあたって、私自身に課した決まり事は三つ。
  1.  怒らない
  2.  大声を出さない
  3.  一つ一つの動作の意味(理)を伝える

剣道の楽しさ


 子供は、身長が伸びたり、体重が増加したりして、体のバランスが変わります。ですから、常に基本稽古に時間を割かなければなりません。そして、正しい基本が身についたところで、実戦メニューに入りました。二人だけの稽古を始めて半年ほど経ったころでしょうか。

 「攻める」、「相手の出ばなをとらえる」、「腰を入れて打つ」、「手の内の冴え」。正しい基本が身につけられたので、このあたりのことは教えればすぐにできるようになりました。
 そして、「一本をとること」=「理の体現」ということを、頭と身体で理解していったようです。出場した大会では、強豪校の選手に勝ったりして自信がついてきたみたい。運動神経がいいとは言えない息子が、試合で勝てるようになって結果が出はじめた。
 この頃には再び、剣道が楽しいという表情になっていましたね。そして、中学3年で進路を決めるにあたり、息子の希望はこうでした。

 「剣道の強豪校に進学したい」

病床で息子に伝えたこと


 息子が自分で決めた希望どおりの高校に進学し、休日には全国を遠征して回るようになりました。そんな生活にも慣れ、2年生にでもなれば試合に出場できる機会も増えると楽しみにしていた矢先、私が急性リンパ性白血病になってしまった。治療しなければ余命1カ月の病です。(私の急性リンパ性白血病闘病の様子は、こちら
 
 「もう息子と剣道をすることはないかもしれない」

 そう思った私は、抗がん剤治療を受け病院のベッドに力なく横たわりながら、面会に来た息子にいつもこんな話をしました。

  • 磨くのは「基本」、おろそかにするな
  • 大事なのは稽古に取り組む姿勢、試合に勝つことではない
  • 絶対に初太刀を取るという気概を忘れるな
  • 元に立って受ける場合も、気を抜くな。打たせる時は、絶妙なタイミングで打たれろ。元に立って打たせている時は、休憩時間ではない。元に立っている時も稽古せよ
  • どんなに強い相手でも、技には必ず技の“起こり”がある。強い相手の起こりをとらえられるように
  • 剣道は運動神経がいい者、体力がある者が勝つのではない
  • 理を体現できる者が勝つ、正しい剣道をする者が強い相手に勝つことができる

 まあ、ざっとこんなとこでしょうか。言わんとしたことは、「心構え」。小手先の剣道をするなということ。
 そんなことをすれば、一時的には試合に勝てても、本当の意味で上達することはできない。一生上達するための土台、剣道のおもしろさを知るための土台を作ってもらいたいがため。
 私がいつ死んでも悔いがないように、真剣に伝えました。

感謝でいっぱい


 奇跡的に治療を乗り越えることができ、高校最後の息子の稽古を見ることができたのが、冒頭の「追い出し稽古」。
 しばらく見ないうちに、伝えたことすべてをすべて実践してたんですね、息子が。後輩たちにも慕われて、3年生として立派な稽古をしていました。

 日曜の夜の二人きりの稽古、病室での二人きりの会話。その一つ一つの場面が走馬灯のようによみがえった。
 努力すれば、こんなに堂々とした剣道ができるようになるんですね。本当に感動でした。

 「これなら大丈夫。一生上達できる。一生剣道を楽しめる」
 
 ありがとう、息子!
 剣道って素晴らしい!
 人生って素晴らしい!


2019年10月4日金曜日

白血病 退院から1年10カ月でランニング再開

「走れる」までには意外に時間がかかった


これが現実、体力が完全に戻るのはまだまだ先


 病名は、急性リンパ性白血病 フィラデルフィア染色体異常。(闘病の様子はこちらから)
 2017(平成29)年12月に、8カ月間にわたる抗がん剤治療を終えて退院した。(退院時の様子はこちら

 その時に、まず直面した問題が……
 
 「うまく歩けない」

ということ。
 入院中は、抗がん剤の影響で筋肉は破壊され、起き上がることもつらい状態。それでも無菌室のベッドの脇のトイレに行ければなんとかなりました。
 しかし、帰宅すればそうはいきません。復職に向けて、リハビリが必要になる。まずは、歩けるようにならなくてはならない。
 自分が元々どういうふうに歩いていたか、歩き方が解らなくなっちゃうんですね。筋力が落ちてまともに歩けない。体力もない。まさに"よちよち歩き"といった感じです。

退院から5カ月で復職、剣道も再開


 リハビリとして散歩を日課にして5カ月。距離も最初は数十mから始めて1㎞くらいは歩けるようになった。

 会社からは、「しばらくは体への負担の少ない内勤のみで」という配慮をもらって、早期に復職することができた。
 同時に、大好きな剣道も再開。当然、全力ではできませんので、リハビリの延長という感じでしょうか。ごく短時間で軽い稽古だけ。それでも、稽古をすれば疲労の回復には時間がかかる。道場に行った後の3日間は体が怠い。

 しかし、この頃は「もっと早く体力をつけたい」と焦るばかりでした。なにしろその1カ月後に、市民剣道大会に出場すると決めてしまっていましたから。今から考えると、無謀な決断でした。苦笑(その時出場した市民剣道大会の模様はこちら

筋トレやランニングはできる状態ではなかった


 退院して歩くことから始めれば、徐々に体力がついて、筋トレやランニングもやれるようになると思ってました。しかし実際にはできません。剣道はできるのに(自分のペースでですが)、筋トレやランニングはやろうと思っても、やはり無理なのです。

 剣道は瞬間的にな動作がほとんどなので、年配になってもできる武道です。一方、筋トレやランニングとなると、そうもいきません。特にランニングは持久力の問題なので、病み上がりの身体には負荷が大きすぎる。
 それにしても、走れるような気配が起こらないまま、退院して1年10カ月がすぎようとしていました。

走らなければ走れないまま


 退院後に剣道を再開できた喜びで、稽古を続けてきました。しかし、最近になって自分の技量が後退していることを自覚するようになったのです。
 以前と比較すれば10分の1程度の稽古量になっていますから、当然なのですが……。(大病以前の稽古メニューはこちら

 素振りや打ち込み、防具を着用しての稽古は、量は非常に少ないながらもやってます。今は取り組んでいないことと言えば基礎体力の強化、特に足腰の鍛錬です。
 白血病になる前は、道場での稽古がない日は、「ナンバ走り」で一日約8㎞走ってました。(ナンバとはこちら
 それを今はまったくやっていないのです。ですから、本来の足さばきや腰の入った打突ができなくなってしまった。

 技量後退の原因は解っていても、実際には走れない。走りたいけど走る力が沸き上がらないといった方が解かりやすいでしょうか。
 しかし、このままでは剣道が下手になっていく一方。

 「やはり走るしかない」

 9月に入って涼しくなったら、ごくわずかな距離でもいいから走ってみよう。
 そう決意したのは、2019(令和元)年8月のことです。

無理はしない


 9月に入ると、朝夕はめっきり涼しくなって過ごしやすくなった。
 仕事から帰って日没を待って走ることにした。夜に走るのは暑さ対策ももちろんですが、一番の問題は紫外線。

 抗がん剤の影響で紫外線にあたると皮膚が真っ赤になって"軽いやけど"になってしまうのです。実際に、退院直後に20分ほど散歩した時、12月でしたが日光に当たった部分(顔、首、手の甲)だけが腫れ上がり、後にシミになってしまったのです。
 以来、外出時にはUVローションは必携ですが、日光に当たらないことに越したことはありません。

 そして、もう一つ大事なことは、絶対に無理はしないということ。
 
 「明日もまた走りたいと思うところでやめておこう」

 以前のような限界に挑戦するような走り方はせず、この日の上限は1㎞と決めた。

走り方も忘れてた、でも楽しい!


 すっかり秋の空気に入れ替わったとある夜。
 ランニングシューズに履き替えて、川沿いのランニングコースに出た。

 「走ってみてやっぱりダメだったらどうしよう」

 そんな思いが頭をよぎる。

 ゆっくり走り始めてみる。走法はナンバ。片手刀法には必須の稽古。
 うまく走れない。「ナンバ歩き」は普段やってても、ナンバで走るのは難しい。歩いた方が早いくらいだ。

 いきなりうまく走れなくてもいい。徐々に筋力と走法を取り戻していけばいいのだから。

 やはりキツイ。500mくらいでやめておこう。明日もまた走りたいと思えるように。

 「今オレは、確かに走ってる」


2019年6月17日月曜日

剣道 克服すべきは反発の原理

稽古の目的は「反発の解除」


日常の動作は、反発に満ちている


 「何ものかに反発している場合、人はそれを知ることはできない」

 その通りだと思う。

 私たちは歩くとき、動かない地面を支えにして、踵(かかと)を上げながらその地面を足の裏で蹴って前へ進む。地面を蹴るという"反動"で前へ進んでいる。

 また、テレビで野球中継を観ていると、バッターがウェイティングサークルで重いバットで素振りをしている光景をよく目にする。これは、重いものを振って、バットの重みを力でねじ伏せ、軽く感じるようにしているのだろう。つまり、重さに対して"反発"しているのだ。

 このような反発の習性は、日常のいたるところに見られます。
 剣道は、この習性から、可能な限り自由になろうとするものです。

解除しなければならない4つの反発


  1.  <地面に反発>
     反発しない歩き方とは「ナンバ歩き」。(ナンバの足法については、こちら
     古来、日本人がワラジや草履をはいて歩く時の歩き方。日本の武術はこの身体運用法を前提としているといってよい。これができるようになれば、左足で床を"蹴って飛ぶ"必要がなくなる。踏み込む前の溜がなくなる。
  2.  <胴体に反発>
     この反発を解除するには、竹刀の柄をを小指と薬指で軽く握り締めること。小指から脇の下につながる筋肉(これを下筋と呼びます)が締まり、腕の動きと胴体は反発しない。
     わしづかみにすれば、体と剣はバラバラになり、互いに反発し合う。
  3.  <太刀の重さに反発>
     竹刀の重さに反発したり、力でねじ伏せるような操作はしない。竹刀の重心を意識した操作をすることによって、重さを引き出して(利用して)振ることができる。(片手刀法の重心に関する記述はこちら
     諸手一刀中段に構えた場合は、竹刀の重心を頭の上に引き上げて振りかぶらない。振り上げた竹刀の重心の下に、右足を踏み出して体を入れる。体を一歩前へ出して、振り上げた竹刀の重心の下に入るようにする。
     前者は、重心のベクトルが後方に向かってしまう。後者は、ベクトルが前方に向いたまま。前方にいる相手を斬るという、体のベクトルと一致する。
     竹刀の重量と重心の方向を感じ取っていれば、その重量が移動する動きに腕が加勢するように振ることができる。 
  4.  <相手の動きに反発>
     力まかせに打ったり、独りよがりに技を出さない。相手の力を利用し、拍子をつかみ、相手を引き出す。相手を敵ではなく、あたかも理合を体現するための協力者のように動かすことが肝要。

