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2019年4月23日火曜日

市川市剣道連盟東部支部(旧中山剣友会)③ 目に焼き付いた「組み討ち稽古」

変わらない"音"


少年時代にタイムスリップ


 2010(平成22)年の夏が終わるころ、34年ぶりに子供の頃に通った道場に挨拶に行ったことを前回の投稿で書きました。

 その翌日の日曜日。早速、防具を担いで市川東部に稽古に行った。
 到着すると、すでに到着していたOIKW先輩が体育館の入り口で出迎えてくれた。OIKW先輩も私が稽古に来ることを心待ちにしていてくれたらしい。
 先日、市川東部に来るように声をかけて下さったTNK先生は、残念ながらこの日はお見えになられていませんでした。(TNK先生についてはこちら
 
 小学生の稽古はすでに始まっていて、参加は昨日と同じ10名程度。これで全員だそうだ。寂しさを感じずにはいられませんでしたね。何しろ、私が小学生の頃は、ここで200名の子供たちが稽古していたんですから。

 「ああ、私が聞いていたのはこの音だ」

 しかし、変わっていないものもありました。
 竹刀の"音"です。竹刀と竹刀が当たる音。竹刀で防具を打つ音。

 この"音"については、それまで気にすることは特にありませんでした。
 それが34年ぶりにこの道場に戻ってきて、"音"の違いに気づいた。施設によって音の反響の仕方が微妙に違うということを、この時初めて知ったのです。
 私にとっての剣道の"音"はこの音なんですね。本当に懐かしい。
 ワクワクして、緊張する、それでいて心地いい"音"。

 「帰って来たんだな」と思いました。

 この日の一般の稽古の参加者は私以外に6名だったと思います。
 大人の参加も毎回これくらいの人数だそう。もう、二刀を執っている方もいないそうだ。
 この中で、OIKW先輩以外にもう一方、34年ぶりの再会となった方がいらっしゃいました。

二刀流 故松崎幹三郎先生とUEKS先生の「組み討ち稽古」


 私が小学生だった昭和40年代後半から50年代にかけてのこと。
 私淑する故松崎幹三郎先生(二刀流)と毎週木曜日に稽古していたNGSK先生のことを、以前に記事にさせて頂いたことがある。(その記事はこちら
 実は、もう一人、松崎先生が木曜日に毎回稽古された方がいらっしゃる。というより、松崎先生(当時50歳ぐらい)が必ず稽古相手に“指名”する方がいた。UEKS先生(当時20代半ば)。


 昭和40年代後半のとある木曜日、午後8時。小学生の私が稽古を終えて、帰り支度をしているころになると、松崎先生が防具を担いで道場に入ってくる。道場全体が緊張感につつまれる瞬間だ。
 すでに面、小手以外の着装を済ませて、準備運動をしているU先生の表情からは笑顔が消え、集中モードに入ったのが分かる。
 他の小学生たちは家路につく中、私は道場の隅で、これから始まる稽古を目に焼き付けようとしている。

