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2021年1月31日日曜日

剣道 戦国期の下克上が意味するもの

「下達」が駆逐され「上達」への道が拓かれた戦国時代


「下達」とは


 論語の一節に「君子は上達す、小人は下達(かたつ)す」という言葉があります。
 凡人は、とかくつまらぬことに悪達者になる。励めば励むほどかえってそういう方向に突き進んでしまう。やがて手に負えない厄介者になり、私はこんなにすごいと言って周りを睥睨(へいげい)する。実は、並以下の者でしかないのに。これが「下達」の意味なのだそうです。

 私たちが生きている世間には、ありとあらゆる種類の「下達」があります。武道家には武道家の、宗教家には宗教家の下達があって、理から離れて自分勝手な空想から物事を裁断するのに忙しい。「下達」の同士の争いは歴史の本体を成していると言っても過言ではないかもしれません。

下克上という思想


 日本の戦国期に「下克上」というものがありました。「下克上」という言葉自体は誰もが聞いたことがあると思います。下位の者の勢力が上位の者に打ち勝つ、というような意味でとらえられるのが普通です。
 具体的には、戦国期に「下克上」という考えが広がり、それが思想化していった。そして、下達する者の架空の権威や争いが、至るところで徹底して破壊されたことを言います。

 その時代、小智を誇る架空の学問は破壊された。諸芸を守る家系の権威も一蹴された。政治も宗教も何もかもが叩き壊された。下達がどこでも通用しないことは、いやでも知るほかない状況が、百年以上も続いた。これは見方を変えれば大変重要なことではないかと思うのです。
 後世に生きる私たちは、この出来事によってもたらされた意味に気づかなければなりません。

 下達が通用しなければ、上達しかない。けれども、上達とは何で、それはどこにあるのか。

 こういう問いを根本的に立てようとした人が、おそらく戦国時代には出現していたに違いありません。もちろん上達というものが通用する見込みだってない。すべてが、際限のない下克上の嵐かも知れない。血で血を洗う乱世が100年以上も続いた。人間の領域に「上達」が存在することは、この時にこそ最も強く信じられ、希求されたのではないでしょうか。

兵法における「上達」


 下克上の思想から希求されたものが、まず何と言っても兵法における「上達」だったことは、至極当然のことと思われます。
 戦国期を通じ、軍略はさまざまに変化せざるを得ず、武器と戦法とのありとあらゆる工夫が試されては壊された。人はこの領域で下達、停滞することは許されなかった。と、同時に、上達への路もまた見いだせないままとなっていた。

 このような状況の中で、剣法、刀法だけが、兵法として驚くべき独特の飛躍を生み出すことができたのです。言い換えれば、刀法は「上達」への路を突如として開き、言わば「上達」がこの世にあり得ることを証明しました。

偶然から脱し普遍原理に到達


 身体運動の一般法則によって試される戦闘が、いかに一寸先も闇の偶然に委ねられているかを、少なくともこの時代の武士たちは見尽くしたに違いありません。それが彼らを圧する実感だったでしょう。
 どんな下達もここでは空しい。それ故に、彼らが達しようと願ったところは、こうした一般性の外だったのではないでしょうか。

 その結果、実際に彼らの一部は達しているのです。達した領域で「上達」が生み出された。あるいは、思想としての下克上を脱せしめる普遍的な何事かが、そこで起こった。
 下達を破壊して嗤(わら)う思想は、一般化して時代の潮流を作りました。奇跡のごとく生み出された上達への通路は、少数者が実現する普遍原理となったのです。

兵法の「上達」はこのように顕れた


 剣法、刀法において、この時代に「上達」が顕れた具体的な変化として、諸手刀法の登場というものがあります。世界の剣技が片手で行なわれるのと同様に、室町以前の日本も、太刀を片手で操作する片手保持刀法でした。そして、室町後期に諸手保持刀法が芽生え、戦国期以後はそれが全盛となる。(片手から諸手に刀法が変更された経緯は、こちら
 