兵法の身なり


 宮本武蔵は『五輪書』の中で、以上のような、反発の原理を克服しうる身体運用のあり方を、「兵法の身なり」という言葉で解説しています。

 作用と反作用の中で動く身体の習性は、なぜ消し去らなくてはならないのでしょうか。
 この習性に従っていればどうなるか。

  •  体に無駄な負担をかける。
  •  動く気配が事前に出る。
  •  拍子が遅れる。

 剣道では致命的といわれる特徴が、表れてしまいます。
 しかし、こういったことは、一挙に解消できるのです。

 大事なことは、こうした反発の原理を克服すること。
 この反発の原理を解除し、ある意味の自由をつかんだところに、「理」の体現があるのではないでしょうか。

 それとは逆の、反発を強化するような練習やトレーニングはすぐに限界がくる。誰もが自身の身をもって経験したことではないでしょうか。

兵法の身を常の身とする


 常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事肝要也。(『五輪書』「水之巻」)

 これも、武蔵が繰り返し説くところです。

 「日常の最もありふれた動作を深く変更して、作用と反作用の対立から解き放たれた身体の、新たな自由を得るのだ」と、武蔵は言っているのです。

 では、どうすればその自由を得ることができるのでしょうか。

 これも武蔵がはっきり言い残しています。

 「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
 
 近道はないようです。
 武蔵がそこに無愛想に立っているようですね。


2019年6月12日水曜日

剣道 片手刀法 刀の重心で中心を制す

片手刀法の実践

右片手上段の重心位置。正中線上におく。
片手上段。竹刀の黒いしるしは重心位置。正中線上にあるのがわかる。

正二刀、上下太刀の構え。大刀の重心は正中線上に。小刀の切っ先は中心をとる。

剣道は諸手刀法だけではない


 「片手で竹刀を持ち、片手で構えて、片手で打突する」
 これを片手刀法の前提条件とさせていただきます、この稿では。

 すると、諸手左上段は当てはまらないので、現代剣道でその条件にあてはまるものがあるの?と思う方もいるかもしれません。大別すれば2通りの方法があります。

 写真上は「片手上段」です。右手で持てば「右片手上段」、左手で持てば「左片手上段」になります。
 最近は、ほとんど見ることはありませんね。
 昭和50年代までは、非常に少なかったですがいました。「左片手上段」で全日本剣道選手権大会に出場した選手もいたと記憶しております。

 私は普段、二刀を執っていますが、一刀で片手上段もやります。
 なんで諸手左上段じゃないの、と聞かれることがありますが、片手上段の方が自在に打てるし技も多彩ですからね。実際に、3.9の竹刀(515g)で「右片手上段」で試合に出場したこともあります。

 写真下は「二刀」です。右手に大刀を持つのが「正二刀」。逆が「逆二刀」。
 二刀も片手刀法です。左右それぞれの手で片手刀法をやっているわけです。

片手上段や二刀の構えは、面を防御している?


 ごく稀に、こう聞かれたり、指摘されたりすることがあります。竹刀で面を隠していると。
 ということは、そう思っている方が多いのではないでしょうか。

 実際に、二刀を執っている方でも、そう思っているという方がいると聞いて、ちょっと驚きました。
 その方は、大刀で面を"隠す"というのはズルいから、大刀を頭上で斜めに寝かさずに、真っすぐ立てて構えていると。

 "身内"にもこういう考えの方がいらっしゃるということは、正しい片手刀法が継承されていないという現状が、露呈したかたちですね。(片手刀法の継承についての記述はこちら

片手上段や二刀は「重心」で中心をとる 


 結論から言えば、竹刀を頭上で斜めに寝かしているのは、面を防御しているのではありません。構えているのです。攻めるため、打つための構えです。

 一刀の方が中段に構えるのは、左右の胴を防御するためなのでしょうか。
 諸手左上段の人は、面を防御してのことなのでしょうか。
 言うまでもありませんが、防御しているのではありません、構えているのです。

 片手刀法では竹刀の重心を、中心あるいは正中線からはずさないということが、非常に重要です。
 実際には、重心をまったく考慮しない竹刀操作をしている方はたくさんいます。しかし、それは竹刀だから出来ること。1㎏以上ある日本刀をそのように片手で振ることは非常に無理があります。

 重いものを持ち上げる時に、重心を考えずに持ち上げようとして失敗し、重心を考慮したら持ち上げられたなんて経験は、どなたにでもあると思います。
 物を扱う時の重心への意識は、非常に重要で、それが竹刀であっても同様なのです。片手で操作する場合はなおさらですね。

 写真上のように、片手で上段に構えた場合、刃を相手に向け、竹刀の重心を正中線上に置きます。
 面を打つ場合は、その重心点が直線の軌道でお相手の打突部位に向かって瞬時に移動します。ですから、重心は終始、中心からはずれないわけです。重心点は直線で移動しますから、竹刀は最短距離で打突部位に到達することになります。
 構えた時から打突完了まで、竹刀の重心が中心を"制した"状態になるわけです。

 その打突時に重要なのが「手の内の冴え」。

 構えた時、重心は中心にありますが、片手で柄を握った拳は大きく正中線からははずれています。
 打突時は、この拳を瞬時に正中線上の自分の胸の前に持ってくると同時にヒジを伸ばす。
 重心は正中線上にありますから、拳を正中線上に持ってくれば、剣先は正中線上にきます。当然ですが、竹刀全体が正中線上に入り、正中線を斬ることができるのです。

 その「斬る」瞬間に、もうひと仕事必要です。
 切っ先が「面」をとらえる瞬間に、手首のスナップをきかせて柄(つか)をわずかに引き上げる。その引き上げ方は、重心を中心に竹刀が回転する運動に瞬時に変換するようにする。
 そうすることによって、切っ先の速度がさらに加速され、冴えある打突ができるのです。これを二天一流では「切っ先返しの打ち」と言います。(切っ先返しとは、こちら

 構えから打突、手の内の冴えまで、一連の流れに「重心」はとても重要な役割を果たしているのが解りますね。

一刀中段で「重心」を意識する


 子供たちと稽古していて、剣尖が中心をとらえていない者に、中心をとるように言うことがあります。
 そうすると、剣先だけを中心にもっていこうとして、手首で"こねて"竹刀の重心や左拳が中心からはずれてしまう子供をよく見かけます。

 剣尖(剣先)で中心をとるには、正しい構えが前提です。竹刀の重心と左拳が中心にあれば剣尖(剣先)は自然に中心をとらえます。

 剣道形の解説などで、中段の構えで「剣先を相手の左目に向ける」という場合があります。これは、中心にある竹刀を相手の左目の方に、剣先をずらして向けるのではありません。
 刀には反りがありますので、諸手で握った手をやや右にひねると、切っ先だけが相手の左目に向くわけです。これが、相手の左目につけるという意味です。この時、左拳も重心も中心にあるのです。

 これを反りのない竹刀で体現するのは、なかなか面白いものです。
 剣尖(剣先)を緩めたり、誘ったりすることも自在です。左手と重心の2点で中心をとれば、"攻め"も変わります。

 一刀流の「斬り落とし」などは、まさに刀の重心が中心を制した状態であるから、お相手を刀ごと斬ることができるのです。

威嚇と攻めは違う


 二刀者で、上下太刀に構えた時に、大刀を頭上高くあげたり戻したりしている人をよく見かけます。それを「攻め」だと思ってやっている方もいるようですが、それは威嚇です。稽古で練磨してやるべきことではありません。
 玄人相手にそんな威嚇をしても通用しませんし、第一お相手に失礼です。
 平成の高名な二刀者が、そういうことをしていたので、真似している方がいるようですね。

 片手刀法は重心で中心をとっているわけですから、「重心」で攻めるのです。
 一刀中段で、剣先で攻める感覚とまったく同じです。
 頭上にある「重心」でお相手を攻めるのです。威嚇は必要ありません。

 なお、二刀の場合は、同時に小刀の剣先で中心をとって攻めます。小刀と大刀の両方で攻めるのです。

重心で中心を制す


 片手刀法は、竹刀の重心で中心をとり、重心で攻めます。
 朝鍛夕錬してそれが身に付いてくると、「重心で中心を制す」ことができるようになります。
 これは、構えた時も、打突の途中も、打突の瞬間も、打突した後も、「重心で中心を制す」ということです。

 一刀の高段者の先生方、特に八段範士の先生方の竹刀さばきを拝見したことのある方は、皆さんお気づきだと思います。竹刀の重心や左拳が大きく中心からはずれて、振り回すなんてことはありませんよね。

 片手刀法も「剣理」は同じです。


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2019年6月6日木曜日

剣道  歩み足で稽古する

画一化された剣道を打破


剣道は元々多様性の高い武道


 剣道を始めた時、最初に基本として習うのが「中段の構え」。
 "最初に"と言っても、何年やっても中段以外習わないと思います、大抵の場合。

 この「中段の構え」は、竹刀の柄(つか)の部分を両手で持ちますが、こんなふうに教えられます。
 「右手が鍔(つば)に近い部分を握り、左手は柄頭(つかがしら)に近い部分を握る」(右手前の中段の構え)と。
 足はというと、「右足を前、左足をうしろにして、左足のかかとをわずかに上げる」と教わります。

 しかしこれは、基本として教えられているのであって、「こうでなければいけない」という"決まり"ではありません。
 具体的には、竹刀の柄であればどこを握っても構いませんから、左右の手を入れ替えて左手前で構えることも可能です。
 足も同じで左足を前にして構えても反則ではありません。

 「中段」以外にも「上段」でも「下段」でも構えられますし、「八相の構え」や「脇構え」もできます。

 また、竹刀を左右どちらかの片手で構えて、片手で打突することもOKですし、二刀の使用も認められています。

様々な足さばき


 足さばきも「送り足」でするのが普通だと思われがちですが、それ以外に「歩み足」、「継ぎ足」、「開き足」とあります。
 技や理合(りあい)によって、遣う足さばきが変わります。

 しかし、現代剣道の特徴として、「送り足」がベースになっていて必要な時だけそれ以外の足さばきを遣う、ということが言えると思います。
 一方、最近はあまり見る機会がなくなったと思いますが、「歩み足」をベースにした剣道をされている方もいます。
 

"例外"を認めない風潮


 前述した様々な構えや刀法、足さばきなどは、昭和50年代ぐらいまでは自由に遣われていたように思います。

 そのころ実際に、一刀で左足前で左手前の中段の構えを執る選手がいました。(警視庁の方だったと記憶しております)
 現代ではどうでしょうか。
 そういう構え方をしている人はまず見ないと思います。
 そういった"例外"を認めない風潮になってはいないでしょうか。

"標準"という既成概念を作ってしまう人


 今から5年ほど前に、私の出身中学に在籍していた生徒で、隻腕の女の子がいました。(この子は、生まれながらにして、左腕のヒジから先がありません)
 中学で剣道部に入部して初心者から始め、持ち前の負けん気の強さで、人の何倍もの努力をした。
 部活動の外部指導者で、警視庁出身の方が片手刀法を教えてめきめきと上達。中学2年になると、市内では優勝を争うほどの選手になっていた。
 すると、ある学校の剣道部顧問から、クレームが入った。「柄(つか)で右小手を防御するのはズルい」というのです。
 この女の子は、右片手で竹刀の柄(つか)の鍔(つば)に近いところを持ちます。
 「面」を防御する時は、竹刀を頭上で水平にします。その時、「面」と同時に「右小手」も柄で防御されているというのです。それがズルいと。