 稽古が始まった。元立ちの松崎先生が大小を抜刀して蹲踞し中段十字に構え、同時に掛かり手のUEKS先生が一刀中段に構えた。
 立ち上がると同時に、正二刀の松崎先生が小刀は中段のまま大刀を上段に構えた。二刀の代表的な構え「上下太刀」。UEKS先生は正眼の構え。二人の気合が道場に響く。松崎先生は“歩み足”。UEKS先生は“送り足”。お互いに間合いを詰める。
 “石火の機”に二人が動いた。
 初太刀はUEKS先生の面と思いきや、そこへ松崎先生が“流水の打ち”をかぶせて豪快な出ばな面で初太刀を取った。道場に打突音が響き渡る。
 なおも前へ出てくるUEKS先生の剣尖を小刀で表から押さえ、それに反発して剣尖を中心に戻そうとする刹那を大刀で小手をバックリ。
 今度は起死回生に先々の気概で飛び込んだUEKS先生の面打ちを、小刀で受けると同時に大刀で胴を抜いた。胴が割れるかと思うようなものすごい迫力。それでいてすべての動きが華麗で美しい。まるで踊りを踊っているよう。しかも圧倒的に強い。松崎先生の二刀の特徴だ。
 「いや、まだまだっ!」
 UEKS先生も、参りましたとは言わない。“最強の二刀流”に一刀で真正面から挑み続ける。二刀と一刀、明らかに条件が違う。スポーツだったらありえない、日本古来の武道であればこそ。その戦いぶりに見ている者皆心を打たれた。
 時計の針はすでに午後9時を回っている。二人で1時間以上ぶっ通しで稽古しているのだ。もう稽古というより“死闘”だ。
 片手で竹刀を振り続け握力が低下してきた松崎先生が、UEKS先生の体当たりを受けて右手に持った大刀を落とした。すかさず“入り身”になった松崎先生は、UEKS先生の竹刀を奪おうとその柄に手をかけた。
 UEKS先生は竹刀を奪われまいと両手に力を入れて握った瞬間、腰が浮いてしまった。そこを逃さず、松崎先生がUEKS先生に足払いをかけた。もつれて倒れ込む二人。「組み討ち稽古」の始まりだ。
 「組み討ち稽古」は面を外されるか、「参った」と言ったら負け。二人とももう竹刀は持っていない。床に転げて組み合うこと数分。松崎先生がUEKS先生の体をキメて面を外した。
 息が上がる二人。とっくに体力の限界は超えている。それでも立ち上がって、落とした竹刀を拾い、九歩の間合いをとって静かに正座した。組み討ち稽古で乱れた着装を整える。UEKS先生は外された面を着け直した。
 立ち上がって、立礼から互いに抜刀し、UEKS先生が気力を振り絞って気合もろとも打ち込んだ。稽古の締めの「切り返し」だ。こうして1時間以上続いたの二人の稽古は終了した。
 
 見ている私たちは感動しかありません。こういう「稽古」を毎週されていたのです。忘れられるはずがありません。攻め込む時の松崎先生の足の指の動きまで、鮮明に覚えています。

 
 今回、このUEKS先生に再会することができた。二刀流 松崎幹三郎先生の“生き証人”です。
 
 

2019年4月17日水曜日

剣道昇段審査① 二刀流でリバ剣直後の苦悩

想定していなかった昇段審査


受審すべきか否か


 2010(平成22)年7月。
 右ヒザ半月板損傷の手術から2カ月たって、少しでも遅れを取り戻そうと二刀剣道の稽古にますます力が入っていたころのこと。(半月板を損傷した時の様子はこちら
 地元の所属道場の稽古に行くと、道場の役員をされている方から声をかけられた。

 「来月の昇段審査は受けますか」
 
 ドキッとしましたよ。段審査のことなんて、全く考えていませんでしたから。
 リバ剣を決意して以降、剣道ができる体を作ること、二刀をやるため片手刀法を身につけること、そのことに集中して今できることをやってきた。

 この時、私はまだ初段。リバ剣して半年。二刀でしか稽古していない。

 「来月の段審査は、受審すべきか回避すべきか」

 悩みました。とことん悩みました。

 実際問題として、二段の昇段審査を「二刀」で受審する人なんていません。少なくとも戦後は、そういう人はいないんじゃないでしょうか。

 戦前はいました。私淑する故松崎幹三郎先生は大正生まれ。旧制中学で剣道初心者から二刀を始め、一刀は習ったことがないお方。段審査も、初段から六段まですべて「二刀」で受審された方です。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 受審するとしても、二段を「二刀」で受審していいものなのか。または、この時だけ「一刀」で受審すべきなのか。

 迷いました。

 この時は結論を出せず、審査申し込みの返事は、1週間以内にさせて頂くことにしました。

息子のひと言


 「お父さんといつになったら稽古できるの?」

 所属道場で一般の稽古が始まろうとした時、小学4年になった息子が言った言葉です。
 
 息子は小学1年からこの道場で剣道を始めていて、この頃には小学生の部の稽古が終わると、続けて一般の部の稽古にも参加していました。

 私はこの時、リバ剣して半年。二刀でしか稽古していませんし、自分の稽古で精一杯だったので子供たちと稽古したことはありません。同じ道場に通いながら、息子と一度も稽古したことがなかったのです。