 変更された理由は二つしか考えられません。ひとつは、平安末期から続いてきた太刀打の動作体系が、通用しなくなったため。もうひとつは、その動作体系がある決定的な飛躍によって、新たな段階を開いたためです。

 なぜ、片手で太刀を振る動作体系が通用しなくなったのか。この動作体系では、乱戦というある意味の極限状態の中で、限界を知ることになってしまった。それは、同程度に熟達した者同士の斬り合いでは、どちらがどのような理由で勝つのか、このことがわからないのです。
 うっかり斬りをはずされた者、受けが間に合わなかった者、躊躇して動きが一瞬遅れた者、こういう者たちがたまたま不覚を取る。このようにして生じる勝敗は、スポーツなどでは立派な勝敗でしょうが、刀法では偶然にすぎません。いや、偶然と考え、その偶然を根底から克服しようと願うことが、刀法の探究に生きる意味だった。

「流祖」となった達人たち


 戦国末期の茶の湯と刀法とは、乱世に平常心を得て生きようとする二種類の徹底した探究として成立していました。
 茶の湯がそのようなものになるのに、利休という天才を要したように、刀法にもまた上泉伊勢守(新陰流流祖)のような天才が必要だったでしょう。
 しかし、〈太刀打の偶然〉を超えようとした者は、むろん伊勢守だけではないし、彼が最初の人間でもない。

 鎌倉中期までは片手で太刀を操作していたものを、その後、わざわざ両手で持ち、あえて我が身を相手にさらすような刀法に変更したのは何のためだったのでしょうか。確実に言えることは、身体と刀との相関関係を大きく変えうる何かに、彼らが到達したということです。

 片手刀法は、刀は振られる腕の延長であり単なる武器に過ぎず、それ以上でもなければそれ以下でもない。両手保持の諸手刀法はそうではありません。腕は刀ではなく、刀は腕ではない。刀は決して腕で振ってはならない。体全体の軸移動の中に法があるのです。
 この運動は、身体のすべてと刀との厳格で複合的な結合によって出来ています。この結合の形式は、当然我と敵との間の関係の性質を変えます。
 こうした事を、実地の経験において考え抜き、答えを引き出した人間が幾人かいた。彼らはそうやって「流祖」となったわけです。

 その「流祖」たちが到達した刀法の共通した剣理が「刀身一如」でした。(刀身一如の大原則とは、こちら

武蔵の片手刀法は「下達」なのか


 宮本武蔵は、この戦国流祖たちが世を去ったころに生を受けました。
 戦国期の流祖たちが具現化し到達したそれぞれの剣の法を、ひとつの思想問題として決着させようとした人物、それが宮本武蔵です。

 武蔵は、著書『五輪書』の中で、太刀は片手で振るものだと言っている。二刀を執る理由は、片手刀法の修練のためだと。

 では、武蔵は、刀身一如の原則を否定したのでしょうか。いえ、武蔵は単なる片手刀法への回帰を謳ったのではありません。彼の二刀は、戦国流祖たちがもたらした深い革新である刀身一如の大原則を極めて厳密に受け継いでいます。
 武蔵が言うように、二刀を用いて稽古することは、その受け継いだ運動感覚を一層鋭く、自由なものに研ぎ上げるための手段にほかならなかったのです。

 誰もが、勝負の馬鹿げた運で死にたくはない。では、何を知り、何に熟達することが、この偶然の底なしの闇に勝つことなのか。武蔵は戦国武士が強いられたこの課題を、乱世が収束した時代にやって来て、たった一人で思索せざるを得なかった。彼は歴史の中に、そんな具合に生まれついた人なのです。

上達の至極「実の道」


 宮本武蔵は、剣の理法が、またそのための稽古が、そのまま生きる目的や理由になりうることを、「実(まこと)の道」という真に普遍的な思想によって明るみに出しました。
 武蔵は、およそ技術を持ち道具を用いて生きていく人間のあいだに無数の度合いで存在する、ある語りがたい働きの総体を「実の道」と呼んでいた。(「実の道」に関する記述は、こちら