 剣道高段者の教員がこんなクレームを入れるんですよ。信じがたいと思う方もいるかもしれませんが事実です。

 そして、市内の中学校の剣道部顧問を集めてローカルルールを作ってしまった。高段者で、強豪校の顧問が音頭をとっているので、誰も異論を唱えられないんです。
 片手で竹刀を持つ場合は、柄頭(つかがしら)に近い方を握らなけらば反則とする、というありえないローカルルールを作ってしまったのです。
 繰り返しますが、全剣連の規則では竹刀の柄であればどこを持ってもいいんです。だから「柄」なのです。持ってはいけないところがあるのなら、それは「柄」ではありません。

 そのクレームを入れた方の考えでいくと、いろいろと不都合なことになるんじゃないでしょうか。
 両手で竹刀を持った人が、中段に構えたら、左右の「胴」が隠れます。諸手左上段の人が構えれば、「面」が隠れます。それをズルいというんでしょうか。 
 普通と違うということが受け入れられないんですね。おかしなルールを作ってまで排除してしまう。教員がよってたかって、何の落ち度もない隻腕の女子生徒を追い詰めるんですよ。
 この隻腕の女子生徒は、大人たちに理不尽なことを言われながら剣道をしたくない、と言って、剣道をやめてしまいました。

 私が二刀を執っていて、試合中に審判から暴言を吐かれたこともあります。
 「打つところがないじゃねえか」
 こう言ったのも、ある強豪校(高校)の剣道部顧問です。その時私と対戦していたのは、その高校のOBだったのです。
 確かに、二刀は一刀と比較すると防御にすぐれていると言えます。だからといって、試合中に審判がそんなことを選手に向かって言うんですからね。この人も、もちろん教員です。

 他人と違うということが許せない。最近は、教員たちだけではないように思います。
 両手で1本の竹刀をもって、右手前で中段に構え、右足前の送り足でする剣道。これが"標準"になってしまって、それ以外が許せないという。
 剣道を知らない剣道家が非常に多くなってきている気がしますね。指導者や高段者といっても、剣道を解っているわけじゃない。
 そう感じている人は、多いんじゃないでしょうか。

陰陽の足


 そういった現代剣道の状況の中にあっても、剣道の多様性を信じて、「歩み足」で剣道をやってみたいと思う方はいらっしゃると思います。

 私もその一人。子供のころに通った道場で、「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突する剣道をされている方を見ていましたので、今になってやってみたいと思うんです。
 30年のブランクから剣道を再開して、古流である二天一流と出会い、「歩み足」の剣道を学ぶ機会を得ました。まず、知っておかなければならないのが、「陰陽の足」についてです。

 先に踏み出す足(右足前で構えた場合は右足)が「陰の足」、あとから引付ける足が「陽の足」です。
「陰の足」から「陽の足」に動作が移る瞬間が、"物打ち"で打突する瞬間です。

 送り足で稽古する場合は、右足前であれば「陰の足」は右足に固定されています。左足は「陽の足」で替わることはありません。
 一方、歩み足で稽古する場合は、それが切り替わる。踏み出す足が替わりますから、そのつど「陰の足」が切り替わる。したがって「陽の足」も切り替わります。この切り替わりが連続した状態が歩み足だともいえるわけです。

歩み足の前提は「ナンバ歩き」


 左右の足を交互に出して進むだけなら、ただ歩けばいいだけなので難しいことではありません。
 しかし立合いですから、打突できなければなりません。右足前でも左足前でも。しかも瞬時にです。

 この「歩み足」での打突の前提になる動作が、「ナンバ歩き」の動作です。(ナンバ歩きとは、こちら

 「ナンバ歩き」というと、手と足を一緒に出す歩き方でしょ、という方が多いと思いますが、ちょっと違います。
 歩くときの腰の遣い方をある動作に変更すると、結果的に手と足が一緒に前に出ます。
 ですから、重要なのは手と足が一緒に出ることではなく、腰の遣い方なのです。
 その腰の遣い方は、打突する時の腰の遣い方と一致します。これは「送り足」でも「歩み足」でも同じです。特に「歩み足」の場合は「陰陽の足」を切り替えて、瞬時に打突できなければならないので、「ナンバ歩き」の稽古は必須です。

二刀流で歩み足を実戦


 最近の二刀者は「送り足」のままの方がほとんどのようですが、昭和50年代までの二刀流は皆「歩み足」でした。
 
 私の場合、リバ剣と同時に二刀を執って、歩み足の剣道に取り組み、実戦で「歩み足」の打突ができるようになったのが、3年目です。市民大会で優勝するようになった時期と一致します。

 「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突できるようになって何が変わったか。
 強い「攻め」ができるようになり、打突の機会は倍以上になったことです。

 例えば、一刀中段同士で立合った場合、表からの攻めしか知らなかった方が、裏からの攻めを覚えれば、打突の機会は飛躍的に増えます。
 それと同じように、「送り足」で右足だけを「陰の足」としていた方が、「歩み足」で左右両方を次々に「陰の足」に切り替えて攻め込み、どちらの足が前であっても瞬時に打突できれば、その機会は倍増しますね。

 私は、一刀でも二刀でも「歩み足」で剣道をされることを心からおすすめします。
 日本剣道形がなぜ「歩み足」なのか。おのずと解ってくるのではないでしょうか。

 画一化された世界に閉じ込められた状態から、その殻を破って「理」と一体になる。
 殻を破る方法は人それぞれ違うと思います。
 私はこんな方法で、「理外の理」を知ることができた。
 剣道というのは、本当に奥深いものですね。さらに精進します。


追記

 「ASIMO」(アシモ)という二足歩行ロボットの歴史を切り拓いた存在を、皆さん憶えていらっしゃるでしょうか。
 当時の研究者たちが、開発段階での失敗の連続から最後にたどり着いたのが「ナンバ歩き」。
 その歩き方を実践する剣道家を招いて研究者たちが「ナンバ歩き」の講義を受け、ロボットの二足歩行の成功につながったことは、あまり知られていませんね。



※当ブログの剣道に関する投稿の一覧は、こちら

2019年5月31日金曜日

剣道はスポーツ化してよいのか

叫ばれなくなった危惧する声


剣道は「武道」


 昭和40年代から50年代、剣道界のあちこちから「剣道のスポーツ化」を危惧する声が上がっていた。
 剣道の講習会や大会の前には、"えらい人"が登壇して、「剣道は武道だ、スポーツではない」という話を、必ずと言っていいほどしていたと思う。
 今はそういう話を聞くことはありません。

 私が30年ぶりに剣道を再開して感じたことの一つに、「剣道のスポーツ化」がだいぶ進んでしまった、ということがあります。

 「稽古を続けることによって、心身を鍛錬し、人間形成を目指す『武道』です」

 このように、現代剣道を統括する全日本剣道連盟のホームページにも、剣道は「武道」だと定義されております。

 しかし、実際の「剣道」がちょっと違う方向に変わりつつあることを、感じている方は多いと思います。

昭和の道場


 昭和47年4月。小学2年だった私が道場で剣道を始めた時、指導者の先生から最初にこのような説明を受けた。

  •  剣道は武道であるから、礼儀を重んじる。
  •  竹刀は刀である。またいだり、心得のない者に貸してはいけない。
  •  刀を腰に帯びるということは、子供であっても一人前の武士ということ。子供扱いはしない。
  •  よって、稽古は厳しいものになるので、同意できなければ入会しないでほしい。

 剣道を始める前に、武道を習うという心構えを最初から求められたのです。
 子供心に、「スポーツとは違うんだな」と思った記憶があります。

「礼儀」と「スポーツマンシップ」は違う


 当時、小学3年になって防具を着用して稽古するようになり、スポーツとの違いを目の当たりにしていきました。
 
 元立ちの先生と一対一で稽古するいわゆる"地稽古"の最中に、竹刀を強く払われて落としてしまったことがあった。竹刀を拾い上げてから稽古再開となると思い、落とした竹刀を拾いに行こうとすると、その先生は次々と打ち込んでくる。竹刀を持っていない私にです。
 慌てて竹刀を拾おうとすると、先生は竹刀の先で床に落ちている私の竹刀を弾き飛ばして、道場の隅にやってしまった。
 何てことするんだと思いましたけど、稽古が終わって、それを見ていた上級生から、こんなアドバイスがあった。

 「落とした竹刀を拾いに行くな。落とした刀に執着すれば、相手に斬られてしまう。刀を落としたら素手で戦え。落とした瞬間に相手の懐(ふところ)に飛び込め。そうすれば、斬られることはない。"組み討ち"にするんだ」(組み討ち稽古とは、こちら

 またある時はこんなことがありました。
 子供同士の練習試合の最中、私の相手が転んでしまった。その時、私は相手が起き上がるまで待っていた。するとそれを見ていた先生が烈火のごとく怒りだした。
 「お前は何をやっているんだ」
 意味が解りません。なんで私が怒られるのか。このときは、その先生からこういう指導がありました。

 「相手が転んだときも、打突のチャンスだ。それを見逃してはならない。そこで打たないということは、相手に"情け"をかけたということ。武士にとって"情け"をかけられるということは、恥をかかされたということ。お前は相手に対して、失礼なことをしたんだ」

 こういった例を挙げればきりがありません。
 剣道は刀を執っての戦いを起源としていますので、「ゲーム」を起源とするスポーツとは、相いれないものが多々あります。 
 スポーツマンシップは時として、剣道では失礼にあたるのです。剣道で、ガッツポーズをしてはいけないことは、有名ですね。敗者にも礼を尽くすのが剣道です。 

スポーツ化した剣道


 日本に「スポーツ」がもたらされたのは、明治維新後です。
 明治政府が招いた当時の外国人教師が、彼らの生活様式を日本に持ち込んだ。そのひとつが、趣味としてのスポーツでした。

 一方、「剣道」は、古武術である剣術あるいは兵法が起源ですから、明治維新よりもさらに数百年前からあった日本独自のもの。
 「スポーツ」という概念が日本に入ってくるはるか以前からあるわけです。
 それが、戦後、スポーツという分野に「剣道」が組み込まれてしまった。

 そうなると、「朱に交われば赤くなる」の言葉どおり、スポーツ化が始まった。
 それでも、前述したように、昭和の時代はそれを危惧して「剣道は武道である」ということを、稽古の中でしっかり伝えていたと思います。

 現在はとなると、「切り返し」を「打ち返し」と言い換えたり、「稽古」を「練習」と言い換えたりして、物事の本質が解らない大人たちが"言葉遊び"をしている。その弊害がどんなふうに表れているかも知らずに。

