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2019年4月16日火曜日

半月板損傷 剣道の稽古中

初出場した試合は反省しきり


取り組むべきことが見えたばかりなのに


 前回の投稿で、30年ぶりに剣道を再開して始めての試合となった、2010(平成22)年の浦安市春季市民剣道大会に出場したことを書きました。
 しかも、始めて間もない二刀での出場で、1試合中に場外反則を4回もやってしまうという大失態。前代未聞だと思います。(その様子はこちら

 30年のブランクで、"コート感覚"が全くなくなっていることが判明しました。

 普段の稽古では試合コートのことなんて意識しませんからね。これは、試合経験を重ねて、取り戻していかなければならない感覚なんだなと思いました。

 他にも、反省点、改善しなければならないところはたくさんあります。数え上げたらきりがない。取り組まなければならない問題だらけ。

 その中でも、最も重要で真っ先に取り組まなければならないことが、はっきりした。

足さばき


 リバ剣して、試合に出てみて、痛感したこと。
 やはり、攻める、打突の機会をつくるのは、「足と腰」だなと思いました。
 
 この半年前、リバ剣を決意した時に、最初に取り組んだのが足腰の強化、そして足さばき。なのに、その足が動かない。試合になったら全くダメなんです。稽古ではそこそこ足が遣えてたんですけどね。
 
 今までの稽古量では"ぬるい"と思い。さらに強化しなければならないと思った矢先、予想もしていなかったことが起こった。

右ヒザ半月板損傷


 市の剣道連盟が主催する稽古会に参加した時のこと。

 稽古場所は、所属道場が使用している市の武道館ではなく、市の総合体育館。

 「ここは、床が硬いな」

 会場に入ってすぐに思った。剣道をやる人なら、結構気にするとこですよね。

 案の定、稽古開始前に担当者からアナウンスがあった。

 「ここは、床が硬いので気をつけてください」

 まるで、コンクリートの床の上に直接板材を張ったような感触だ。その日は強く踏み込まずに稽古したつもりでした。
 
 稽古終了時の「静座」で、何となく右ヒザに違和感があった。それでも、特に気にすることもなく帰宅。

 しかし翌日、右ヒザに痛みを感じるようになり、3日後には痛くて右ヒザが曲げられなくなった。

 「これは、半月板が折れてるな」

 そう思った。
 
 実は私、この9年ほど前に左ヒザの半月板を損傷して、手術した経験があるのです。
 この左ヒザは、小学生のころに剣道の稽古中に痛めてそのままにしていたもの。日常生活に支障はなかったので、長年放置していたのです。

 "放置"といっても最初からそうしたわけではありません。小学生でしたから親も随分と心配して、あちこちの病院やら接骨院やら鍼灸院までいろいろ連れて行かれました。
 当時は昭和40年代後半ですから、レントゲン検査といってもアナログの時代で、画像の解像度なんてめちゃくちゃ低いですから、ヒザの痛みの原因が分からなかったんです。
 もちろんMRI検査なんてありませんでしたから。

 それから26年たったある日。家で床にあぐらをかいて座っていて、立ち上がろうとした時に「ボキッ」という音がして、左ヒザがロックして動かなくなってしまった。
 翌日、近所の整形外科を受診し検査すると、医師からこういう説明があった。

 「左ヒザの半月板が折れています。あなたは生まれつき、半月板が“半月”の形をしておらず、丸い形をしているので(これを円盤状軟骨といいます)、こういう人は普通に生活しているだけで折れます。右ヒザの半月板が折れるのも時間の問題です」

 この医師の言葉を思い出して、今回、“折れてる”と思ったのです。
 そしてすぐに整形外科にかかると、やはり思った通り。手術も一週間後と決まった。
 痛みだけで動かすことはできていた右ヒザは、手術当日までには「ボキッ」と音がしてロックしてしまった。
  
 手術が終わって当日一日だけ入院し、翌日退院しましたが仕事は2週間休みました。
 剣道は1カ月休むことになってしまった。これには焦りました。リバ剣後、初めての試合も二刀で経験して、さあこれからという時ですから。
 
 この剣道ができない1カ月間、何をすべきか考えた。

 「こういう時だからこそ、ヒザに負担のかからない“ナンバ歩き”をしっかり身に付けよう」

正しいナンバ歩き


 術後はリハビリがつきもの。半月板損傷の手術の後のリハビリは、ヒザの屈伸運動をすることと、歩くこと。これをしないと、ヒザが曲がらなくなったり歩けなくなったりする。

 リハビリの指導をしてくれた理学療法士からは、「ヒザが腫れた場合は、一旦中止し、腫れが引いてからやってください」と言われていました。

 早く剣道ができるようになりたかったので、まじめにやりましたよ、リハビリ。毎日2㎞歩くと決めた。
 この頃は、稽古していたナンバ歩きはまだまだ身に付いておらず、試行錯誤の状態でした。ですから日常でも、ナンバで歩いたり普通に歩いたりの繰り返し。リハビリ中もそうでした。

 するとすぐにこんなことに気がついた。

 「普通に歩くと手術した方のヒザが腫れるが、ナンバで歩くと腫れないな」

 正しいナンバで歩くと腫れない、これはいい“先生”になりました。
 本気でナンバ歩きに取り組むきっかけになりましたね。

 「ナンバ歩き」というと、同じ側の足と手を一緒に前へ出す歩き方、と思っている方は多いと思います。しかし、これは誤りです。
 「ナンバ歩き」とは、ある腰の遣い方で歩くと、結果的に自然と踏み出した足と同じ側の手が前に出るのです。(その方法は、こちら
 ですから重要なことは腕の振り方ではなく、“ある腰の遣い方”なのです。
 これは、日本古来の武芸に共通する基本中の基本ですね。

