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2019年6月19日水曜日

平成29年 第16回剣正会オープン剣道大会 体調不良は大病の初期症状だった

大好きなはずの試合が楽しくない


極度の眠気とだるさ


 2017(平成29)年1月。第16回剣正会オープン剣道大会に出場させて頂きました。
 この大会は、この3年前に初めて参加させて頂き、その時団体戦で3位に入賞しています。(その模様はこちら)

 この時も3位になった時と同じメンバーでチームを作って参戦。
 当日は、一番に会場入りして準備する気合の入れようでした。
 
 しかし、気持ちとは裏腹に体調が今一つ。
 思えば半年ほど前から、極度の眠気が続いている。最近は体がだるく疲れが取れない感じ。
 これから試合だというのに、ワクワクしない。
 開会式が始まったころには、「一回戦で負けて、早く家に帰りたい」なんて考えるようになっていました。

予選リーグ敗退


 3人制の団体戦で、私は大将。前二人は同じ道場の若手。予選リーグが始まりました。
 なぜか不運は重なるもので、この日はポイントゲッターの先鋒が、絶不調で負けが先行。
 中堅はウオーミングアップ中に、右足の甲を痛めて試合にならない。(後の診察で、骨折と診断)
 私も元気がなく、引き分けが精いっぱい。
 あっけなく予選敗退しました。

 「ああ、よかった」

 この時の私の正直な気持ちです。
 負けてよかったなんて、私が思うこと自体、体に異変がある証拠。
 しかし、この時はそれに気づけなかった。ただの風邪だと思ってしまった。

 午後からの個人戦はキャンセルして、駐車場に止めた車の中で休みながら、若手の試合が終わるのを待つことにしました。

 結局、昼食も取らずに大会終了までそこで爆睡。チームの若手に起こされて帰宅しましたが、その後、この体調不良は決定的なものになりました。

 自分の人生で、こんなことに直面することになるとは。
 予想なんかできませんよね。
 リバ剣して7年。52歳の冬のことです。


 急性リンパ性白血病と診断される経緯、入院、治療の記述はこちらから。
 
  

2019年5月7日火曜日

高校1年時に剣道継続を断念した理由 十二指腸潰瘍と極度の貧血

大好きな剣道をあきらめさせた病


初期症状は小学4年時


 現在(令和元年)、私は55歳になる。剣道を再開して9年がたち、その間に急性リンパ性白血病と診断され、闘病も経験した。
 この目まぐるしい、非常に充実した、“幸福”な9年間を中心に振り返って、現在このブログにしたためている。

 前回の投稿までに、高校1年時に剣道の継続を断念していることに、たびたび触れてきました。しかし、その経緯について記述していなかったことに気づいたので、今回の稿で明らかにしておきたいと思います。


1974(昭和49)年のこと。小学4年生だった私は、夜中に起こる「腹痛」に悩まされていました。しかし、トイレに行って小用をすると、その「腹痛」がなくなるので、親にも言わずにいました。

 5年生になると、その「腹痛」は授業中にも起きるようになります。多いのは午前中。空腹になると、痛みが出たんだと思います。
 担任に腹痛を告げて保健室に行くことが増えました。すると、学校から親にその状況が伝えられます。そして、ある日の放課後、母親と一緒に近所の内科医院を受診しました。
 
 症状を伝えると、なにがしかの薬を処方され、帰宅してから数日間服用しましたが効果なし。
 今度は胃腸科専門病院を受診した。すぐに胃透しの検査をすることになった。
 初めて飲むバリウム。当時の検査方法としてはここまで。胃カメラはまだ普及していませんでした。
 結果は胃には異常はないとのこと。ただの「腹痛」と診断された。

医者に対する不信感


 しかし、症状は悪化する一方。再度同じ病院を受診すると、診察の際、医者が同席している母親に“目くばせ”をしている。「この子は、仮病をつかっていますよ」と言っているのだ。それに気づいてしまった私は、いっぺんに医者を信頼する気持ちがなくなった。

 病院を替えるも、診断は同じ。子供ながらにも、今の医学はこんなものかと思いましたね。明らかな症状があるのに「異常はない」とは。
 6年生になるころには、一日数回、のたうち回るほどの痛みに襲われることもありました。

 中学生になると、一日に数回おう吐するようになりました。夜中でも激しい痛みは容赦なく襲ってきます。このころには、何をしても痛みが治まりません。ただ転げまわるだけ。睡眠時間は3~4時間しかとれません。
 こんな状態になっても、医者に対する不信感から、受診は拒絶していました。

胃カメラが開発されたが……


 高校受験が近づくころには、毎日血を吐くようになり、食欲もほとんどない。いよいよ医者に診てもらわなければならないと思い、受験が終わるのを待って、近所にできた総合病院へ。
 この時には、胃カメラが開発されていて、初めて内視鏡検査を受けることになった。
 検査の結果はやはり同じ。「異常なし」。しかし、この医師は“胃には”と付け加えた。
 