 これも例を挙げればきりがないので、ひとつだけ。
 現在は、「切る」という言葉を剣道の指導で使ってはいけないという人がいる。中学高校の教師に多い。だから、「打ち返し」になってしまう。
 「とにも角(かく)にも、きるとおもひて、太刀をとるべし」(『五輪書』水之巻)とは、宮本武蔵が繰り返し説くところです。剣術(剣道)は敵を切るという、極めて端的な目的のためにたてられる理法なのです。これは、決して殺伐とした考えではありません。
 「切る」という言葉に反応して、殺人を助長してしまうと思い込むことこそ、殺伐とした考えです。
 そうなると、「刀法」を教えられなくなる。刃筋なんてものは関係なくなってしまう。
 その結果は、棒をとってのたたき合いです。一部の中高生の試合に見られます。ただの当てっこ。竹刀を打突部位に当てるためだけに特化した方法を、あれこれ考えた末のスポーツになってしまっている。
 指導者も、そのやり方で、生徒たちが試合で勝ってくれるものだから、黙認する。
 強豪校と言われる有名校がそういうことをするから、審判も旗を上げざるを得なくなって、一本にしてしまう。
 もう笑うしかありません。そういったことを、誰も注意できない時代になっちゃってるんですね。情けないかぎりです。

 ルールの範囲内でやっている限りは何でもあり、という風潮。
 そんな思考が、「剣道をオリンピック種目に」なんていう運動につながっていくんですよ。スポーツの祭典であるオリンピックに、なんで剣道が入れてもらわなきゃいけないんでしょうか。
 もし剣道がオリンピック種目になれば、スポーツの枠の中で武道性や武士道精神を主張する矛盾によって、剣道は崩壊します。そのように実質崩壊してしまった武道を、私たちは見てきたはずです。

剣道は日本の伝統文化


 言うまでもなく、剣道は日本独自の伝統文化です。
 現代に迎合して、自らが本質を変えてしまうようなことがあれば、もう伝統文化ではありません。

 そういった伝統の技の継承をささえるのは、強い信念をもった心。武士道精神です。
 継承された伝統の技と強い精神があって、剣理を追及する稽古ができるのです。
 スポーツ化した剣道に、戦国流祖たちが到達した剣理に遡る道はありません。

 「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」
  
 稽古の意味を胸に刻みながら、これからも「剣道」をやっていきます。

 剣道は剣道であってほしい、ただそれだけです。

 

2019年5月28日火曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化④ 二天一流「切っ先返し」

切っ先返しで打つ

竹刀の重心を知ることは重要
黒いビニールテープは竹刀の重心位置を示す

「切っ先返し」とは


 切っ先返し(きっさきがえし)という言葉。聞いたことある方もいらっしゃると思います。時代劇や剣豪小説などで見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 
 しかし大変残念なことに、ほとんどの場合誤解されて伝わっているんです、「切っ先返し」という刀法が。

 時代劇や剣豪小説に登場する剣術遣いが「切っ先返し」と称して繰り出す技は、たいていの場合、手首をひねりながら切っ先を大きく右から左に回したり、左から右に回したりして斬ろうとする。あるいは、袈裟斬りに振り下ろした瞬間、刀の刃の向きを変えて斬り上げる、といった動作をする。
 これらはいずれも「切っ先返し」ではありません。

 第一の構(かまえ)、中段。太刀さきを敵の顔へ付けて、敵に行相(ゆきあ)ふ時、敵太刀打ちかくる時、右へ太刀をはづして乗り、又敵打ちかくる時、きつさきがへしにて打ち、うちおとしたる太刀、其儘(そのまま)置き、又敵の打ちかくる時、下より敵の手はる、是(これ)第一也。

 これは、『五輪書』の一節で、宮本武蔵が約400年前に制定した「五方ノ形」(ごほうのかた)の一本目を、武蔵自らが解説した文章です。
 ここにある「きつさきがへしにて」とは、まさに「切っ先返し」のことです。

 "返す"という言葉には、"元に戻す"という意味があります。
 では、切っ先を元に戻すとは、どういうことなのでしょうか。

刀(竹刀)の重心を中心に回転させる


 切っ先(剣先)を元に戻す。どこに戻すかといえば、構えた位置、中心、打突部位などにです。しかも、戻すのは切っ先(剣先)だけ。

 「それってどういうこと?どうやって打つの?」って思うと思います。
 
 振り上げた刀(竹刀)を振り下ろすとき、打突部位に到達する寸前に、柄を握った拳(こぶし)を引き上げるのです。
 片手であればその拳です。諸手保持であれば柄頭にちかいほうの拳(通常は左手ですね)を鋭く跳ね上げるようにする。
 
 切っ先は打突部位に向かって振り下ろされていき、柄側は上方に跳ね上がる。
 つまり、刀の重心点を中心に、刀が回転する運動に瞬間的に変わるわけです。
 これが、「切っ先返し」であり、この方法で打突することを「切っ先返しの打ち」といいます。

 これは、片手刀法でも諸手刀法でもできます。
 普段、剣道で諸手で稽古していらっしゃる方々も、「切っ先返し」とは知らずにやっている方もいると思います。
 実際に、高段者の先生に竹刀で打突されて、「パクン」といい音がしてもまったく痛くない、という経験をしたことがあると思います。鍛錬したしなやかな手首を遣って、打突の瞬間に、竹刀を重心を中心に回転させているのです。

手の内の"冴え"


 前回の投稿までの3回にわたって片手刀法の「手の内」の稽古について記述しました。
 「手の内」は素振りで稽古することが大事であること。
 "正しい"素振りの仕方を知ること。 
 「太刀の道」をつきとめること。
 そして今回の、「切っ先返し」で振ること。

 正しい片手素振りの稽古を始めて半年たった頃には、毎日2,000本の素振りをやるようになっていました。右片手1,000本、左片手1,000本です。
 内訳は、朝出勤前に左右200本ずつで400本、これが1セット。昼休みに職場で1セット。夜、帰宅してすぐに2セット。就寝前に1セット。これで2,000本です。

 これを、やらなければならない数字として、自分に課したわけではありません。
 もっとやりたかったけど、これ以上は時間的に無理だったということです。(この4年後に急性リンパ性白血病と診断されるまで、毎日続けました。)

 これを実践していって身に付いたのは、手の内の"冴え"です。

 以前は、諸手で打ってくる一刀者に打ち負けることを恐れて、虚(きょ)をついて打っていったり、小刀でお相手の竹刀を押さえ込んで大刀で打つことばかり考えていました。
 しかし、手の内の冴えを身に付けてからは、お相手の動作を起こそうとする刹那を、仕留めることができるようになった。
 たとえ「相面」(あいめん)になっても絶対に打ち負けないという自信が持てたのです。
 自分の剣道が驚くほど変わりました。

 「キミは手の内が不十分だ」

 OOT範士のこの言葉がきっかけで、すべて始まったことです。(その時の様子はこちら
 剣道をやっていく上で、かけがえのない"財産"を手に入れることができました。
 OOT先生には、感謝しても感謝しきれません。


追記
 OOT先生は、元警視庁剣道主席師範で剣道八段範士。
 実は私と同姓で、住まいもご近所。しかし姻戚関係はありません。笑
 
 

2019年5月27日月曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化③ 「太刀の道」で振る

素振りで「太刀の道」を探し出し、確認し、体得する


"ゆっくり振る"には忍耐が必要


 前回の投稿で、二天一流の片手素振りを習ったことについて書きました。(その内容はこちら

 極意は、ゆっくり静かに振ること。

 「それって、実践に役立つの?」って思いました。スローモーションのように木刀を振って、いったい何が身に付くのだろうと。
 しかし、指導してくれた方の言う通り、だまされたと思って、毎日やってみることにしました。

 正しい手順でゆっくり振ると、すぐに気づきました。
 「これはキツイ」と。
 前進後退してビュンビュンと早く振った方が、よっぽど楽です。
 50~100本はやろうと思っていましたが、あまりのキツさに集中力が続かず、初日は20本程度しかできませんでした。
 
 無理はせず、「正しく」集中してできる本数をやろうと決め、毎日少しずつ増やしていきました。
 そして、一週間がたち、一日に50本ぐらい振るようになった時、ちょっと変化があったのです。
 
 キツイと思いながらやっていた片手素振りが、キツくない。重いと感じていた木刀が、重くないのです。
 徐々にそうなったのではありません。一週間たったころ突如としてそうなったのです。
 これを継続していけば、もっと大きな変化が得られるのではないかという、期待が膨らみました。

 しかし、あせりは禁物。通常の速さで素振りをするならどんどん本数を増やせますけど、スローモーションでやってますからなかなかそうもいかない。50本ぐらいがちょうどいいと思い、そのペースで毎日続けました。

理想の素振りには「手応え」がある 


 ビュン!

 いつものように、スローモーションで素振りをしていたつもりが、突然、木刀が空気を斬った。目にも止まらぬ速さで振ったのです。
 そうしようとしたのではありません。力加減はいつもと同じ。木刀が勝手に走ったという感じです。

 二天一流の片手素振りを始めて2カ月が過ぎたころのことです。衝撃でした。

 「これが宮本武蔵が言う〈太刀の道〉なんだ」

 この時、木刀の抵抗をまったくといっていいほど感じなかったのです。気づいたら振り終わっていた。構えた位置から、振り下ろした位置まで、木刀が瞬間移動したような感じといったらいいでしょうか。
 木刀の重心を意識して、ゆっくり静かに"正しく"振り続けた結果の出来事です。

 宮本武蔵が『五輪書』の中で言う「太刀の道」とは、単なる軌道や刃筋のことではない、ということを体感した瞬間でした。
 
 腕力や筋力で、木刀の重量をねじ伏せて振るのではなく、「太刀の道」で振るということが解った。
 しかし、これはまだ"偶然"の域を出ない。何百回、何千回振っても「太刀の道」で振れるようになるために、片手素振りの稽古を続けました。
 ゆっくり振っても、ビュンと木刀が走ってしまう。なので、次第に素振りの本数も増えて、一日に数百本やるようになっていきました。

 本数が飛躍的に伸びたのはもう一つ理由があって、当初は右片手だけでやっていた素振りを、左片手でも同じ本数をやるようになったから。
 最終的には、正逆両方できる二刀者になるという目標がありますから。

とある日本画との出会い


 余談ですが、休日に当時小学生だった息子と美術館に出かけることが、たびたびあった。二天一流の片手素振りをやり始めたころのことです。
 ある美術展で一点の日本画の前に立ったとき、ハッと息をのんだ。

 『初夏浄韻』という題名のついた、深緑の木々が生い茂った山中にある小瀑を描いた絵です。後藤純男さんという日本画家の作品でした。
 山の中にたたずむ小さな滝。描かれた落水を見てこう思った。

 「滝の水は誰かによって垂直に落とされているのではなく、自らの重量で理に逆らうことなく垂直に落下している」

 片手素振りをしている時、構えた時は正中線上にあるのは木刀の重心だけ。(写真上)
 振り始めると、重心を正中線上に維持したまま拳(こぶし)を正中線上にもってきますから、剣先も正中線上にきます。太刀筋が正中線と一致するわけです。そのまま垂直に振り下ろせば「正面」を斬ることができる。

 この、正中線を「垂直」に振り下ろすということが、非常に難しいのです。
 垂直に真っすぐ振ろうと手首をこねれば微妙にずれる。鏡はウソをつきませんから、ハッキリそこが見えてしまうのです。