 リハビリをナンバ歩きですることによって、この“腰の遣い方”が理解でき、身に付き始めたのです。

 まさに、“怪我の功名”になりました。

 

2019年4月15日月曜日

平成22年浦安市春季市民剣道大会 リバ剣後初出場

二刀でのデビュー戦


30年ぶりの試合


 2010年5月。30年のブランクからリバ剣して5カ月目。
 所属道場の稽古に行った時、掲示板に市民大会参加者の登録名簿が掲示されていたのが目に入った。

 浦安市の市民大会は春季と秋季の年2回。春季剣道大会は団体戦はなく、個人戦のみ。
 掲示された参加者登録名簿に、参加希望者が記入してエントリーするようだ。もうすでにたくさんの方々の名前が記入されている。

 「個人戦なら他人に迷惑が掛からないだろう」

 そう思ってすぐに参加を決め、名前を記入した。
 リバ剣直後で、しかも二刀もまだまだぎこちない。でも、とにかく30年ぶりに試合を経験したかった。少しでも早く試合の勘を取り戻したかった。この時、もう46歳ですから。

 剣道の市民大会は、剣道初心者や私のようなリバ剣剣士から、百戦錬磨の現役選手、教員や警察官、全国大会予選出場の常連者、熟練の高齢者まで、幅広い層の選手が出場するのが特徴です。

 私が最後に出場した試合は、中学3年の時の県大会でした。ですから、一般の部に出場するのは初めて。市民大会の一般の部はどういうレベルなのか、実際に感じてみたかったのです。

 負けるのは分かっています。負けることによって今の自分を知り、何をすべきかが見え、次へのチャレンジができる。笑われてもいいから二刀で出場する、そう決めました。

幸先いいスタート


 試合当日、午前11時に開場入りすると、小学生の部が終わって、中学生の部が始まっていた。
 この後、高校生の部があって、一般の部が始まるのは午後2時過ぎらしい。
 
 まさか自分の人生で、再び試合前のこの緊張感を味わうとは思いもしませんでした。

 「ああ、この環境に戻って来たんだな」

 会場に入って実感がわきました。

 実は、1週間前から不安で仕方なく、この日は朝から不安感が頂点に達していた。

 一刀で試合に出るなら、ここまで不安にならず緊張だけで済んだと思います。
 リバ剣して二刀を始めてまだ5カ月目。これで試合に出るというわけですから、ちょっと無謀ですよね。
 不安を取り除く方法も見つからないまま、一般の部が始まった。

 私の一回戦はトーナメントの第一試合。お相手と向き合い、礼をし、大小を抜刀して蹲踞した。

 「始めっ」

 主審の号令とともに立ち上がって上下太刀に構えた。
 すると、一刀中段に構えたお相手が、スーッと前に出てきて、小刀の切っ先にご自分の竹刀の物打ちを合わせてきた。

 これ、錯覚してるんですね、お相手が。竹刀同士が触れ合うところまで間合いを詰めたつもりなんでしょうけど、こちらが中段に構えているのは短い小刀です。これに触れるところまで間合いを詰めたら、かなりの近間になっているのです。

 私はすぐに反応してました。
 小刀に触れてきたお相手の竹刀を、その小刀で瞬時に押さえて大刀で小手を打った。
 気づいたら打ってたって感じ。旗は三本あがってました。

 「二本目っ」

 主審の号令が掛かると、今度は警戒して間合いを詰めてこない。小刀が気になっている様子。
 ならばこちらが足を使って攻め込もうと前にでると、お相手は下がって間合いを切る。この繰り返しになって試合時間がもうわずかしかない。下がるお相手をさらにもう一歩攻め込んで面に飛び込んだ。

 「ちょっと浅かったかな」そう思いましたが、旗は三本あがってました。

 30年ぶりの試合、しかも始めての二刀での試合。これは幸先がいいなと思いました。

ブランク30年で失った感覚


 二回戦が始まった。今度のお相手は、平正眼や霞の構えで防御一辺倒。すぐに鍔迫り合いになってしまう。
 ならば引き技で一本を取ろうと、大刀で引き面を打ったんですが、旗は一本しかあがらず勢い余って場外へ出てしまった。場外反則一回。
 続けてまた同じことをしてしまい、場外反則二回。これでお相手に一本となってしまった。

 この後、さらに同じことをもう二回やってしまった。つまり、場外反則4回で二本負け。
 場内からどよめきが起こりました。私には失笑に聞こえましたけどね。

 引き面を打って場外へ出てしまう。一度やったら、普通は気をつけますよね。

 私、試合中に気づいたんですけど、コートの感覚が全くないんです。
 30年前はありました。ちゃんと。
 今、どれぐらい下がったら場外へ出てしまうとか、今、コートのどのあたりを背にしているとか。

 意識しようとしても余裕がないためか、どちらの方向にどれだけ動いたら場外に出るのかが、把握できないのです。
 自分でもこれには驚きました。

 リバ剣にも、リハビリが必要なんだなと思いましたね。ブランク30年は重症です。

 こんな変な幕切れで、リバ剣二刀での最初の挑戦は終わりました。

 「打たれて負けたわけではないから、まあいいか」

 そんなおかしな言い訳を、心の中でつぶやきがら会場をあとにしました。

 この“コート感覚”。取り戻すまで、この後、1年かかることになるとは。


2019年4月14日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加④ 二天一流第十七代師範 神免二刀流第十六代師範

