2019年2月8日金曜日

剣道 片手刀法に魅了された少年時代 その2

「将来は二刀をやる!」

時間のたつのも忘れて


 小学3年の時、二刀流との衝撃の出会いがあって、すっかり片手刀法のとりこになってしまった私。(その経緯は、前回の投稿をご覧ください)

 自分の稽古が終わっても、その二刀の先生の稽古が始まると目がくぎ付けになってしまい帰れない。
 「なんで片手で打っているのに、あんなに強く打てるんだろう」「なんで歩み足でやってるんだろう」「なんで右足が前でも左足が前でも打てるんだろう」「なんでこんなに多彩な技が次々と繰り出せるんだろう」「二刀対一刀、明らかに条件が違うのにお互い真剣に戦っている。剣道はスポーツではなく武道なんだ!」時間のたつのも忘れて見入っていました。

道場の帰りに 


 道場へは、路線バスを使って片道25分かけて通ってました。
 ある日、いつものように二刀の先生の稽古を熱中して見ていたら、帰りが最終のバスになってしまった。
 当時は、路線バスには車掌が乗っていて、道着姿で竹刀を持った低学年の小学生が終バスに乗ってきたので、驚いたんでしょうね、声をかけてきた。

 「おい坊主、今日はなんでこんなに遅いんだ?」
 「二刀流の稽古を見学してたんです」
 「ここの道場の二刀流の先生は有名なんだってな。オレも見てみたいなぁ。二刀流ってどうやってやるんだ?」
 「こうやってやるんです!」

 若い車掌を相手に、上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)をやって見せた。懐かしい思い出です。

 この37年後に、まるで同じような出来事が私の目の前で起こって、私の人生を変えてしまうとは……。このことは、別の機会に改めて書きます。

日本武道館での稽古


 話は戻って、当時のこと。
 そのころ、毎年正月に日本武道館で小学生が参加できる稽古会があったんです。
 元立ちの先生に小学生が稽古をお願いする自由稽古だったと思います。
 会場は全国から集まった少年剣士で埋め尽くされていました。
 みんな初めてお目にかかる元立ちの先生方に次々と稽古をお願いしていく。

 で、私はというと。防具を着けて、面も着けていますが稽古はしません。必死になって二刀を執っている元立ちの先生を探し回ってるんです。笑
 毎年、その稽古会で二刀者は一人いるかいないか。見つけてもかかっていかない。客観的に見れなくなってしまうから。二刀の見取りをする大チャンスなんです。そんな変わった子供でした。
 
 現在は二刀者は増えてきました。各支部の剣道連盟に数名いるところもあるんじゃないでしょうか。
 当時は非常に少ない。たいへん貴重な存在でした。昭和40年代。ビデオカメラなんて一般には普及していない時代ですから、見たいと思っても見ることができない。
 長年剣道をやっていても二刀剣道を見たことがない人はたくさんいたと思います。

誤解と偏見


 二刀者が少なかった理由の一つに、“片手打ち”に対する偏見があったと思います。
 「片手で打つなんて邪道だ」「相手に対して失礼」「有効打突にならない」なんてことが、まことしやかにささやかれていました。

 諸手上段や片手上段、そして二刀。片手で打つ刀法はことごとく否定され、偏見の嵐が吹きまくっていました。上段に対する"胸突き”のルール(上段に対する突きは、突き垂れだけでなく胸部も打突部位に入るというもの)ができたのは、この数年後のことです。このルールの導入で、上段を執る者は激減していきます。

 私の通う道場の二刀の先生も、そういった意味でたいへんなご苦労をなさっていたと、子供ながらに感じていました。
 そんな状況ですから、身近に素晴らしい片手刀法の継承者、二刀の先生がいても、それを習おうとする若い人がいなかったんですね。

 小学生だった私は、こんなことを胸に秘めながら剣道をやっているようになっていました。

 「高校生になったら、この二刀の先生に弟子入りして二刀流を習いたい。そして将来、二刀で全日本選手権に出場したい。そのために今は一刀で頑張って強くなる。二刀をやる時に誰にも文句を言われないようにしてやる」


 まあ負けん気の強い子供でした。

 しかしこの頃、すでに病魔は忍び寄ってきていたんですね。16歳になり、夢をあきらめることになるとは……。(その原因はこちら
 

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