 『初夏浄韻』の絵を見た時、手首や腕の振り方の調節で木刀を垂直に振ろうとしていた自分に気づいた。
 木刀の重さでおのずから落下するその動きに、腕が加勢していくように振ればいいんだと分かったのです。

木刀の重さを引き出して振る


 後藤純男画伯の日本画を見て感じたことをそのまま素振りでやってみた。

 垂直に振れるんですよ。片手正面素振りの太刀筋が正中線に一致するんです。こういうことか、って思った。

 これで、片手刀法のための"正しい"片手素振りを理解できた。
 あとは、この稽古が、どう「手の内の冴え」に結びつくのかですね。


2019年5月26日日曜日

剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化② 二天一流の片手素振り

片手刀法のための「正しい」片手素振り

重心位置をマークし頭上の正中線上に合わせてかまえる。
実際は竹刀ではなく木刀を使い、防具は着けずに素手で持つ。

二天一流武蔵会の片手素振りを習う


 前回の投稿で、現代剣道最高位の「範士」の称号をもつOOT先生(元警視庁剣道主席師範)から、直接、手の内に関するご指導をいただいたことを書きました。

 "相手を仕留める"ことができる「手の内」を身につけるには、正しい素振りで稽古することが重要で、OOT先生は奉職以来毎日数千本の素振りをされてきたとのこと。

 ならば、最初に「正しい素振り」を知らなければならない。私の場合は二刀なので、片手刀法のための「正しい"片手"素振り」だ。

 剣道をやっている方なら、片手素振りはしたことがあると思います。重い木刀を使ったり、普段は諸手で使用している竹刀をその時だけ片手で振るわけです。
 これは、「正しい片手素振り」を習得しようとしてやっているわけではなく、ウォーミングアップやトレーニングとしての"片手素振り"。片手刀法としての片手素振りではありません。

 私は、片手刀法のための「正しい片手素振り」を習得するため、二天一流武蔵会の稽古会でその方法を教えて頂きました。

軽い木刀で素振りをする


 一般的には、「木刀」といえば全剣連が規定する寸法で作られた木刀のことをさすと思いますが、古流諸流派で使用される木刀は、その流派によって形状が異なります。
 材質や太さ、長さや反りなどが違うのです。

 二天一流で使用される木刀の特徴は、細身で軽量であること。竹刀よりもやや軽くできています。
 これは流祖宮本武蔵が、二天一流「五方ノ形」を門人たちに伝えるにあたり、細身で軽い木刀を使用したと伝えられているからです。
 『五輪書』にあります「太刀の道」を、軽い木刀で修練し身に付ければ、重い真剣も刃筋正しく振ることができるということなのです。

 さて、その「正しい片手素振り」の方法ですが、二天一流用の木刀の大刀を使います。
 なければ竹刀よりも軽いものであればいいと思います。桐の木刀でもいいですし、竹刀の竹を2枚張り合わせてビニールテープで巻いたものでも構いません。

 まず、その木刀の重心位置にビニールテープなどでしるしをします。
 そして、姿見の鏡の前に立ち、上下太刀の構えをとります。慣れるまでは、小刀を持たずに大刀だけで構えます。ですから、片手上段の構えと言った方がいいかもしれません。小刀を持たない手は体側に下げます。

 正二刀の方でしたら右片手上段に、逆二刀の方でしたら左片手上段になります。(写真上)
 この時、両足は握りこぶし一つ半ぐらいの間隔をあけて、左右をそろえて立ちます。かかとも床に着けたままです。

刀の「重心」と自分の「正中線」(中心)


 ここで重要なポイントを、2カ所チェックします。
 
 1つは、構えた大刀の刃が相手に向いているかどうか。
 刃が天井を向いている方は、振った時の軌道が大きくなるので振り始めてから打突部位に到達するまでの時間がかかります。最短距離で振ることができないのです。お相手から見れば、"起こり"が丸わかりということになります。
 刃を相手に向ければ、その欠点が解消します。

 2つ目は、鏡の中の自分を見て、木刀の重心位置が頭の真上にきているかどうか。つまり、自分の正中線上に木刀の重心があることを確認します。(写真上)
 これが、ずれていては正しく振ることができません。二刀者の中には重心位置を無視して振っている方が多いのは事実です。しかし、それは竹刀だからできること。1㎏以上ある真剣であれば、刀の重心を無視して振ることはいろいろな意味で無理があります。(刀の「重心」についての考察はこちら

 次は、実際に木刀を振るわけですが、ここで重要になるのが「正中線」です。
 鏡に向かっているわけですから、自分の正中線はリアルタイムで確認できますね。
 正中線上にある木刀の重心を相手の打突部位のやや下、この場合は「面」の素振りをしますから、あごのあたりをめがけて押し出します。
 
 "押し出す"というのは、木刀の重心点の軌道が"弧"をえがくのではなく、振り終わりの位置まで重心点が"直線的"に移動するように振る、という意味です。

 この素振りの段階では、足は動かしません。前進後退しない。前進後退してしまうと反動が刀に伝わり、稽古すべき目的の部分が稽古できなくなってしまうからです。(足さばきをつかった打突は、次の段階の"打ち込み"で稽古します)

 この素振りは「正面」を打つ素振りですから、振り始めから振り終わるまで、木刀の重心点は正中線から外れることはありません。
 構えた時は、正中線からは離れた位置にあった大刀を握る拳(こぶし)も、振り下ろすと同時に胸の前あたりの正中線上にもっていきます。

 それで鏡の中の自分の「正面」を斬るわけです。

 ここで大切なのは、"剣先"を鏡の中の自分の「正面」にもっていこうとしないことです。
 剣先を打突部位に合わせようとすると、重心位置がブレます。太刀筋が不安定になるのです。
 では、どうするかと言えば、相手と「正対」していて、刀の重心点が終始正中線上にあり、振り下ろした時に拳が正中線上にあれば、当然のことながら剣先は正中線上にあります。つまり「正面」を斬ることができる。

 片手素振りをするときに意識するところは、「刀の重心点」と「拳の位置(柄頭)」の2点ということになります。
 

「太刀の道さかいてふりがたし」


 木刀の重心を知り、その重心点が直線的な軌道で移動するように振り、拳を中心にもってくる。結果的に、重心、拳、剣先、の3点が正中線にそろい、正中線を斬るわけです。

 この時、ある約束事を守らなければなりません。ある意味もっとも難しいことなんですけど……。
「太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道さかいて(さからって)ふりがたし。太刀はふりよき程に静かにふる心也」(『五輪書』水之巻より)
 刀は静かにゆっくり振るもの。早く振ろうとすれば、「太刀の道」に逆らって振ることになる、と武蔵は言っているのです。

 例えば、箸のような非常に軽いものの重心を感覚で割り出し、しかもその重心がブレずに早く振り続けることは、難しいと言っていいのではないでしょうか。
 ですから、軽い木刀で稽古することで、竹刀や刀が正しく容易に片手で振れるようになるということ。竹刀や刀も重量が違うだけで、重心位置はほぼ同じですから。

 このように、重心を意識して振ることを体に覚え込ませるのです。そうすることによって、意識しなくても刀の重心を遣った振り方ができるようになるわけです。
 このときに通った刀の軌道が、武蔵の言う「太刀の道」です。
 よって、この方法で素振りをすることが、「太刀の道」を見つけることになる、ということなのです。

ゆっくり静かに振る


 私は、二天一流武蔵会でこの片手素振りの仕方を習った時、ゆっくり静かに振るということは、立合いで求められるものとは、"真逆"のことを言っているようにしか思えませんでした。
 
 その時、その指導をしてくださった方が、私にこうおっしゃった。

 「ゆっくりゆっくりスローモーションのように振ってください。だまされたと思って、それを半年続けてください」

 私ね、素直ですからやりましたよ。毎日、数十本。
 
 そしたら2カ月続けたところで、あることが起こったのです。


※当ブログの投稿記事一覧はこちら


剣道二刀流 手の内の冴えが劇的に変化① O範士に頂いたアドバイス

元警視庁剣道主席師範 O範士の言葉で道が開ける


平成24年浦安市秋季市民剣道大会


 2012(平成24)年秋。浦安市秋季剣道市民大会に参加しました。
 この秋季大会は団体戦のみ。一昨年に初めて参加した時は惨澹(さんたん)たる試合内容でしたので(その試合の模様はこちら)、今回は何とかいい試合をしたいと思って参戦しました。(ちなみに、この前年の2011年は被災したためこの大会は中止になっております)

 試合は三人制の団体戦で、私のチームは平均年齢が45歳をこえるおやじチーム。私は先鋒です。一回戦のお相手は、20代前半の強豪校のOBチームでした。

 先鋒戦。私は打つ機会はあったのですが、キメきれずに旗が上がらず引き分け。
 続く中堅戦は、若手に二本とられて負け。
 最後の大将は、セオリー通り引き分けに持ち込まれて終了。チームの負けが決まりました。

 あっけない試合でした。
 この年は、春季大会では個人戦壮年の部で優勝してますし、お隣の市川市民大会でも個人戦で部門優勝しています。しかし、現役世代にはなかなか勝てない。
 ブランク30年から剣道を再開して3年がたち、日々の稽古も精一杯やっている。自分の二刀剣道はこのあたりで"頭打ち"なのかな、なんて思いました。

大会後の懇親会で


 大会が終了し、場所を移して所属道場の懇親会があり、出席しました。
 懇親会が始まってしばらくすると、所属道場の会長が、ある方を伴われて会場に入って来た。
 元警視庁剣道主席師範のOOT範士です。(注:「範士」とは現代剣道の最高位の称号です)
 OOT先生は市内在住で、浦安市民大会では大会顧問をされています。
 その方が、一道場の懇親会に突然現れたわけですから、驚いたのなんのって、急に緊張感が走りました。 

 席は、私の隣が二つ空いているだけ。まさかと思いましたが、お二人はそこへ。OOT先生は私の隣に座ったのです。

 OOT先生は今日の大会の講評をされ、皆さんからの質問にも丁寧にお答えになっている。
 その質問が途切れた時に、隣にいる私の方を向き、こうおっしゃった。

 「今日の試合で、二刀を執っていたのはキミか」

 「はい、そうです」

 「キミの片手打ちは、"手の内"が不十分だ。諸手で斬りかかってくる相手を片手で仕留める、そういう"手の内"を片手でやりなさい」

 私は内心、小躍りするほどにうれしかった。範士であるOOT先生が、手の内が不十分だとおっしゃっているということは、裏を返せばまだまだ伸びしろはあるということ。
 しかも稽古次第で、諸手で斬りかかる相手を片手で仕留められるようになると言っているわけですから、こんなに心強いことはありません。

「手の内」を稽古する方法とは


 OOT先生はこうもおっしゃっていました。
 「素振りをウォーミングアップ程度に考えている人が多いが、手の内の稽古は素振りでするんですよ。"正しい"素振りで」

 正しい素振りで稽古する……。OOT範士は一体どんな稽古の仕方をしていたのか……。
 気になって、後日、剣道誌のバックナンバーを調べると、OOT範士のインタビュー記事を見つけることができた。