 「実の道」は、人をも物をも活かしきる道で、何かを殺すことによって成り立つ道ではありません。兵法者は人を斬るのではなく、斬らなくてはならない事態に、常にあらかじめ「勝つ」人でなければならない。これが武蔵の兵法思想です。

 兵法は手技から出発しますが、手技のひとつであることをはるかに超えていきます。超えていくがゆえに、すべての手技に貫通する道を知ることができる。物を活かす道そのものを観ることができるのです。兵法の目的は実にここにこそあるのだと、晩年の武蔵は確信していたようです。

 下克上という戦国期の武士たちにもたらした探究が、ここに帰結しているのです。

 上達の至極「実の道」を体得した者が、どんな心持ちであるか。この稿の最後に、武蔵の言葉を引かせていただきます。

 兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其(その)ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々(よくよく)吟味(ぎんみ)すべし。静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰(たい)につれず、躰は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心はよはくとも、そこの心をつよく、心を人に見わけられざるようにして、小身(しょうしん)なるものは心に大きなる事を残らずしり、大身(たいしん)なるものは心にちいさき事を能(よ)くしりて、大身も小身も、心を直(すぐ)にして、我身のひいきをせざるやうに心をもつ事肝要(かんよう)也。心の内にごらず、広くして、ひろき所へ智恵(ちえ)を置くべき也。智恵も心もひたとみがく事専(せん)也。(『五輪書』水之巻より)



引用・参考文献
 『剣の思想』甲野善紀 前田英樹 往復書簡 青土社 2013年





2020年11月21日土曜日

剣道 「ナンバ」の足法は単なる歩き方の練習ではない

運動法則を根底から変更する


反発の原理を解除して得られるもの


 前回の投稿で、反発の原理をもって動作を起こそうとする運動法則を、解除するスイッチが体内にあると言いました。それを切り替えるために、ナンバの足法を身に修めるのだと。
 では、そのナンバの足法を身につけたら、何が変わるのでしょうか。
 それは単に、“送り足”が上手になるとか、“打突の起こり”が相手に察知されずらくなるとか、それだけのものではありません。もっと深いもっと根源的な問題を一挙に解決する「兵法の身なり」を稽古するために必要な身体運用法なのです。「兵法の身なり」とは『五輪書』にたびたび出てくる言葉ですが、そのことについて宮本武蔵はこう述べています。

 「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とすること肝要也」(『五輪書』水之巻)

 兵法の身が常の身と異なるものでないのなら、稽古など必要ではありません。しかし、これは、稽古によって常の身を深い次元で改変し兵法の身を修め、その兵法の身を常の身そのものに還元するのだ、と武蔵は言っているのです。

 ナンバの足法を前提とした「兵法の身なり」を修めた場合には、ただ真っすぐ正面向きに歩くだけなら、上体はぶれません。反動動作は自然に消えます。歩く時に両手を振ることは、一種の反動動作を用いることですから、これも自然に消える。
 この時、移動軸は体を左右対称に割った真ん中の線におのずと決まります。こうした厳密さだけが、武道(武術)を西洋から押し付けられてしまった運動法則から解放する基礎なのであり、先人たちが到達した理(ことわり)なのです。

地面に対する反発を解除する


 「ナンバ歩き」は、古来、日本人特有の歩き方。(ナンバ歩きについては、こちら
 日本の武術はこの身体運用法を前提としているといってよい。これができるようになれば、左足で床を"蹴って飛ぶ"必要がなくなり、右足を踏み出す前の溜がなくなる。
 構えた時に腰を入れて構えられるので機を逃しませんし、打突時には引付けようと思わなくても左足は引付けられます。