流祖武蔵から連綿と継承された流派


中村天信 師範


 2010(平成22)年4月。武蔵会東京支部の稽古会に参加させて頂いた。

 会場に到着して着替えを済ませ準備運動をしていると、Kさん(HN:KOJIROさん)がお見えになり、こうおっしゃった。

 「本日は、中村先生がいらっしゃいます」

 ついにこの日が来た。
 現代の二刀流に失望しかけた私に、中村師範との出会い(その時は動画でですが)は、一条の光明となっていました。(その経緯はこちら

 二天一流の第十七代師範という「運命」を背負われたお方。
 宮本武蔵自流の正統として、伝統の荘厳なる継承の使命を負う。そういうお方に、いよいよお目にかかれる。

流祖から中村天信までの系譜


 江戸前期、流祖宮本武蔵が晩年を肥後(熊本)で過ごし、「二天一流」の系譜はここで端を開きます。
 その主な道統に「肥後の五流派」があります。寺尾派(山尾派)、山東派、村上派正勝系、村上派正之系、野田派。いずれも二天一流の正統です。
 また、二天一流から分派した流派として、新潟越後に伝わった神免二刀流があります。

 「肥後の五流派」のうち、大正期までに三流派が継承者が得られず断絶し、現在は、山東派と野田派が二大流派を形成しています。
 一方、神免二刀流は越後藩の剣術指南役を務める五十嵐家に伝わり、代々家伝の流儀として現代まで継承されてきました。

 先師荒関二刀斎は、神免二刀流継承者五十嵐一隆に就いて二刀流の指導を受け、後に印可を得て、神免二刀流を継承します。
 また、熊本に渡り、野田派の二天一流十五代松永展幸のもとでこれを学び、後に印可を得て二天一流の十六代を継承しました。
 いずれも昭和30年代のことです。

 先師荒関二刀斎は、昭和44年の第17回全日本剣道選手権大会にも二刀で出場されています。

 そして、平成8年に中村重則天信という後継者を得て、十七代を継承させたのです。

稽古開始


 この日も最初は、ナンバ歩きの稽古から。床を擦る「すり足」の音だけが、道場に静かに響く。中村先生が見守る中、皆さんの緊張が伝わってくる。

 次に形(かた)稽古。ここからは直接中村先生からご指導いただいた。私も「胴を切る」場面で、刃筋を手を取って直して頂いた。
 二刀の形で二刀の刀法を知り、理合を知る。古流でなければ出来ない稽古法です。特に武蔵会の場合は、これが竹刀稽古につながっている。実践につながる理論があるんですね。
 私自身、この3年後に、試合や段審査でその成果を実感することになります。

 そして、防具を着用して竹刀稽古。まずは基本打ち。
 これも中村先生が手本を見せて頂き、直接ご指導くださった。

 これも武蔵会ならではの稽古。
 試合や地稽古は、お相手さえいればある意味どこでもできます。しかし、二刀の基本稽古を正しくじっくりやるとなるとなかなか機会がない。
 私にあっては、この稽古ができるところを探してたわけですから。二天一流の十七代師範に直接ご教授頂けるなんて信じられない気持ち、まるで夢のようです。

 この後、通常であれば、それぞれにお相手と組んで地稽古となるんですが、この日は中村先生がいらっしゃるということで、一人ひとり中村先生と稽古して頂けることになった。
 とはいっても、人数も多いし時間の制限もあるので、代表の上級者5名ほどが稽古することに。他の者は、見取り稽古となった。
 私は面をはずして、固唾をのんで立ち合いに見入った。

少年の頃に見た二刀流がここに


 「この師に就いて学ぼう」

 立合いが始まってすぐにそう決意した。

 昭和40年代に見た、心を揺さ振られた二刀流。
 今、目の前で繰りひろげられる立合いに、あの頃と同じ種類の感動が沸き上がってくる。

 昭和40~50年代は二刀者が激減した時代。(その理由はこちら
 この頃二刀を執っていた方々は皆、大正生まれ。戦前から二刀流をやっていた方々です。そして、後継者がないまま二刀剣士の高齢化が進んでしまい、世を去ってしまった。

 平成に時代を移して、「試合・審判規則及び細則」が改正され、環境が変わって二刀を執る者が徐々に現れてきた。現代の二刀剣士の多くは(高名な二刀者も含めて)、これ以降にご自分の創意工夫で二刀を執られてきた方々です。

 私はそういう方々の二刀を、批判したり否定したりするつもりはありません。
 そういった時代背景がありますから、私たちが子供の頃に見た二刀流と違っていて当然なのです。

 しかしここに、継承された二刀者が実在したのです。
 中村天信師範。
 子供の頃から私淑してきた故松崎幹三郎先生と剣風はちがうが、根底に流れる「理」が同じような気がする。(故松崎幹三郎先生についてはこちら

 二刀の操作をどうにかやり繰りして一本を取ろうとする二刀剣道ではない。右片手、左片手、それぞれが独立して片手刀法として成立している。どちらか一方の介助がなかったとしても一本が取れる剣道だ。
 それでいて、左右の片手刀法が絶妙な調和をして、迫力があり美しい二刀剣道を具現化している。


 地元でも、故松崎幹三郎先生の二刀を知る人は、めっきり少なくなりました。
 松崎先生との立合いの経験がある、現在は高齢になった先生方は、「あの先生の二刀には、理があったね」と皆さん口をそろえます。