 OOT範士は現役時代、あのしなやかで強い手の内を身に付けるために、素振りを1セット1,000本、それを一日に数セットやっていたとのこと。

 私は、まだまだ甘かったなと思いました。自分では稽古を相当やっているつもりになっていた。しかし、一流の方々は、それ相応の努力をされているんだと分かった。
 目の前に道がパァーッと開けたような気がしました。いえ、今目の前に一本の進むべき道が現れたという感じでしょうか。

 「まだまだやるべきことは、たくさんある」

 停滞していた私の二刀剣道が、「ゴロン」と音を立てて動き始めました。


2019年5月11日土曜日

リバ剣 日常の稽古⑦ 一年間の基本の強化

震災の影響で道場使えず


基本の基本を稽古


 前々回の投稿で、「一人稽古の徹底強化」について書きました。

 その2011(平成23)年は、日常の生活で「ナンバ歩き」を徹底し、“手製の打ち込み台”で片手で打って打って打ちまくり、積極的に出稽古にも行くようになった。
 この年は、震災の影響で私が出場できる近隣の剣道大会はしばらくない。
 徹底して「基本の基本」を磨くことにした。

 ひとり稽古の徹底強化を始めて半年たった2011(平成23)年秋。私の剣道にちょっと変化が表れはじめました。

"腕始動" "脚始動"の剣道を、「腰始動」の剣道に


 元オリンピック選手でマラソンランナーの高橋尚子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組でこうおっしゃっていたのを聴いたことがある。

 「マラソンのコツは、小さな筋肉をなるべく使わず、大きな筋肉を使って走ること。ふくらはぎの筋肉に頼らず、でん部から太ももの筋肉を使うこと」

 「ふくらはぎの筋肉に頼らない」、この話を聞いて、剣道にも当てはまることだなと思った。

 2010(平成22)年1月にリバ剣した初日の稽古のときのこと。(その様子はこちら
 こんな足の遣い方ではアキレス腱が切れても当然だな、と思った。稽古終了後に、ふくらはぎを酷使したことにより力が入らず、しばらくまともに歩けなかったのです。実際、剣道でアキレス腱を断裂する人は非常に多い。

 その後、二天一流武蔵会で「ナンバ歩き」の原理を教わった。(その様子はこちら
 脚力に頼らず"腰で歩く"方法だ。早速実践して1年半が過ぎたころ、地元道場でこう言われるようになってきた。
 「技の起こりが分かりずらい」
 「片手で打ってるのに、なんでそんなに早く打てるのか」
 「一時間ぶっ続けで稽古しているが疲れないのか」

 これらは、通常の歩く動作を「ナンバ歩き」という動作に根底から変更したことによって得られた"効果"のほんの一部です。
 「ナンバ」歩きは、"腰始動"の剣道の必須の稽古法なのです。

 技の起こりが分かりずらい、ということは、「溜め」がないということ。腰を入れずに、脚力だけで蹴りだそうとすると、どんな人でも必ず一瞬「溜める」。元立ちの高段者の先生方は、そこを見逃さないわけです。自分は"起こり"など作っていないつもりでも、わずかな「溜め」が「拍子」となって表れるのです。そこをとらえられてしまう。

 片手打ちなのに早く打てるのはなぜか。諸手上段のように、諸手で構えて片手で打つならまだしも、二刀者は片手で構えて片手で打つ。腕力だけで打ったら竹刀といえども数回振ったら疲れてしまいます。1㎏以上ある本身であればなおさらですよね。
 これも"腰始動"であれば難なく振れる。腰始動にすると竹刀自体の重さを引き出して、その重さを利用して振れるようになるわけです。

 この時私は47歳。稽古は、一時間ぶっ通しでやってました。休憩なし。一人目の地稽古が終わって、次の方のところに並びながら5分休憩なんてない。時間がもったいないですからね。早く30年のブランクを埋めなければならないって、そればかり考えてましたから。空いている先生に次々に稽古をお願いする。
 もちろん私はかかりて手ですから、受けて、流して、応じてなんていう稽古はしません。精一杯、自分からかかっていきます。
 これも"腰始動"ができるようになってきて、不必要な筋力を使う動作をしなくなった結果、疲労しにくくなったということ。足のふくらはぎなどの小さな筋肉を酷使しないで、それ以上の運動能力を発揮することができる。"腰始動"なら脚が疲れて前に出ないなんてことにはならないわけです。
 ふくらはぎを酷使する剣道ができるのは、20代までじゃないでしょうか。そのままの剣道を壮年になってもやっていると、技術や体力の限界を感じて剣道がつまらなくなってしまう。ケガの原因にもなりますね。ふくらはぎの酷使は本当に体力を奪います。

竹刀が片手で振れると楽しい


 正しい片手刀法で「打って、打って、打ちまくる」を信条に、自宅で毎日一時間半以上、打ち込み稽古をするようになり、ぎこちなかった片手打ちが楽しくなってきた。

 自宅に打ち込み台を置いたのは大正解。家族は迷惑がってますけど関係ありません。笑
 こちらは夢の実現がかかっているんですからね。多少は我慢してもらわないと。(なんちゃって)
 以前は肩に力が入り、竹刀を「グー」でわしづかみにしていた。そうすると、打突が弱くなる。竹刀を自在に片手で扱うなんてことができるようになるのだろうか、って思ってた。
 しかしこれが、だんだん肩の力が抜けてきて、竹刀も指二本で握って振れるようになってくる。指二本というのは、もちろん小指と薬指。『五輪書』にもありますね。
 中指は添えるだけで、人差し指と親指は握りません。すべての打突部位が正確に打てるようになってくると、時間のたつのも忘れて打ち込み台に向かっています。
 

出稽古で"ガチ稽古" 


 出稽古の利点の一つに、初対面のお相手と稽古できるということがあります。
 お互いの手の内や力量が分からないところから、稽古が始まる。互角稽古であれば、まさに"ガチ稽古"になります。

 浦安は震災の影響で稽古場所が確保できないため、お隣の市川市を中心に出稽古に行かせていただくようになると、いろいろな世代の初対面の方々と稽古する機会ができた。
 すると逆に、リバ剣おやじが二刀をやっているという物珍しさも手伝ってか、私が市川での"ホーム"にしている市川市剣道連盟東部支部に、出稽古に来る方が増えてきたのです。
 
 これは、毎回本当にいい稽古をさせて頂きました。
 地元では災害復旧まで1年間、思うように稽古できなくなりなしたが、新たな交流が生まれるきっかけになりました。

 ある出稽古先で、高段者の先生に稽古のお礼のご挨拶をした際、「二刀はどこで習っているのか」と聞かれました。「二天一流武蔵会です」と答えると、「きれいな二刀をする人はみんな武蔵会だね」と言われたのです。

 私は、片手刀法の基本稽古を毎日淡々と続けていただけ。
 「今はこの方向でいいんだな」
 そう思って、愚直に稽古を続けた。
 
 この半年後に、だれも予想だにしないことが起こることも知らずに。


2019年5月8日水曜日

リバ剣 日常の稽古⑥ 心にしみた師の言葉

被災して自分の剣道を見直す機会になった


東北の被災地へ竹刀100本の支援


 前回の投稿で、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の時のことを書きました。
 地元浦安市は、液状化現象の影響で、市内の体育施設は使用できなくなり、復旧には1年かかることがわっかた。

 通常、市内にある5つの剣道団体は皆、学校の体育館や武道館など、市の公共施設を使用して稽古を行なっている。それぞれの団体が"ホーム"として使用している施設が使えないのだ。
 市剣連が主催する剣道大会も1年間は中止になった。

 浦安も被災地だがもっと大変なのは東北の皆さん。
 所属する道場の会員さんから、こういう声が上がった。
 
 「私たちは稽古場所に困っているだけだが、東北の被災地の方々は避難生活をされているわけだから、そもそも物がない。素振りをしたくとも、竹刀すらないのではないか」

 道場のある先生が東北被災地の剣道連盟に問い合わせたところ、子供も大人も稽古をやりたがっているが竹刀がない、支援して頂けるのは大変ありがたい、ということだったという。

 それで、その先生の呼びかけで、浦安市剣道連盟本部道場として竹刀約100本を、支援物資として東北被災地に送らせていただいた。

「一人稽古」の徹底強化


 2011(平成23)年、被災後。
 道場での稽古もできない、1年間試合もない。
 これを好機ととらえ、「一人稽古」を徹底的に強化する道を選びました。

 剣道を再開して1年。自分なりには、かなり激しい稽古をしてきたつもりでしたが、もともと基礎的な体力が伴っていなかったところからの出発だった。だからすぐに限界がくる。自分では、「やってるつもり」になっていたのです。

 リバ剣当初は、数カ月も稽古すれば、すぐに昔の感覚が戻ると思っていましたが大間違い。
 あの頃と同じ努力をしなければ、その感覚は戻らないこともわかった。

「ナンバ歩き」の効果を確認


 地震発生時に職場から自宅まで、約20㎞歩いたことを前回書きました。(その様子はこちら
 その後、聞いた話ですが、同じ職場の同年代の人で、その日、私と同じように長距離を徒歩で帰った人は皆、ヒザを痛めたといいます。数日歩けなくなった人もいたそうです。

 私は、半月板の手術後数カ月しかたっておらず、段差の昇降には不安がある状態だったにもかかわらず、そういった症状は一切出なかった。
 やはり「ナンバ歩き」は足腰に負担がかからない歩き方であるということを、再確認できた。
 
 考えてみれば、剣道を再開を決意したころは、通常の走り方で毎日4~8㎞走っていましたが、その時使用していたランニングシューズは、3カ月ほどでボロボロになってしまった。
 その後、「ナンバ歩き」を実践するようになり、そのシューズも新しいものに買い替えた。同じメーカーの同じ種類のものですが、1年たってもまだまだ使える。靴にかかる負担も違うようです。

 年齢による足腰の衰えで、立合いの際の「機」のとらえ方が左右されるようでは、若い現役世代とガチンコ勝負などできるわけがない。
 年齢や運動能力に左右されない身体運用法の一つが「ナンバ歩き」。この歩き方を極めようと決意しました。

 これまでは、日常では、なるべく「ナンバで歩く」という気持ちだったのが、この時から、いかなるときも「ナンバで歩く」ようになった。
 さらに夕食後に、毎日8㎞のナンバ“走り”を自分に課しました。

自宅でいつでも「打ち込み稽古」


 前回の投稿で、木製の打ち込み台を作り、リビングに据えたことを書きました。
 それによって、もう、雑木林(防風林)の中に打ち込み稽古をしに行かなくてもすむようになった。笑(防風林の中での稽古の経緯はこちら

 「片手で、打って打って打ちまくる」
 
 自宅での打ち込み稽古は、それを信条にしました。
 その理由は、片手ででの打突が、諸手での打突と比較して、圧倒的に少ないということ。
 小学2年で剣道を始めた私は、剣道を断念する高校1年までで、どれほど「諸手」で打突してきたか。大まかな数字を出すのも不可能です。一方、「片手」での打突は、まだ始めて1年ほど。たかが知れている。

 以前、あるプロのピアニストのエッセイを読んだ時、ピアニストの“プロ”と“アマチュア”の違いについて、読者に問うている場面があった。
 私はすぐにその答えは「才能」だと思いましたが、違っていた。
 正解は「一日にピアノを弾く時間の長さ」だった。その人曰く、この違いは圧倒的なのだそうです。