胴体に対する反発を解除する


 刀を振る時に、腕と胴体が反発し合っていては、自らの動作の起こりを相手に教えているようなものです。 
 まず、竹刀の柄をを小指と薬指で軽く握り締めること。小指から脇の下につながる筋肉(これを下筋と呼びます)が締まり、腕の動きと胴体は反発しない。わしづかみにすれば、体と剣はバラバラになり、互いに反発し合います。
 この時大事なのは、ナンバで身につけた“腰始動”で腕を振ることです。動作の“起こり”を腰で行なうわけです。
 

竹刀の重さに対する反発を解除する


 竹刀の重さに反発したり、力でねじ伏せるようなトレーニングはいつまでも続けられるものではありませんし、また、その意味もありません。
 重要なのは、構えた時の竹刀の重心の位置や、打突時の竹刀の重心の軌道です。竹刀の重心を意識した操作をすることによって、竹刀の重さを引き出して(利用して)振ることができる。(片手刀法の重心に関する記述はこちら
 例えば諸手一刀中段に構えた場合、竹刀の重心を頭の上に引き上げて振りかぶるのではなく、振り上げた竹刀の重心の下に右足を踏み出して体を入れる。体を一歩前へ出して、振り上げた竹刀の重心の下に入るのです。そして振り下ろす。
 前者は、竹刀の重心のベクトルが後方に向かってしまう。後者は、ベクトルが前方に向いた状態で、体が移動するベクトルの方向と一致します。前方にいる相手を斬るという、体のベクトルに反発しないわけです。
 竹刀の重量と重心の方向を感じ取っていれば、その重量が移動する動きに腕が加勢するように振ることができます。

相手の動きに対する反発を解除する


 相手との対立を一挙に無にすることです。相手と自分との解きがたい相互反発を解く。
 これは、間合いや拍子の鍛錬に関わっており、稽古の最終段階に属します。 
 力まかせに打ったり、独りよがりに技を出すのではない。相手の力を利用し、移動しようとする動きを利用し、拍子をつかみ、相手を引き出す。
 相手を敵ではなく、あたかも理合を体現するための協力者のように動かすことです。


 何ものかに反発する時には、人はそのものを知ることができません。
 反発の原理から解放されることによって、「常の身」は変化する相手の運動そのものの中に入り込み、それが崩れる一点に我が身の移動を置くことができるのです。
 武蔵はひとりそれを「勝つ」と表現しています。

2020年4月8日水曜日

剣道には人それぞれの実現形がある

否定してはならないその人の実現形


他人との違いを認められなくなってしまった現代剣道


 剣理をどう体得しているかが、その人の現時点での実現形(じつげんけい)に表れます。礼法、構え、足さばき、打突、残心、そして理合。そのすべてにはっきりと浮き出てしまうのが剣道。
 ウソはつけませんし、取り繕うこともできない。だから心を開いて謙虚に今の自分をさらけ出すしかない。何年キャリアがあっても、段位が何段であっても、たとえ高段者であってもです。
 その不断の稽古によって、人間形成の道が開かれていくのが武道としての剣道。スポーツのように年齢が来たから現役引退、あとは高みの見物でご意見番に、なんてことにはならない。戦国武士たちに現役引退などあるわけありませんからね。いざという時は、すべてを捨てて抜刀しなければならなかったわけですから。

 その武道としての剣道が、スポーツ化している側面を持っていることを、危惧している人は多いと思います。(剣道のスポーツ化に関する投稿は、こちら
 その一つとして、画一化ということがある。他者との違いを認められない風潮のことです。

実現形の違いは戦国期に剣術の「流派」として現れた


 室町末期から戦国期にかけて、剣術には流儀(流派)が生まれます。新当流(神道流)、念流、陰流(これを剣術の三大源流と言います)に始まり、その後に登場する新陰流がその概念を確固たるものにします。
 さらにその後、一刀流流祖の伊藤一刀斎、二天一流流祖の宮本武蔵、示現流流祖の東郷重位らが、流儀(流派)の概念を先鋭化させていきます。