 何か納得のいく結果を出すまでは、一刀はやらないと決めてしまっていたため(その理由はこちら)、息子には随分と寂しい思いをさせてしまっていたと思います。

 「よしっ、二段を二刀で受審し、合格したら一刀での稽古を解禁しよう」

 息子のひと言で、受審すると決めた。

 段審査を二刀で受審して合格すれば、曲がりなりにも剣連から自分の二刀が認められたということ。そうなれば、二刀を執る自信にもつながる。
 
 そしてその日、昇段審査受審の申し込みを済ませた。

何度不合格になっても構わない


 二段を二刀で受審すると決め、申し込みはしたものの、不安感に襲われた。

 「二刀で受審したら、審査員の先生方になんて思われるだろう」
 
 受審を決めてから、何人かの高段者の先生方に、「二刀で受けても受からないよ」なんて言われました。
 そういう言葉は覚悟していたんですけど、面と向かって言われると、かなり凹みますね。

 昭和40~50年代は、二刀をはじめとする片手刀法に対し、著しい誤解と偏見があった時代。(その様子はこちら
 稽古では二刀とはやりたくないと中傷され、試合では片手で打ってるというだけで旗が上がらない、段審査では偏見から二刀の合格者がでない。
 しかし、そういった時代にあって、二刀を執り続けた方々がいらっしゃる。二刀者の数が激減した時代に、信念を貫き通した二刀剣士がいる。
 私は、小学生の頃、それをこの目で見ているのです。
 
 特に、故松崎幹三郎先生にあっては、芸術的な美しさのある二刀をやる方で、しかも圧倒的に強かった。しかし、二刀に対する偏見から、段審査では大変ご苦労なされたと伺っております。松崎先生は前述したとおり、まったくの剣道初心者から二刀しかやっていないのです。一刀は習ったことがない。ですから「二刀でだめなら一刀で」なんてできなかったのです。

 先師荒関二刀斎もこの世代のお方ですから、取り巻く環境は同じく厳しかったんではないでしょうか。

 そういった方々のご苦労があったからこそ、今、こうして私たちが二刀を執ることが出来るのです。
 そう思った時、何度不合格になったとしても二刀で受審する以外ない、そういう決意が沸き上がってきました。

 審査の数日前。所属道場の高段者TZW先生が背中を押してくださった。

 「二刀で受けるかどうか悩んでいるの? 君は二刀でしか稽古してないんだから、堂々と二刀で受審しなさい」
 
 涙があふれそうになりました。


2019年2月8日金曜日

剣道 片手刀法に魅了された少年時代 その2

「将来は二刀をやる!」

時間のたつのも忘れて


 小学3年の時、二刀流との衝撃の出会いがあって、すっかり片手刀法のとりこになってしまった私。(その経緯は、前回の投稿をご覧ください)

 自分の稽古が終わっても、その二刀の先生の稽古が始まると目がくぎ付けになってしまい帰れない。
 「なんで片手で打っているのに、あんなに強く打てるんだろう」「なんで歩み足でやってるんだろう」「なんで右足が前でも左足が前でも打てるんだろう」「なんでこんなに多彩な技が次々と繰り出せるんだろう」「二刀対一刀、明らかに条件が違うのにお互い真剣に戦っている。剣道はスポーツではなく武道なんだ!」時間のたつのも忘れて見入っていました。

道場の帰りに 


 道場へは、路線バスを使って片道25分かけて通ってました。
 ある日、いつものように二刀の先生の稽古を熱中して見ていたら、帰りが最終のバスになってしまった。
 当時は、路線バスには車掌が乗っていて、道着姿で竹刀を持った低学年の小学生が終バスに乗ってきたので、驚いたんでしょうね、声をかけてきた。

 「おい坊主、今日はなんでこんなに遅いんだ?」
 「二刀流の稽古を見学してたんです」
 「ここの道場の二刀流の先生は有名なんだってな。オレも見てみたいなぁ。二刀流ってどうやってやるんだ?」
 「こうやってやるんです!」

 若い車掌を相手に、上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)をやって見せた。懐かしい思い出です。

 この37年後に、まるで同じような出来事が私の目の前で起こって、私の人生を変えてしまうとは……。このことは、別の機会に改めて書きます。

日本武道館での稽古


 話は戻って、当時のこと。
 そのころ、毎年正月に日本武道館で小学生が参加できる稽古会があったんです。
 元立ちの先生に小学生が稽古をお願いする自由稽古だったと思います。
 会場は全国から集まった少年剣士で埋め尽くされていました。
 みんな初めてお目にかかる元立ちの先生方に次々と稽古をお願いしていく。