 二刀流を始めた私にとって足りないもの。それは、「片手ででの打突の回数」ということになります。だから自宅で毎日、「片手で、打って打って打ちまくる」しかない。しかも“正しい片手刀法”で。

出稽古


 “一人稽古の強化”といっても、まったくお相手のいない稽古だけをしているわけにもいきません。同時に、実戦の感覚も磨かなければならない。
 
 浦安では施設が使用できないため、お隣の市川市へ出稽古に行かせていただくようになった。元々出身道場である市川市剣道連盟東部支部にはこの前年に登録していましたので、稽古には行っていましたが、市川市内の他の道場にも出稽古でお邪魔させていただくようになりました。

 どこへ行っても歓迎していただき、この時のご縁で本当にいい稽古をさせて頂き、勉強させて頂くことができました。今でも交流は続いています。

二天一流武蔵会東京支部の稽古会に参加


 震災後、最初の東京支部の稽古会に、二天一流第十七代師範の中村天信先生がお見えになった。
 中村師範は、寡黙な方。だから言葉に一切の装飾がない。今、心にあることをありのままにお話しされる。

 稽古開始前、参加した会員たちに対し、朴訥(ぼくとつ)とした話し方でこうおっしゃった。
 「一寸先は闇の世の中にあって、光明となるような二刀をするために、しっかり稽古しましょう」
 
 今でも胸に刻んで、稽古しています。


2019年5月7日火曜日

2011(平成23)年3月11日東日本大震災 居住地浦安も被災

ピンチをチャンスに


予兆のない出来事


 3.11東日本大震災で、かけがえのないご家族ご親戚を亡くされたご遺族の皆様に、改めてお悔やみ申し上げ、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

 30年のブランクから剣道を再開して1年が過ぎたその日、私は東京ドームに近い職場で仕事をしておりました。
 突然の激しい揺れに危険を感じ、その場にしゃがみ込みました。
 生まれてこの方、こんなに強い地震は経験したことがありません。幸い職場の方たちにはケガはなかったので、外の様子を見に、職場の前の国道に出てみた。

 建物から飛び出してきたサラリーマンやOLが道路の中央分離帯のところに集まっている。建物内にいることや歩道への落下物に危険を感じてのことだ。泣き叫んでいる女性の姿も。
 近くの酒屋に目をやると、店内の酒という酒すべての瓶が棚から落ちて割れている。

20㎞歩いて帰宅


 これは、大変なことになった。
 職場にもどると、今日の仕事は中止だという。急いでしたくをして職場を出た。
 この時点では災害の規模は分かっていない。心配なのは妻と子供。二人とも浦安にいる。妻は仕事中で、息子は学校だ(当時小4)。
 浦安は埋め立て地で地震に弱い。海にも面しているので津波も考えられる。頼みのケータイも通じない。電車も止まっているらしい。家まで歩くしかない。
 
 調べてみると東京ドーム付近から浦安までは約20㎞。そんな距離は歩いたことはないが、とにかく歩き始めた。
 瞬く間に国道沿いの歩道は、帰宅を急ぐ人でいっぱいになった。

 私はこの数カ月前に右ヒザ半月板を損傷して手術したばかり。(その経緯はこちら
 20㎞も歩くことができるか自信はありませんでしたが、とにかく浦安にいる家族の無事をこの目で確かめたい一心で歩きました。

 同じ方向に歩く人の波の中で、私の後ろを歩く女性2人の会話が聞こえてきた。
 「今日中に家に帰れるかなぁ」
 「歩ける距離って、1時間で5キロよね」

 1時間で5㎞。浦安まで20㎞だから、4時間。21時前には着きそうだ。
 よし、こういう時こそナンバ歩きで歩こう!(ナンバ歩きとはこちら

 半月板の手術後のリハビリで、ウォーキングをしていた時、普通に歩いた日は手術した右ヒザが腫れるが、ナンバ歩きで歩いた日は腫れも痛みもなかったことを思い出した。

 3時間歩いたところで、疲労と空腹で座り込んでしまった。自宅まであと5㎞。幸いヒザは痛くない。しかし疲れて動けない。時計を見るともう1時間も座っている。
 気力を振り絞って再び歩き始めた。

 浦安市内に入ると街の様子がいつもと違う。
 車が1台も走っていない。
 停電で街の明かりはないが、暗闇の中でも風景が一変しているのがわかった。

浦安は液状化現象


 いつも通るコンビニの前。そのコンビニが何か変だ。
 よくみると、店内に砂が流れ込んでカウンターまで埋まっている。液状化現象だ。

 道路も波打って、平らなところなどない。アスファルトのひび割れから水を含んだ砂が噴出し、立ち往生した車が乗り捨てられている。道路脇の5階建てのビルの1階部分が地中に沈んで傾いている。街中のマンホールが人の背の高さほどに飛び出している。

 自宅マンションは大丈夫なのか。それよりも、学校にいただろう息子、職場にいた妻は大丈夫なのか。とにかく自宅を目指した。

 5時間かかって自宅マンションについた。周辺は液状化現象で道路も歩道も破壊されているが、マンション自体はいつものままだ。ただ、明かりのついている部屋はひとつもない。
 エレベーターも止まっているため階段を上って行き、自宅の玄関のカギを開けた。

 真っ暗な部屋の中に、妻と息子の笑顔があった。
 

仕事は1カ月"休業"


 仕事は会社から連絡があるまで自宅待機ということになった。事実上の休業。1カ月続きました。
 水道、電気、ガス、下水道など、ライフラインがストップしているため、まずは、その日その日の生活水と食料の確保が“仕事”になった。

 市内のライフラインが復旧したのは2週間後。水と食料の確保の“仕事”が必要なくなった。
 私の仕事はまだ再開されそうもないので、時間はある。
 市内の体育施設は液状化の影響で1年は使えないので、道場の稽古も再開の見通しが立たないらしい。
 リバ剣したばかりで、今またブランクを作りたくない。試合でも、ヘンな負け方をしているので、少しでも上達したいと気合を入れ直したところだった。

 「家で稽古できるように、しっかりした打ち込み台を自分で作ろう」

 1週間かけて木製の打込み台を作った。すべての打突部位が打てるやつ。
 リビングの椅子とテーブルをかたずけて、そこに置いた。
 この日から、リビングは道場に。家族からは大ヒンシュクをかったが、目標実現のためには仕方がない。リバ剣した時に、3年以内に市民大会で優勝すると決めたので(その時の経緯はこちら)、あと2年しかない。時間がないのだ。

稽古ができる環境をつくった


 液状化現象の影響でその年の市民大会も、早々に中止が決まった。すると次の市民大会はその翌年の5月。リバ剣して3年目になる。

 「よし、その大会に照準を合わせよう」

 大会まで1年以上ある。一から片手刀法の基本をやり直そう。この打ち込み台で、毎日稽古できる!

 この半年前の市民大会の負け方。(その様子はこちら
 あの負け方が、悔しくてしょうがなかったんです。


高校1年時に剣道継続を断念した理由 十二指腸潰瘍と極度の貧血

大好きな剣道をあきらめさせた病


初期症状は小学4年時


 現在(令和元年)、私は55歳になる。剣道を再開して9年がたち、その間に急性リンパ性白血病と診断され、闘病も経験した。
 この目まぐるしい、非常に充実した、“幸福”な9年間を中心に振り返って、現在このブログにしたためている。

 前回の投稿までに、高校1年時に剣道の継続を断念していることに、たびたび触れてきました。しかし、その経緯について記述していなかったことに気づいたので、今回の稿で明らかにしておきたいと思います。


1974(昭和49)年のこと。小学4年生だった私は、夜中に起こる「腹痛」に悩まされていました。しかし、トイレに行って小用をすると、その「腹痛」がなくなるので、親にも言わずにいました。

 5年生になると、その「腹痛」は授業中にも起きるようになります。多いのは午前中。空腹になると、痛みが出たんだと思います。
 担任に腹痛を告げて保健室に行くことが増えました。すると、学校から親にその状況が伝えられます。そして、ある日の放課後、母親と一緒に近所の内科医院を受診しました。
 
 症状を伝えると、なにがしかの薬を処方され、帰宅してから数日間服用しましたが効果なし。
 今度は胃腸科専門病院を受診した。すぐに胃透しの検査をすることになった。
 初めて飲むバリウム。当時の検査方法としてはここまで。胃カメラはまだ普及していませんでした。
 結果は胃には異常はないとのこと。ただの「腹痛」と診断された。

医者に対する不信感


 しかし、症状は悪化する一方。再度同じ病院を受診すると、診察の際、医者が同席している母親に“目くばせ”をしている。「この子は、仮病をつかっていますよ」と言っているのだ。それに気づいてしまった私は、いっぺんに医者を信頼する気持ちがなくなった。

 病院を替えるも、診断は同じ。子供ながらにも、今の医学はこんなものかと思いましたね。明らかな症状があるのに「異常はない」とは。
 6年生になるころには、一日数回、のたうち回るほどの痛みに襲われることもありました。

 中学生になると、一日に数回おう吐するようになりました。夜中でも激しい痛みは容赦なく襲ってきます。このころには、何をしても痛みが治まりません。ただ転げまわるだけ。睡眠時間は3~4時間しかとれません。
 こんな状態になっても、医者に対する不信感から、受診は拒絶していました。

胃カメラが開発されたが……


 高校受験が近づくころには、毎日血を吐くようになり、食欲もほとんどない。いよいよ医者に診てもらわなければならないと思い、受験が終わるのを待って、近所にできた総合病院へ。
 この時には、胃カメラが開発されていて、初めて内視鏡検査を受けることになった。
 検査の結果はやはり同じ。「異常なし」。しかし、この医師は“胃には”と付け加えた。
 
 どういうことかというと、私は生まれつき胃下垂で、胃が骨盤の近くまで下がっていたため、胃カメラが十二指腸まで届かなかったのです。当時の開発されたばかりの胃カメラは、全長が短かったんですね。だから届かない。それで、この医師は「胃には異常はない」と言ったのです。

当時の“常識”


 でもね、ここまで解っても、医者は十二指腸潰瘍を疑わないんですよ。もちろん私も両親も疑いませんでした。
 その理由は、当時、胃潰瘍や十二指腸潰瘍は「成人病」に分類されていた。つまり、“中高年がなる病気”とされていたのです。ですから、まさか小中学生が十二指腸潰瘍になるなんて誰も思わなかった時代なのです。
 「成人病」という名称が「生活習慣病」に変わり、中高年の病気という間違った認識が訂正されたのは、この数年後のことです。

 それで、この病気が放置されてしまった。一週間ほど入院しただけで治療らしい治療はなし。食欲が多少戻った時点で、退院となった。
 しかし、家に帰れば「腹痛」と吐血。高校に入学した時には、やせ衰えていました。

ドクターストップ


 そんな状態でも、剣道は何とか続けていました。剣道をやっている時だけは、痛みを忘れ、その苦しみから解放されるのです。しかし、高校1年の時、剣道部での稽古中にこんなことが起こりました。