 これらの異なる流儀(流派)は刀身一如を原則としていて、体現している理の部分は一致していました。しかし、理に対するアプローチの仕方が異なるという点において、実現形にはっきりとした違いが表れていたのです。それは、各流儀に伝わる形(かた)を見れば明らかです。
 アプローチが違っていても到達した剣理は同じであったため、明治期に「剣道」として諸流派を統合することができたのだと言えるでしょう。

剣道家にも「流派」があった時代


 私が剣道を始めた昭和40年代は、元に立っている先生方は、皆さん大正生まれ。例外なく古流のいずれかの流派に属している方々でした。そのためお一人お一人の剣風はまったく違うものでした。(その当時の様子は、こちら
 教え方も様々で、各流派ごとに特徴がありましたね。しかし、言わんとする理は同じ。ここが剣道の魅力であり、神髄なんです。
 そういった流派の違いを超えて、一堂に会して稽古し、教え教えられるのが剣道だった。

 見た目や剣風の違いにとらわれることなく、根底にある理をつかもうとしていたあの時代。今とは比べものにならないくらい道場に活気がありました。
 画一化して、一見するときれいにまとまっているように見える現在の方が、いろいろな意味で雑になっていますね。礼儀をおろそかにしている人が多いし、体現できなくなってしまった理合や刀法もあります。そのことに現代の剣道家が気づいていないことは問題です。
 現代の剣道指導者たちは、剣道を非常に狭い枠の中に押し込めていることを自覚しなければなりません。このまま画一化が進んでいけば、剣道においては「自然体」という言葉は死語になります。奇矯な動作を訓練して身につける、一部のアスリートのためのスポーツと化していくことになるのではないかと危惧しています。

身体的理由としての差異


 話はちょっとそれましたが、一人ひとりの実現形が異なる理由として、骨格や筋肉のつき方の違いということがあります。
 以前、解剖学がご専門の医師が書かれた記事を読んだときに、ちょっと驚いたことがあるのです。骨格は、体の大きさや身長の高低がありますから、違いがあるのはわかります。筋肉は、鍛えられたものとそうでないものが違うのは明らかです。しかし違いはもう一つあって、それは筋肉がついている場所なのだそうです。

 筋肉は腱で骨とつながっています。その腱で骨とつながっている場所が、一人ひとり違うそうなのです。それも、ちょっとずれているというものではないそうで、驚くほど離れている場所についている場合があるそうです。
 それだけ違う場所に腱がつながっていれば、物理的に全く同じ動作をすることは不可能なのだそうです。

 野球のピッチャーを例に挙げると、昭和の時代まではサイドスローやアンダースローのピッチャーが活躍していたことをご存知の方も多いのではないでしょか。これも、それぞれの部位についている筋肉の腱の位置が違うため、最も速くキレのある球が投げられるフォームが、人によって違うというわけです。
 現在は、ほとんどのピッチャーがオーバースロースタイルですね。もともとオーバースローに適した位置に筋肉がついている人には良いわけです。そうでない人は、ピッチャーとしては淘汰されてしまう。サイドスローやアンダースローという選択肢が事実上ほぼ閉ざされているからですね。

 このように、変更不可能な身体的理由で、全ての人が同じ動作ができるわけではないのです。

感覚的理由としての差異


 指導者によって教え方が違うということはよくありますね。これは、前述した剣術諸流派のようにアプローチの仕方が違うだけで、伝えようとしている理は同じであれば問題ありません。
 一つひとつの動作の意味のとらえ方、解釈の仕方は、皆が全く同じわけではありませんね。人それぞれ微妙に違う。それが指導にもはっきり表れます。

 また、指導を受ける側も、受け取り方が完全には一致しないのは言うまでもありません。人それぞれの解釈は違う。同じ段位でも剣道のとらえ方の深さは異なるのです。
 自分と同じようにとらえている人は、自分しかいないということですね。

 そういった感覚的な要因でも実現形に違いが表れます。

現代剣道においても剣風に違いがあって然るべき


 このように剣道を理解する深さが、他人と100%一致することはあり得ないことですが、それを自分と同じように理解させようと言葉で諭そうとするあまり、相手を全否定してしまう高段者がいることも困ったものです。
 人それぞれの実現形が正しいと言っているではありません。他人の今現在の実現形を尊重し、さらに上達することができる稽古をしてあげることが大切なのです。
 必要なのはお互いに理を追究する謙虚さであって、実現形の違いを否定することではないのです。