 もう見ることが出来ないであろうとあきらめていた「二刀の理」が、今、目の前にある。
 

 
参考文献
 『武蔵の剣 剣道二刀流の技と理論』佐々木博嗣編著・スキージャーナル・平成15年
 

2019年4月12日金曜日

リバ剣 日常の稽古② 正しい片手刀法の実践

古流に学び剣道で実践


結果はすぐに表れた


 前回の投稿で、二天一流武蔵会の稽古会にて「小手」と「胴」の片手打ちを学んだことを書きました。
 これで、「面」「小手」「胴」の正しい片手打ちを稽古できる。そう思うとますます稽古熱が高まっていきました。

 武蔵会東京支部の稽古会は毎月第2,4土曜日の午後です。pm5:00に終わりますので、急いで帰れば地元道場の稽古に間に合います。
 この時から、武蔵会の稽古会に参加した日は、ダブルヘッダーで稽古するようになりました。

正しい刀法はひとに伝わる


 先ほど覚えたばかりの二刀の正しい片手刀法を実戦で稽古したくて、地元の所属道場へ急ぎました。

 私は、30年のブランクからリバ剣したばかりで二刀初心者。しかもまだ初段。
 普通の道場だったらどのような対応を受けるでしょうか。

 「二刀をやる前に一刀で基本をしっかりやれ」
 「初段のくせに何が二刀だ」

 まあ、こんなリアクションでしょうかね。
 
 地元の所属道場ではこういうたぐいのことは、言われたことはありません。それどころか、“二刀、大歓迎”といった空気。本当にありがたかったですね。

 「次は、私と稽古しよう」

 この日も、皆さんに次々と声をかけて頂きました。

 そんな中、ある先生と地稽古をした後のこと、驚いた顔でこう聞かれた。

 「どこかで二刀を習ってきたの?」

 先月、稽古した時と全然違うと言うのです。私はこう答えました。

 「習ってません」

 説明し始めると長くなりますから。(笑) 稽古をする時間がもったいないですからね。

 二刀や片手打ちの経験がない方でも、"違い"が分かるんですね。他の先生方にも同じようなことを言われました。

 この時、リバ剣して3カ月目。私の二刀がガラッと変わったと思います。
 手さぐりで稽古してたものが、何を稽古すればよいか解ったという感じですかね。迷いも不安もなくなりました。

 しかし、意外な人にも、"正しさ"が伝わってしまったようです。

高名な二刀者のお弟子さん


 実は、この地元の所属道場には、数年前から二刀を執っている方がいたのです。
 平成の二刀の大家といわれる方の、お弟子さんです。

 この日、稽古が終わって着替えようとしているところに、この“お弟子さん”がやってきた。
 「小手ってどうやって打つの?」

 二刀者で範士である師がいらっしゃる方なのに、二刀初心者の私に小手の打ち方をいきなり聞いてきたんです。真顔で。

 ちょっと驚いてしまいました。
 そういう“大先生”が師匠でいらっしゃる方に、初段のしかも二刀を始めたばかりの私が、そんなこと教えられるわけがありません。
 そう言ってお断りすると、あからさまに不機嫌そうな顔をして、帰っていった。

 この後、様々な嫌がらせを、この“お弟子さん”から受けることになります。


2019年4月11日木曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加③ 片手刀法「小手打ち」「胴打ち」

基本の打突を伝授

大刀の重心に黒いビニールテープを貼った。
二刀の大刀。黒いしるしが重心位置。
片手刀法は刀の重心を意識することが肝要。

 2010(平成22)年2月と3月。それぞれ1回ずつ、武蔵会東京支部の定例稽古会に参加させて頂いた。両日ともに、全体の指導担当はKさん(HN:KOJIROさん)でした。
 
 まずは2月。
 前回は、私の指導を担当して頂いたKさんが、マンツーマンで指導して頂きました。
 今回からは、全体の稽古に混ざって参加。非常に緊張しましたが、これから二刀を執って剣道をやっていくうえで核になるものをつかみたい、そういう思いでいっぱいでした。

二刀の形稽古


 古流である二天一流武蔵会では、形(かた)の稽古を重要視しています。
 私が小学生のころに通った道場でも形は重視していて、小学生でも日本剣道形は全員できました。(当時の様子はこちら
 ですから、二刀の形には非常に興味がありましたので、二天一流用の木刀大小を準備して、参加しました。
 
 武蔵会では「五方ノ形」以外にもいくつかの形を稽古していて、今回も先師荒関二刀斎が制定した「十三本の兵道形」を稽古しました。
 初めての二刀の形稽古で、皆さんについていくのが大変でしたが、理合を覚えるには形稽古は必須。この日は、十三本のうち三本をしっかり覚えました。