 切り返しをするときには、最初に正面を打ちます。その勢いのまま体当たりして、切り返しに入りますね。
 私はかかり手で、元立ちの先輩の正面を打った瞬間のことです。突然、スイッチが切れたように全身の力が入らなくなったのです。その状態で体当たりしてしまった私は、後方に飛ばされ、受け身をとることもできずに、後頭部を床に強打してしまったのです。

 幸い頭は何ともありませんでしたが、倒れ方に異常を感じた顧問の先生に、病院に行くように指示されたのです。

 父親の友人の紹介で、御茶ノ水にある病院を受診しました。血液検査の結果、「極度の貧血」と診断されたのです。
 告げられた具体的な数値は覚えていませんが、正常値よりも数値が低ければもちろん「貧血」ですが、その数値をさらに低くした状態が「入院が必要な貧血」とすると、私の場合はさらにそれよりも低く、「危険な状態」ということでした。

 その場で、入院を強く勧められましたが、初めて来た土地で自宅からも遠く不安もあり、一人で決めることができずに、その日は薬を処方してもらい帰宅することにしました。
 その際、医師からこのような条件が付けられた。

  • いつどこで倒れてもおかしくない状態だと認識すること
  • 通学は車で送迎をしてもらうこと
  • 体育の授業や剣道は見学すること

 病院からJR御茶ノ水駅に向かう坂の途中で、「剣道ができなくなったオレは、何をすればいいんだろう」なんて考えてました。
 「腹痛」の原因が判明する前に、“極度の貧血”でドクターストップになるとは。

あっけない“終わり”と突然の“再開”


 その後、剣道部の顧問には退部を申し出ましたが、引き留められた。
 「休部にしておくから、病気が治ったらいつでも戻ってきなさい」
 暖かい言葉をもらいましたが、症状が快方に向かうことはなく、復帰することはありませんでした。

 大好きな剣道でしたが、やめる時はあっけなかった。

 病状は相変わらず。
 そして高校2年になって、さらに体調を崩した時に入院した病院で検査を受けた。「腹痛」の原因が十二指腸潰瘍と判明。このころ、ようやく胃カメラの長さが現在のように長くなっていたのです。

 当時は、潰瘍に対する特効薬がない時代。その薬が登場するのは、この8年後です。長い闘病生活を強いられました。

 いつしか、剣道のことはすっかり忘れ、30年の月日が流れた。
 もう思い出すことのなかった夢を、息子が思い出させてくれたのです。
 あの出来事で。

 

2019年5月5日日曜日

リバ剣 日常の稽古⑤ 期待されていない“リバ剣おやじ”

周囲の目は冷めている


道場のに通う子供の保護者たち


 「見た目は強そうに見えるんですけどね~」

 前回の投稿で、2010(平成22)年10月の市民剣道大会に出場したことを書きました。その大会後の懇親会の席で、ある保護者から言われた言葉です。
 まあ、言われてもしょうがないですよね。2大会続けて、ヘンな負け方をしてますからね。
 
 剣道をやっている人から言われるんだったらいいんですけどね。やってない人に言われると、傷つきますね。マジで。笑

目標は3年以内に市民大会優勝


 この目標は、リバ剣した時にたてたもの。(その時の状況はこちら
 私の場合、運動不足解消のためとか、子供と一緒に剣道がやりたいからとか、子供の稽古の指導を頼まれたとか、そういう目的で「リバ剣」したわけではありません。
 あることがきっかけでリバ剣を決意したのですが(そのきっかけは、こちら)、目標はガチンコ勝負で現役世代に勝つこと。その第一段階の目標として“3年以内の市民大会の優勝”を掲げたのです。

 しかし、1年たってもこんな状況でしたから、やはり現実は甘くないと思い始めましたね。
 そして、市民大会のレベルもあなどれないと思った。初心者から、私のようなリバ剣剣士、百戦錬磨の現役選手、熟練の高段者まで、垣根なく出場するのが市民大会。意外な猛者や伏兵がいるのも特徴です。
 また、市や県のレベルで代表に選出されている人が、市民大会出場を回避していることも見受けられます。そういった代表選手の中には、市民大会で“土”をつけたくない、負けたらかっこ悪い、そう思っている人も少なくないということも分かりました。
 私自身も、市民大会をナメてたな、と反省しました。

 でも、目標は決めてしまいましたから、それに向けてやるしかありません。

中学時代の恩師との再会


 リバ剣してもうすぐ1年。試合で結果が出てない現状に、暗中模索していたころです。
 お隣の市川市に小学生の剣道大会にを観戦しに、息子を連れて出かけました。
 市川市は、私が中学卒業まで剣道をやっていたところ。現在の小学生の試合のレベルはどうなっているのか、なんとなく知りたくなってのぞいて見た。

 会場の観客席に上がる通路で、懐かしい顔とバッタリ。同級生のJ君。中学と高校で一緒に剣道をやった仲間。会うのは28年ぶり。
 聞けばJ君も、十数年のブランクからリバ剣したそうで、その時二段だったのが六段まで昇段したとのこと。いきなり勇気をもらいました。

 その直後、今度は中学時代の剣道部の顧問にバッタリ。国士館大学出身の鬼のように怖い先生です。その先生が開口一番、「随分、穏やかな顔になったなぁ」ですって。
 私もそんなに怖い顔してたんですかね。笑

 30年ぶりに剣道を再開したことを伝えると、大変喜んでくれました。
 というのも、この先生は、私が高校に入ってから極度の貧血で剣道を断念したことを知ると、心配してわざわざ家まで来てくださったことがあるのです。それくらい、剣道と教育に熱心な先生。傍らにいた私の息子にもこんなふうに声をかけてくださった。

 「お父さんは、剣道が本当に強かったんだぞぉ」

 その時の、息子のうれしそうな顔、今でも忘れません。
 恩師からの証言ですからね。息子もやる気になったようです。

 私に対しては、こういう言葉をかけてくださった。

 「まあ、ケガに気をつけてやれよ」

 拍子抜けしました。笑
 全然期待されていないんだなって。運動不足解消でリバ剣したぐらいに思ってる。
 まあ、無理もないですね。ブランク30年で、このとき二段ですからね。そこそこのところでやってなさい、って感じでしょうか。

 「よし、絶対に驚かせてやる」

 その誓いが現実のこととなるのは、この2年後のことです。

予期せぬ出来事


 以前、防風林の雑木林の中で、打ち込み稽古をしていることを書きました。(その投稿はこちら
 あれは、雨の日以外は毎日続けていて、打ち込みに使用していた「カーボン竹刀」が2カ月でポッキリ折れるほど、熱が入っていました。

 仕事から帰宅して夕食を済ませて、まずは「ナンバ走り」を4~8㎞やります。(ナンバとはこちら
 その後、打ち込み用のカーボン竹刀を持って、海岸沿いの雑木林(防風林)に向かいます。いつも21:00ごろでしょうか。そこから、一時間半ぐらい片手で打ち込み稽古をします。

 街灯はありませんから、真っ暗な林の中で独り。目が慣れてきて、打ち込み用に据えた松杭がうっすら見えてきたら、稽古開始です。
 周囲にひと気は一切ありませんから、最初のころは恐怖心がありましたけど、慣れてしまえば本当に集中できる環境です。その日も、無心で稽古してました。
 
 しばらく稽古していると、背中にないはずの「人の気配」を感じたのです。
 恐る恐る振り返ってみると、5mぐらい後方に警察官が3人立っていた。何かの通報かパトロール中に来たんでしょうね。
 松杭の“頭”には緩衝材を巻き付けてあったので、打突音が響いたわけでもありません。コソコソしたら、不審者と思われるのではないかと思い、そのまま堂々と打ち込み稽古を続けました。
 数分しても、声をかけてこない。不思議に思って振り返ってみると、もうそこに警察官の姿はありませんでした。こんな夜中に、こんなところで剣道の稽古をしているんですからね。相当ヘンなやつだと思われたでしょうね。笑

 また、ある日のこと。いつものように真っ暗な雑木林の中で打ち込み稽古に熱中していた。すると、またしても「人の気配」。気味が悪くなって振り返ると、真後ろに人が座ってこちらを見てるんです。
 「ギャーッ」って、心の中で叫びましたよ。怖いなんてもんじゃない。真っ暗で誰もいない林の中で、知らない人が私をじっと見つめているんですから。
 警察官の時は、外見で素性が分かりましたからね。今回はどんな人か分からない。30歳ぐらいの男性ということだけ。本当に怖い。
 その人がニコッと笑って、声をかけてきた。

 「二天一流の稽古ですか?」

 その言葉を聞いて少し落ち着きました。剣道の関係者かなって。

 「そうです」と答えると、その方が堰を切ったように話し始めた。

 その方は、宮本武蔵の大ファンで、武蔵に関する劇画や小説、映画など、あらゆるものを研究しているそうで、川沿いの遊歩道を竹刀の大小を持って雑木林に向かって走って行く私の姿を見て、あとを追ってきたのだそうです。

 「もう少し稽古を見ていていいですか?」

 いやとも言えないので了解しましたが、気味が悪いので早々に稽古を切り上げて、その日は帰りました。

 その1週間後ぐらいでしょうか。その人と最寄り駅でバッタリ会ったのです。

 「先日はありがとうございました。本物の二天一流の稽古が見れるなんて思いませんでしたっ」

 スーツにネクタイ姿。きちんとした、いい青年でした。
 ああいう人のためにも、一日も早く理にかなった二刀ができるように頑張ろう。そう心を新たにしました。

子供だけは信じている


 子供って、「お父さんはすごい」って思っているところって、ありますよね。なにかにつけて。
 そういう子供の心を思うと、こちらもいい加減なことはできないし、手が抜けなくなってくる。そうすると、ますます自分の稽古に力が入ります。

 夜な夜な、竹刀を持って出かけていく“お父さん”。どんな稽古をしているのかと思ったんでしょうね。
 その日は、防風林の中の稽古についてくるという。2010(平成22)年の12月のこと。小雪がちらつく夜でした。息子は当時小学4年生。

 寒いからダメだと言ったんですけどね、どうしても聞かない。仕方なく許可して、一緒に海沿いにある雑木林(防風林)へ向かった。
 すると、林の入り口まで来たところで、帰りたいと言い出した。
 真っ暗な雑木林を見て怖くなってしまったんですね。

 「帰るなら、ここから一人で帰れ」

 そう言うと、心を決めた様子でついてきました。

 いつものように、ひたすら片手で打ち込み稽古をする私。傍らで座ってそれを見ている息子。小一時間ぐらいたったでしょうか。ちらつく雪の粒が大きくなってきた。

 「まだ終わらないの?」

 しびれを切らした息子が聞いてきた。

 「あと100本やったら帰ろう」と私。

 「じゃあ、ボクが数えるね!」

 そう言って、打ち込みを数え始めた息子。

 「………37、38、39、40、71、72、73………」だって。

 よっぽど早く帰りたかったんですね。笑


追記
 市内にこの一角だけ残っていた防風林ですが、この2年後にはその姿を消し、海浜公園に生まれ変わっています。白血病を患って退院後に、リハビリがてらこの公園に散歩に行くたび、あの日の思い出がよみがえります。


 

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