理の追究の機会を閉ざされてしまう人がいる


 剣道を画一化平均化しようとすることによって、結果的に他人との比較に終わるようなことになっている気がします。相対評価なんですね。これは評価する側もされる側も相対評価が基準になっている。

 評価する側がそうなるのは絶対評価をする能力がないからです。自分とは違う剣風にとらわれて、理の体現を認識できない。認識できていたとしても、剣風の違いをことさらに問題視する方は多いですね。

 一方、評価される側にはさらに深刻な問題が表れます。指導者が相対的基準で指導しますから、指導を受ける側も自己評価を相対的基準で行なう癖がつきます。
 他人ができて自分ができない動作や技、試合に勝てない、あるいは強かった子が勝てなくなるなど、こういったことが気になり始めると、剣道をやめるきっかけになりますね。小学校の高学年あたりや、中学1年、高校1年でそういうことになってしまう人が多いのは大変残念なことです。(私の息子も剣道への情熱を失いかけた時がありました。その様子は、こちらを参照ください)

 他人との比較で終わらないために、子供たちには理の体現という目標(喜び)とそのための稽古の意義を正しく伝えることが大事ですね。

剣理を教えることはできない


 剣理とは体得するものであることは言うまでもありません。他人に教えることはできない。教えられるのはせいぜい剣理を体得するための稽古の仕方ぐらいではないでしょうか。あとは本人が心を開いて一心に稽古するしかない。理をつかむのは本人なのです。

 ですから、他人に翻弄されないために、正しい稽古、自分に合った稽古法を見つけることは重要です。そのために、古流を学ぶことはたいへん有意義だと思います。

 前述した通り、剣道とは明治期に剣術諸流派を統合してできたものですから、剣道にとって古流は“親”です。さかのぼってルーツを知れば、おのずと現在が見えてくる。剣道で当たり前のように指導されている一つ一つの動作の深い意味を知れば、稽古で得られるものが全く変わります。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)」という稽古本来の意味を知ることになるでしょう。
 

理にかなった剣道を目指して


 結局のところ基準は、自分の剣道が理にかなっているかどうかです。
 理にかなっていることを立証する行為が、理合の体現ということになる。
 それが喜びとなり、相手はその喜びの共鳴者となる。これが剣道のおもしろいところ。

 例えば新陰流にあっては、勝敗は創造された運動世界の切り離せない「表裏」のようにして成り立ちます。敵手はあたかも進んでこの世界の成立に協力するかのように動かされる。敵の太刀筋が差し込む光なら、自分の太刀筋はその陰のごとくに働く。勝つことは、この光を十全ならしめる陰となることにほかなりません。

 そのための実現形の次元や水準が人によって違うのは当然のこと。堂々と今の自分をさらけ出すことの何がいけないんでしょうか。
 他人の実現形の違いから何かを学ばなければならないのは、それを否定している人のほうではないでしょうかねぇ。


追記

 以前、ある方からこんな話を伺いました。

 その方は、30代の前半で剣道六段を取得しましたが、そこから七段へはなかなか昇段できず、20年が経ってしまったそうです。その間、あちこちの八段の先生の道場に伺っては指南を受けていたそうですが、迷いの心が次第に強くなってしまった。

 そのようなころ、友人に誘われて地元近くの道場に出稽古に行ったときに、稽古をお願いしたのがTNK先生。なんと、私の小学生時代の恩師。(TNK先生については、こちらをご参照ください)
 その方が迷いの中で剣道をしていることを見抜いたTNK先生に、ある言葉をかけられたそうです。その瞬間、暗闇の中でもがいていた自分に光明が差したとのこと。
 そして、TNK先生のもとに通うこと一年。見事、七段に昇段できたのだそうです。20年ぶりの昇段にその方はたいへん喜んでおられました。