片手での小手打ち


 前回は、Kさんにナンバと面打ちまで、教えて頂いています。
 なんと、この日の基本稽古のメインメニューが"上下太刀の構えからの小手打ち"。グッドタイミングでした。
 
 教えて頂いた上下太刀からの小手打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     相手のどこを打つかにかかわらず、構えの基本は変わりません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井を向くことがないようにする。これも、どこを打つかで変わることはありません。
  3. 振り下ろす時も重心を正中線上からはずさず、「面打ち」と同じ太刀筋で振り下ろす
     降り始めから、重心を打突する小手側にずらすことのないようにする。
  4. 中段に構えた相手の太刀の物打ちの裏に、大刀の重心部分を通す
     相手の竹刀の裏、スレスレのところを通すようにする。この瞬間は、大刀を握った拳はへその前。
  5. 大刀を握った拳を一気に自分の左腰骨の前に持っていきながら、物打ちで小手を打つ
     大刀が相手の竹刀の裏に入る瞬間に、大刀を握った拳を左腰骨の前あたりに瞬間移動させる心持。その時、大刀の重心を意識し、重心をずらさずに拳を動かすことによって物打ちで小手をとらえる。
  6. 大刀が重心を中心に回転するようにして打つ
     大刀の物打ちが小手に当たる直前に拳を跳ね上げる。これが手の内の冴えになる。平打ちにならないように、刃筋を通す。

片手での胴打ち


 ここからは翌3月の稽古会。私はすべての稽古会に出席できているわけではないのですが、なんとこの日の基本稽古のメインメニューが胴打ち。またもやグッドタイミングでした。

 教えて頂いた上下太刀からの胴打ちのポイントは次の通り。
  1. 上下太刀に構えた時、大刀の重心は頭の真上(正中線上)に置く
     胴打ちの時も、構えに変わりはありません。
  2. 大刀の刃部を相手に向ける
     刃部が天井に向かないようにする。胴打ちの時も変わりません。
  3. 振り下ろす時も、重心が正中線に近いところを通るように振る
     相手との間合や位置関係で多少違いますが、大刀の重心が正中線上から大きくはずれることのないように振る。
  4. 斜め45度の刃筋を通す
     バットのスイングにならないようにする。最短距離の太刀筋で胴をとらえる。
  5. ナンバ歩きの要領で、背骨を軸に骨盤を回転させて、しっかり腰で打つ
     熟練を要する。ナンバ歩きをしっかり稽古することが肝要。


 これで、「面」「小手」「胴」と、突き以外の基本打ちの方法を習うことができた。
 感激と感謝。念願でしたからね。

 稽古会が終了したのは夕方。

 「正しい刀法を早く試したい」

 飛んで帰って、地元の所属道場の稽古に行きました。
 

2019年4月10日水曜日

リバ剣 日常の稽古① 稽古法の修正

理にかなった稽古の実践


古流の理論を体現する


前回の投稿で、二天一流武蔵会に参加し正しい片手刀法の稽古の仕方を、学んだ内容を書きました。
 早速、その日の夜から、自己流の稽古法を修正しました。

ジョギングを「ナンバ走り」に


 メタボ体質からの脱却と基礎体力作りのため、リバ剣を決意してから毎日4㎞程度のジョギングをしてきました。
 これを「ナンバ走り」に変更。仕事から帰ったらすぐに着替えて、自宅近くの川沿いの遊歩道&ランニングコースで「ナンバ走り」の稽古。
 最初の頃は、10mも走れば、いつの間にか今まで通りの現代人の走り方に戻ってしまう。それでも根気よくナンバ走りを繰り返した。

 日常の"歩く"動作もすべて「ナンバ」で歩くようにしましたので、道ですれ違う人に失笑されることも度々ありました。なんて変な歩き方をしてるんだろうと思われたんでしょうね。最初はぎこちなかったですから。笑
 しかし、「リバ剣おやじ」としては、稽古時間を確保することも課題の一つ。日常の生活そのものを稽古にしてしまう作戦です。
 

"鉄筋棒"での素振りをやめた


 これも、リバ剣を決意してすぐにやってきたこと。自宅のベランダで約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをしてました。(その様子はこちら
 しかし、重い木刀などを使って素振りすることはあまり効果がないことを教えて頂きました。逆に、軽い物で素振りした方がいいと。
 
 また、片手の場合、素振りは手首に非常に負担がかかるので、最初は「打ち込み」で、竹刀の握り方、構え、太刀筋、手の内、を稽古した方がよいということなので、それを実践した。
 ですから「素振り」は、しばらく稽古メニューからはずします。

腕力で打つのではなく、竹刀の重さを引き出しての打ち込み稽古


 道場での稽古がない日は、“防風林の中”で打ち込み稽古です。(その経緯はこちら
 打ち込みも全て片手ですが、それまでは約2㎏の鉄筋棒で片手素振りをして筋力アップし、竹刀を腕力だけで振っていました。

 正しくは、片手上段に構えた竹刀の重心を常に意識し、落下しようとする竹刀自体の重さを感じながら、その重さを利用して打つ。

 しかし、しばらくはうまくいきませんでした。どうしても、肩、腕、手、に力が入ってしまう。重い鉄筋棒を片手で振っていたためです。
 余計な力が入り過ぎているため、打突が弱い、刃筋が通らない、手の内が効かない。間違った稽古法の悪影響がはっきりと出てしまった。

 これを克服するのに、この後、半年を要することになります。


地元の所属道場の稽古で


 「 FJT君がお父さんと稽古したいんだって」

 道場で稽古が始まる前、小学3年の息子が私に言ってきた。

 FJT君は小学5年生。この道場の小学生の中で1番強い男の子。息子の面倒もよく見てくれる子だ。

 しかし私は、リバ剣初日の稽古の後、二刀で納得がいく結果が出るまで、一刀はやらないと決めてしまった。(その経緯はこちら
 それは、子供たちとは稽古できないということを意味します。もちろん、自分の息子ともできません。