 で、私はというと。防具を着けて、面も着けていますが稽古はしません。必死になって二刀を執っている元立ちの先生を探し回ってるんです。笑
 毎年、その稽古会で二刀者は一人いるかいないか。見つけてもかかっていかない。客観的に見れなくなってしまうから。二刀の見取りをする大チャンスなんです。そんな変わった子供でした。
 
 現在は二刀者は増えてきました。各支部の剣道連盟に数名いるところもあるんじゃないでしょうか。
 当時は非常に少ない。たいへん貴重な存在でした。昭和40年代。ビデオカメラなんて一般には普及していない時代ですから、見たいと思っても見ることができない。
 長年剣道をやっていても二刀剣道を見たことがない人はたくさんいたと思います。

誤解と偏見


 二刀者が少なかった理由の一つに、“片手打ち”に対する偏見があったと思います。
 「片手で打つなんて邪道だ」「相手に対して失礼」「有効打突にならない」なんてことが、まことしやかにささやかれていました。

 諸手上段や片手上段、そして二刀。片手で打つ刀法はことごとく否定され、偏見の嵐が吹きまくっていました。上段に対する"胸突き”のルール(上段に対する突きは、突き垂れだけでなく胸部も打突部位に入るというもの)ができたのは、この数年後のことです。このルールの導入で、上段を執る者は激減していきます。

 私の通う道場の二刀の先生も、そういった意味でたいへんなご苦労をなさっていたと、子供ながらに感じていました。
 そんな状況ですから、身近に素晴らしい片手刀法の継承者、二刀の先生がいても、それを習おうとする若い人がいなかったんですね。

 小学生だった私は、こんなことを胸に秘めながら剣道をやっているようになっていました。

 「高校生になったら、この二刀の先生に弟子入りして二刀流を習いたい。そして将来、二刀で全日本選手権に出場したい。そのために今は一刀で頑張って強くなる。二刀をやる時に誰にも文句を言われないようにしてやる」


 まあ負けん気の強い子供でした。

 しかしこの頃、すでに病魔は忍び寄ってきていたんですね。16歳になり、夢をあきらめることになるとは……。(その原因はこちら
 

2019年2月7日木曜日

剣道 片手刀法に魅了された少年時代 その1

二刀流 故松崎幹三郎先生 


「真の二刀流」の目撃者になった


 子供のころ所属していた剣道の道場に、二天一流の二刀を執る先生がいらっしゃいました。

 その先生が稽古をしているところを初めて見たのは、小学3年の時です。衝撃的でした。

 他の先生方はもちろん諸手で竹刀を振っている。その中でただ一人片手で竹刀を振り、両手に1本ずつ竹刀を持っている。しかも一方の竹刀は極端に短い。二刀流だ。
 足さばきは「歩み足」。右足が前でも左足が前でも打っている。一切下がることなし。打ち損じがほとんどない。振ったらすべて一本だ。
 圧倒的に強い。それでいてとても美しい。まるで踊りを踊っているようだ。

 あれから46年たった今もはっきり覚えているんですね。あの時の光景が脳裏にやきついている。足の指の動きまで。

 その二刀の先生は稽古に入る時、お相手に「一刀でやりますか?二刀でやりますか?」と聞く。お相手が「一刀で」と言ったら、竹刀を取り換えるために一旦下がる。一刀用の竹刀に持ち替えて、礼法から蹲踞、抜刀、そして構え……
 今度は右片手上段です。今ではお目にかかることのない片手上段。片手で構えて片手で打つ。竹刀を持たない方の腕は体側に下げたまま。片手で上段からすべての打突部位を見事にとらえる。応じ技も片手で応じて片手で打つ。その華麗さは、諸手上段の比ではありません。
 
 松崎先生は、大正生まれで、昭和初期の旧制中学の時に剣道を始め、その時の指導者が二刀者だったために初心者から片手刀法だけを習った方です。
 ですから、諸手一刀中段は習ったことがないのです。そういう方がいらっしゃたんですね。昔は。
 東京帝国大学卒で、人格的にもすばらしい先生でした。



 「大人になったら二刀をやりたい。片手刀法で試合に勝ちたい」



 その後、16歳の時に十二指腸潰瘍の悪化に伴う極度の貧血で、剣道をあきらめました。


 「もう剣道をやることはないだろう」


 それから30年後、あるきっかけであの衝撃がよみがえり、二刀で剣道界に復帰するとは……

 (そのきっかけとは、こちら


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