 初対面のTNK先生にかけられた言葉は、こうだったそうです。

 「○○さん、自分の剣道をやりなさいよ」


※当ブログの剣道に関する記事のタイトルリンク一覧は、こちら

 

2019年3月17日日曜日

剣道 古流に学ぶ

「古流」という裏付けのある「剣道」 

片手刀法。右片手上段からの正面打ち
片手刀法:右片手上段からの正面打ち

剣道家が「流派」に属していた時代


 1972(昭和47)年。小学2年だった私が剣道を始めたころ、元立に立っている先生方は、皆さん大正生まれでした。ですから、現在のように「現代剣道」だけをやっている方はおりませんでした。

 大正生まれということは戦前から剣道をやっていた方々です。それは、ほとんどの方が古流のいずれかの流派に属しているということです。剣道に古流という裏付けがあった時代。揺るがない理論と技がありました。

「講話」と「理」
 当時、私が所属した中山剣友会(現名称:市川市剣道連盟東部支部)は、戦後、GHQによるいわゆる〝剣道禁止令〟が解禁された後、約20の流派の剣道家が集まって始められた道場だと聞いています。
 ですから、指導する先生によって、教え方がまったく違いました。例えば、作法が違う。面打ちの教え方が違う。技の理合いの解釈が違う。
 小学生だった私は、先生によってなぜ教え方が違うのか、それが大変興味深く、稽古に通うのが楽しみになっていきました。
 
 もう一つの楽しみが「講話」です。稽古が終わって整列し、静座の前に小学生に向けて剣道の講話があった。3分程度だったと思います。
 各流派の先生方が日替わりで話をする。これが実に興味深い。各流派に連綿として伝わってきた「理」がある。それを、「剣道」で、あるいは「日常」の生活の中で体現する話。剣道をやっていく上ではもちろん、一人の人間として人生をやっていく上で有意義な話ばかり。学校では絶対に教えてもらえない貴重な話が満載でした。
 今では、そういう「講話」はどこの道場でも聴くことはありませんね。指導者に古流というバックボーンがないからです。残念なことです。

 そして中学生になったころ、剣道の稽古中に、あの“教え方の違い”について、ふと自分の中で“答え”が出た。
 各流派の教え方、言い回しは違うが、言わんとしていること、物毎(ものごと)の根底においてのは同じなんだ、ということが。
 小学生の時に、古流の裏付けのある先生方に剣道を教わったことは、私の財産になりました。

古流に習い、剣道で実践


 高校で剣道を離れて、45歳の時に再開を決意。同時に二刀を執ろうと決めた。

 それにあたって、古流二刀を教えてもらえる道場を探そう。見つからなければ剣道再開はあきらめよう。そう思いました。

 なぜそう思ったのか。
 それは、我流でやるなら意味がないと思ったからです。

 諸手一刀中段の剣道を、我流でやっている方は、おそらく日本で一人もいないと思います。必ず、最初は指導者から「基本」を習っているはずです。

 しかし、これが諸手左上段や二刀となると、片手刀法の基本も習おうともせず、自分勝手な思いつきでやる人が多い。

 言うまでもなく、鎌倉から江戸初期にかけての各流派を源流とする「剣術」が連綿と継承され明治期に統合されたものが「剣道」です。
 私たちは、この“源流”の部分を「稽古」しているわけです。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)
 
 自分の思いつきでやっているもの、我流でやっているものは「稽古」とは言わず、「練習」と言います。我流でやる剣道ほど、見ていてむなしいものはありません。


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剣道 戦国期の下克上が意味するもの

「下達」が駆逐され「上達」への道が拓かれた戦国時代 「下達」とは  論語の一節に「君子は上達す、小人は下達(かたつ)す」という言葉があります。  凡人は、とかくつまらぬことに悪達者になる。励めば励むほどかえってそういう方向に突き進んでしまう。やがて手に負えない厄介者になり、私はこ...

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