 FJT君に直接話しました。

 「ごめんね。今はまだ、子供たちと稽古できないんだ。できるようになったら、1番最初にやろうね」

 その時のFJT君の寂しそうな目が忘れられないんです。今でも。

 こんな私とでも一緒に稽古をしたいと思ってくれてる子供がいる。1日でも早く上達して、二刀で何らかの結果を出そう。
 
 涙があふれました。
 

2019年4月9日火曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加② ナンバ歩き 片手刀法「正面打ち」

実際の稽古に参加


基本中の基本を習う


 2010(平成22)年1月のこと。

 前回の武蔵会東京支部稽古会では、見取り稽古をさせて頂きました。(その時の様子はこちら
 
 私はもともと、小学生の時に、「古流」というバックボーンを持った指導者の方々に「剣道」を教わりました。(その様子はこちら
 よって、二刀を習ううえでも、古流である二天一流で“竹刀剣道”を教えて頂ける道場を探していました。

 「ここだ!」

 前回の見取り稽古で直感しました。
 
 そして2週間後。この日が来るのが待ち遠しかった。
 会員の皆様にご挨拶させて頂き、稽古に参加させて頂きました。
 二刀初心者の私の指導にあたって下さったのは、Kさん(HN:KOJIROさん)でした。

ナンバ歩き


ナンバ歩き画像 本人 総合体育館剣道場
右足が前になった時は
左の腰が入っている。
最初はやはり“ナンバ歩き”から。古流ならではの稽古法です。
 しかし本来は、「剣道」にとっても“基本中の基本”なんですけどね。

 まずは、Kさんがお手本を見せて下さった。

 「見たことある」

 俳優の大御所が出演するようなきちんとした時代劇の出演者は、皆この歩き方をしているな、と思いました。
 また、能や狂言もこの“足の運び”をしている。能や狂言の起こりは、剣術のそれとほぼ同時代。
 一般庶民から能楽師、武士に至るまで、当時の日本人の身体運用法の基本となるもの。
 この土台なくして、“正しい刀法”はあり得ないと思いましたね。

 しかし、実際にやってみると非常に難しい。全く出来ないと言っていい。
 背骨を軸にして骨盤を回転させる。右足を一歩踏み出した時は左の腰が前に出ている。左足を一歩踏み出した時は右の腰が前に出ている。

 つまり、現代人の歩き方とは、踏み出す足と回転する骨盤の方向が逆。歩き方の根本的な動作を変更しなければ出来ない歩き方です。即席で出来るものではないと分かった。

 それでも、Kさんの丁寧で解りやすい説明のおかげで、ナンバ歩きの原理は理解できた。
 あとは、日常の中で実践し体得していくしかない。普段の歩行もナンバ歩きですると決めた。

 この効果は、この半年後ぐらいから徐々に表れ始めることになります。

片手での正面打ち

大刀の重心の位置にしるしがある。
大刀の重心が正中線上にあるのがわかる。

 この日、Kさんにもう一つ教えて頂いたのが、片手での「正面打ち」。

 まずは、大刀の重心位置に黒いビニールテープを巻いてしるしをした。
 私は正二刀ですので、右片手で上段に構える。今日はまだ小刀は持たない。空いている左手は体側に下げたまま。
 
 この日、教えて頂いたポイントは4つ

  1.  大刀の重心が頭の真上にくるように構える。
     つまり、刀の重心が自分の正中線上にあるように構えるということ。
     二刀の構えは、人によって非常に個性が出ます。例えば、上下太刀の構え(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)の大刀の位置に限ってみても、人それぞれに違います。大刀を頭上高く構える方もいれば、頭上すれすれに低く構える方もいる。
     いずれにしろ重要なことは"大刀の重心が自分の正中線上にある"こと。
  2.  構えた大刀の刃部は相手に向ける。
     上段に構えた大刀の刃部が天井を向いていると、振りが大きくなって機を捉えにくい、相手から見て起こりがわかりやすい。
  3.  腕力で竹刀を振るのではなく、竹刀の重さを引き出して振る。
  4.  竹刀の「物打ち」が面を打突する瞬間に、拳を跳ね上げて竹刀が重心を中心に回転するように打つ。これが、手の内の“冴え”となる。

 「ナンバ歩き」と「片手での正面打ち」。二刀(片手刀法)の基本中の基本。
 これで、地元の所属道場、自宅、そして“防風林の中”で、正しい稽古法が実践できる。(防風林の中の稽古についてはこちら

 「二天一流武蔵会の稽古法は素晴らしい!」

そんな思いを胸に、我流から脱却できる喜びでいっぱいで帰路についた。


2019年4月7日日曜日

二天一流武蔵会 稽古会参加① 見取り稽古

古流の「理」にかなった稽古


充実の内容に心を揺さ振られる


 2010(平成22)年1月。
 ブランク30年から剣道を再開し、地元剣連で道場デビューした1週間後のこと。(道場デビューの様子はこちら
 二天一流武蔵会東京支部の稽古会におじゃまさせて頂き、見取り稽古をさせて頂きました。(「武蔵会」を知った経緯はこちら

 二天一流第十七代師範であり新免二刀流第十六代師範である中村天信先生は、こちらの稽古会には年に数回お見えになるということですが、この日はいらっしゃいませんでした。
 この日の指導は、師範代の佐々木さんがされておりました。
 参加者は20名ぐらい。年齢層は、20代の方からご高齢の方までいらっしゃいました。


 稽古が始まった。

 最初は基礎体錬から。
 道着・袴姿で、ナンバ歩きの稽古。

 通常、「剣道」では稽古の最初は"形”もしくは"素振り"ですよね。「古流」ともなれば最初は"ナンバ歩き"なんですね。
 すでにこの時点で、二天一流の稽古に引き込まれていきましたね。