 どういうことかというと、私は生まれつき胃下垂で、胃が骨盤の近くまで下がっていたため、胃カメラが十二指腸まで届かなかったのです。当時の開発されたばかりの胃カメラは、全長が短かったんですね。だから届かない。それで、この医師は「胃には異常はない」と言ったのです。

当時の“常識”


 でもね、ここまで解っても、医者は十二指腸潰瘍を疑わないんですよ。もちろん私も両親も疑いませんでした。
 その理由は、当時、胃潰瘍や十二指腸潰瘍は「成人病」に分類されていた。つまり、“中高年がなる病気”とされていたのです。ですから、まさか小中学生が十二指腸潰瘍になるなんて誰も思わなかった時代なのです。
 「成人病」という名称が「生活習慣病」に変わり、中高年の病気という間違った認識が訂正されたのは、この数年後のことです。

 それで、この病気が放置されてしまった。一週間ほど入院しただけで治療らしい治療はなし。食欲が多少戻った時点で、退院となった。
 しかし、家に帰れば「腹痛」と吐血。高校に入学した時には、やせ衰えていました。

ドクターストップ


 そんな状態でも、剣道は何とか続けていました。剣道をやっている時だけは、痛みを忘れ、その苦しみから解放されるのです。しかし、高校1年の時、剣道部での稽古中にこんなことが起こりました。

 切り返しをするときには、最初に正面を打ちます。その勢いのまま体当たりして、切り返しに入りますね。
 私はかかり手で、元立ちの先輩の正面を打った瞬間のことです。突然、スイッチが切れたように全身の力が入らなくなったのです。その状態で体当たりしてしまった私は、後方に飛ばされ、受け身をとることもできずに、後頭部を床に強打してしまったのです。

 幸い頭は何ともありませんでしたが、倒れ方に異常を感じた顧問の先生に、病院に行くように指示されたのです。

 父親の友人の紹介で、御茶ノ水にある病院を受診しました。血液検査の結果、「極度の貧血」と診断されたのです。
 告げられた具体的な数値は覚えていませんが、正常値よりも数値が低ければもちろん「貧血」ですが、その数値をさらに低くした状態が「入院が必要な貧血」とすると、私の場合はさらにそれよりも低く、「危険な状態」ということでした。

 その場で、入院を強く勧められましたが、初めて来た土地で自宅からも遠く不安もあり、一人で決めることができずに、その日は薬を処方してもらい帰宅することにしました。
 その際、医師からこのような条件が付けられた。

  • いつどこで倒れてもおかしくない状態だと認識すること
  • 通学は車で送迎をしてもらうこと
  • 体育の授業や剣道は見学すること

 病院からJR御茶ノ水駅に向かう坂の途中で、「剣道ができなくなったオレは、何をすればいいんだろう」なんて考えてました。
 「腹痛」の原因が判明する前に、“極度の貧血”でドクターストップになるとは。

あっけない“終わり”と突然の“再開”


 その後、剣道部の顧問には退部を申し出ましたが、引き留められた。
 「休部にしておくから、病気が治ったらいつでも戻ってきなさい」
 暖かい言葉をもらいましたが、症状が快方に向かうことはなく、復帰することはありませんでした。

 大好きな剣道でしたが、やめる時はあっけなかった。

 病状は相変わらず。
 そして高校2年になって、さらに体調を崩した時に入院した病院で検査を受けた。「腹痛」の原因が十二指腸潰瘍と判明。このころ、ようやく胃カメラの長さが現在のように長くなっていたのです。

 当時は、潰瘍に対する特効薬がない時代。その薬が登場するのは、この8年後です。長い闘病生活を強いられました。

 いつしか、剣道のことはすっかり忘れ、30年の月日が流れた。
 もう思い出すことのなかった夢を、息子が思い出させてくれたのです。
 あの出来事で。

 

2019年4月16日火曜日

半月板損傷 剣道の稽古中

初出場した試合は反省しきり


取り組むべきことが見えたばかりなのに


 前回の投稿で、30年ぶりに剣道を再開して始めての試合となった、2010(平成22)年の浦安市春季市民剣道大会に出場したことを書きました。
 しかも、始めて間もない二刀での出場で、1試合中に場外反則を4回もやってしまうという大失態。前代未聞だと思います。(その様子はこちら)

 30年のブランクで、"コート感覚"が全くなくなっていることが判明しました。

 普段の稽古では試合コートのことなんて意識しませんからね。これは、試合経験を重ねて、取り戻していかなければならない感覚なんだなと思いました。

 他にも、反省点、改善しなければならないところはたくさんあります。数え上げたらきりがない。取り組まなければならない問題だらけ。

 その中でも、最も重要で真っ先に取り組まなければならないことが、はっきりした。

足さばき


 リバ剣して、試合に出てみて、痛感したこと。
 やはり、攻める、打突の機会をつくるのは、「足と腰」だなと思いました。
 
 この半年前、リバ剣を決意した時に、最初に取り組んだのが足腰の強化、そして足さばき。なのに、その足が動かない。試合になったら全くダメなんです。稽古ではそこそこ足が遣えてたんですけどね。
 