 次に形(かた)の稽古。
 武蔵会で稽古している形はいくつかあって、この時は、先師荒関二刀斎が制定した「十三本の兵道形」を稽古していました。
 初めて見る二刀の形。これも興味津々で見入っていました。

 そして、竹刀を執って片手で素振りと打ち込み。
 大刀の重心部分に印(しるし)がある方がいる。私は二天一流武蔵会のホームページを事前に見て、この意味を知っていましたので、稽古している内容が理解できました。
 木刀や竹刀の重心を知る。重要なことなんですね。

 そして最後に、防具を着用して、基本打ちと地稽古。

 トータルで約4時間。とても充実した内容といえる稽古会でした。

見取りした感想


 全体的な印象としては、和気藹々とした雰囲気の中で、皆さん非常に集中して稽古なさっているな、と思いました。
 基本と、正しい片手刀法を重視した、きれいな二刀剣道をされているなと。

 特に興味深かったのは、ナンバ歩きの稽古。諸手であっても片手であっても、正しい刀法にはこれがベースになければならない、ということですね。
 日本人の現在の歩き方は、明治維新後の服装や生活様式の変化、西洋式の軍事教練の導入などで変化したものだと、聞いたことがあります。
 ですから、明治維新以前の日本人は皆、この“ナンバ”で歩き、走っていたんですね。和装の特徴を一つ一つ見れば、納得できます。

 例えばその一つ。雨に濡れた土の道をビーチサンダルであるいたら、「ペタンペタン」とビーチサンダルのかかとに当たる部分が跳ね上がり、泥水も一緒に跳ね上がって足にかかってしまいますよね。
 和装に草履履き。コンクリートもアスファルトで舗装された道もない時代。ナンバ歩きなら、泥水は跳ね上がりません。
 刀法はこの“ナンバ”という日本人特有の身体運用法があったうえでのもの、ということになります。正しい刀法には、ナンバは不可欠だということですね。
 
 思い返してみれば、小中学生のころ、剣道の稽古中に指導者の先生から「腰を入れろ!」とよく注意されました。
 「腰をいれる」とはどういうことか。ナンバ歩きを稽古していくことによって、説明がつきそうだなと思いました。

 「ここなら、二刀の正しい基本と理が学べる」と直感した。
 やはり、見立てに狂いはありませんでした。


 この稽古会は定例で、次回は2週間後とお聞きし、参加を決めて帰路に就いた。
 
 

2019年4月6日土曜日

リバ剣 道場デビュー② 決意

「あきらめるわけにはいかない」


一刀を捨てた


 前回の投稿で、ブランク30年からの剣道再開と同時に二刀を執った様子を書きました。
 
 「あまりにもつらい。リバ剣なんてしなければよかった。以前の生活になんの不満もなかったんだから」

 そう思いました。

 しかし、同じ道場で息子も妻も剣道をやっている。ここで、私が「やっぱりやめた」と言ったら、家族はどう思うか。

 「お父さんて、根性なかったの?」「だったら僕もやめようかな」なんて、息子が言い出しかねない。
 妻には、「だから二刀をやるなんて反対だったのよ」って、言われるに決まってます。

 やはりやめるわけにはいかない。子供の頃に二刀流に魅せられ、将来二刀を執ることを決め、病で一度はあきらめたその夢を、今実現できるところまで来ている。(二刀流との出会いはこちら

 それで、初日の稽古から帰宅した直後に、一刀での稽古用に用意した3.9の竹刀を“のこぎり”で切り刻んで捨てたのです。一刀を執ったら、そちらに逃げて二刀を執らなくなると思ったから。
 せめて二刀で納得のいく結果が出るまでは、一刀を執るのはやめよう。お相手がどなたであっても、どの場所でも、必ず二刀でやる。そう決意しました。

二刀でリバ剣して気づいたこと


  • 一番負担がかかった部位は「ふくらはぎ」
     基本打ちの稽古が終わった時点で、足で床をける力は残っていませんでした。足が前へ出なかった。ふくらはぎに異常なくらい負担がかかっていたと思います。帰りに車を運転しようとすると、ブレーキもアクセルも適度な踏み込みができない。力の加減が分からないんです。ふくらはぎの筋肉が言うことを聞かないって感じで。危険なのでしばらく休んでから運転しました。
  • 小刀を構え続けることがキツイ
     意外でしたが、小刀を中段に構えていることが大変でした。わずか280gの小刀が重くて重くて手が下がってしまう。小刀で攻めるなんてできるようになるのかな、と思いました。
  • 以外だった歓迎ムード
     二刀に対して、あるいは二刀を執ることに対して、否定的なことは言われませんでした、今のところは。心配していたのとは逆に、好意的に受け入れていただきました。これは本当に安心しましたね。道場の先生方に感謝です。
  • 剣道を続けている方々への敬意
     道場に一歩足を踏み入れて、最初に感じたこと。「継続することも実力のうちだな」そう思った。私は小中学生のころ、試合で負けた記憶があまりない。特に市内大会では負けたことありません。しかし、剣道を続けられなかった。その理由が病気であっても、言い訳できない。こうして、剣道を続けてきた方々がいらっしゃる。そういう方こそ、本当の意味で実力があるんだなと思いました。
  • 我流ではダメだ
     今の稽古を重ねていってもダメだと改めて思った。これについては、リバ剣を決意した時に、古流の二天一流武蔵会で片手刀法の基本から学びたいと思っていたので、早く実行しなくてはと思った。