 今までの稽古量では"ぬるい"と思い。さらに強化しなければならないと思った矢先、予想もしていなかったことが起こった。

右ヒザ半月板損傷


 市の剣道連盟が主催する稽古会に参加した時のこと。

 稽古場所は、所属道場が使用している市の武道館ではなく、市の総合体育館。

 「ここは、床が硬いな」

 会場に入ってすぐに思った。剣道をやる人なら、結構気にするとこですよね。

 案の定、稽古開始前に担当者からアナウンスがあった。

 「ここは、床が硬いので気をつけてください」

 まるで、コンクリートの床の上に直接板材を張ったような感触だ。その日は強く踏み込まずに稽古したつもりでした。
 
 稽古終了時の「静座」で、何となく右ヒザに違和感があった。それでも、特に気にすることもなく帰宅。

 しかし翌日、右ヒザに痛みを感じるようになり、3日後には痛くて右ヒザが曲げられなくなった。

 「これは、半月板が折れてるな」

 そう思った。
 
 実は私、この9年ほど前に左ヒザの半月板を損傷して、手術した経験があるのです。
 この左ヒザは、小学生のころに剣道の稽古中に痛めてそのままにしていたもの。日常生活に支障はなかったので、長年放置していたのです。

 "放置"といっても最初からそうしたわけではありません。小学生でしたから親も随分と心配して、あちこちの病院やら接骨院やら鍼灸院までいろいろ連れて行かれました。
 当時は昭和40年代後半ですから、レントゲン検査といってもアナログの時代で、画像の解像度なんてめちゃくちゃ低いですから、ヒザの痛みの原因が分からなかったんです。
 もちろんMRI検査なんてありませんでしたから。

 それから26年たったある日。家で床にあぐらをかいて座っていて、立ち上がろうとした時に「ボキッ」という音がして、左ヒザがロックして動かなくなってしまった。
 翌日、近所の整形外科を受診し検査すると、医師からこういう説明があった。

 「左ヒザの半月板が折れています。あなたは生まれつき、半月板が“半月”の形をしておらず、丸い形をしているので(これを円盤状軟骨といいます)、こういう人は普通に生活しているだけで折れます。右ヒザの半月板が折れるのも時間の問題です」

 この医師の言葉を思い出して、今回、“折れてる”と思ったのです。
 そしてすぐに整形外科にかかると、やはり思った通り。手術も一週間後と決まった。
 痛みだけで動かすことはできていた右ヒザは、手術当日までには「ボキッ」と音がしてロックしてしまった。
  
 手術が終わって当日一日だけ入院し、翌日退院しましたが仕事は2週間休みました。
 剣道は1カ月休むことになってしまった。これには焦りました。リバ剣後、初めての試合も二刀で経験して、さあこれからという時ですから。
 
 この剣道ができない1カ月間、何をすべきか考えた。

 「こういう時だからこそ、ヒザに負担のかからない“ナンバ歩き”をしっかり身に付けよう」

正しいナンバ歩き


 術後はリハビリがつきもの。半月板損傷の手術の後のリハビリは、ヒザの屈伸運動をすることと、歩くこと。これをしないと、ヒザが曲がらなくなったり歩けなくなったりする。

 リハビリの指導をしてくれた理学療法士からは、「ヒザが腫れた場合は、一旦中止し、腫れが引いてからやってください」と言われていました。

 早く剣道ができるようになりたかったので、まじめにやりましたよ、リハビリ。毎日2㎞歩くと決めた。
 この頃は、稽古していたナンバ歩きはまだまだ身に付いておらず、試行錯誤の状態でした。ですから日常でも、ナンバで歩いたり普通に歩いたりの繰り返し。リハビリ中もそうでした。

 するとすぐにこんなことに気がついた。

 「普通に歩くと手術した方のヒザが腫れるが、ナンバで歩くと腫れないな」

 正しいナンバで歩くと腫れない、これはいい“先生”になりました。
 本気でナンバ歩きに取り組むきっかけになりましたね。

 「ナンバ歩き」というと、同じ側の足と手を一緒に前へ出す歩き方、と思っている方は多いと思います。しかし、これは誤りです。
 「ナンバ歩き」とは、ある腰の遣い方で歩くと、結果的に自然と踏み出した足と同じ側の手が前に出るのです。(その方法は、こちら)
 ですから重要なことは腕の振り方ではなく、“ある腰の遣い方”なのです。
 これは、日本古来の武芸に共通する基本中の基本ですね。

 リハビリをナンバ歩きですることによって、この“腰の遣い方”が理解でき、身に付き始めたのです。

 まさに、“怪我の功名”になりました。

 

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