目標設定


 初日の稽古が終わって帰る支度をしているときに、ひとりの先生が私のところにきて、こうおっしゃった。

 「もしかして、学生の頃、強かったんじゃないですか?」

 なぜ、そう思われたんでしょうかね。でもその言葉に救われたところがあります。
 受け入れられたというか、認められたというか、少しホッとしました。

 2カ月前にリバ剣を決意した時から、とりあえずの目標は決めていました。
 まずは3年以内に、市民大会で優勝すること。

 「あきらめるわけにはいかない」

 心の中でそう叫びながら、稽古を続けました。
 

2019年4月5日金曜日

リバ剣 道場デビュー① 後悔

リバ剣初日


緊張は頂点に


 2010(平成22)年1月。遂に、ブランク30年から剣道再開!

 当時小学3年の息子と妻が通う地元の道場に、私も入会しました。
 息子の付き添いなどで、道場の先生方や保護者の皆さんとは面識がありましたが、改めて、入会とリバ剣のご挨拶をさせていただきました。

 「ええっ。剣道やってたんですか」

 剣道をやっていたことは、家族以外には言ってませんでしたので、皆さん驚いてましたね。子供の“お父さん”が突然、道着・袴を着て、防具を担いで現れたんですから。

稽古の準備


 一礼して道場に入る。片隅で正座して垂と胴をつけた。
 竹刀袋から二刀用の大刀と小刀を取り出して鍔(つば)をつけた。
 小学生と稽古することも想定して、一刀でも稽古ができるように持ってきた3.9の竹刀も準備した。

 「二刀をなさるんですか!!!」

 ひとりの高齢の「錬士」の方が、私の小刀を見るなり声をかけてきた。
 剣道再開と同時に二刀を執るつもりであることを伝えた。

 「正逆どちらですか?」

 「正二刀です」

 「私の後輩で逆二刀を執る者がいて何度も稽古をしてるので、ぜひ今日は正二刀と稽古がしてみたい。よろしくお願いします」

 私、この時初段ですよ。しかもブランク30年の再開初日。
 そんな私に、ご高齢の錬士の方が稽古をお願いしますと言ってくださるなんて。恐縮と感謝で涙が出そうになりましたね。

 実は、リバ剣を決意してから今日まで、喜びと期待が大きくなっていく一方で、不安に押しつぶされそうになっていました。

 「本当に、いきなり二刀でやって大丈夫だろうか。受け入れてもらえるのだろうか」
 そんな不安を振り払うために、毎日ひとり稽古に熱中してきたともいえるのです。
 そして、今日初日、その不安は頂点に達していた。

 ご高齢の「錬士」ISMR先生。後に分かったことですが、後輩の逆二刀者とは、出身大学と所属会社が同じだったTD範士のことでした。

基本稽古開始、いきなり二刀で


 リバ剣と同時に二刀を執る理由は、以前の投稿で書きました。(それは、こちら

 小学生以下の稽古が終了し、中学生以上、一般の稽古が始まった。
 まずは回り稽古で基本打ち。最初は「切り返し」。
 私は二刀ですから切り返しも片手です。

 リバ剣、初めての二刀での稽古が始まった。「切り返し」も"防風林の中"(その様子はこちら)で、充分にやってきた。

 しかし、道場で防具をつけて生身の人間を相手にする稽古は全然違いました。
 死ぬかと思いましたよ。1回切り返しをやっただけで、息はゼーゼーハーハー、足はフラフラ、もう限界まで来てしまったという感じ。

 家では、毎日3時間以上竹刀を振り続けても大丈夫だったし、このころ1日4㎞は走ってました。なのに「なんで」って心の中で叫びましたよ。苦笑
 しかし、ここで休憩するわけにもいかず、初めての基本稽古をなんとかやり終えました。
 
 初めて二刀を執って片手での基本打ちは反省点ばかり。「面」打ちも「小手」打ちも、ただ“当たった”だけ。先生方には「打たれた気がしない」と言われました。「胴」打ちは、外してばかり。全く打突部位に当たりませんでした。「突き」はこの時点では稽古していませんでしたので、やりませんでした。

地稽古開始、もちろん二刀で


 回り稽古での基本打ちが終わると、高段者の先生方が元に立って地稽古が始まります。
 私は、先ほど声をかけてくださった ISMR 先生に稽古をお願いしました。

 30年ぶりの稽古で、初めて二刀を執っているわけですから、いいとこなんてありません。理合もなくただ打っていくだけ。それでも ISMR先生が何とか引き立たせて下さるので、稽古らしくなってたと思います。私は必死でしたけど。

 もう限界をとっくに超えてました。片手で竹刀を振り続けるなんてもう無理、と思いましたね。何度竹刀を落としたことか。握力がなくなっている。足ももう前に出ない。

 気持ちは高校生の時のままなんです。でも、体がついていかない。そのギャップを埋めようとさらに力が入ってしまう。
 尋常じゃない汗の量。しかも爽やかな汗ではなく、“変な汗”。30年間運動をほとんどしてこなかったので、体内の“毒素”が出たって感じ。自分の汗で滑って転びました。笑

 その後も、次々に声をかけて頂き、3名の方と稽古してしまいました。もう精も根も尽き果てました。

未使用の一刀用の竹刀を捨てた


 「剣道をやるなんて言わなきゃよかった」

 リバ剣初日にいきなり二刀で稽古して、あまりのつらさに帰りの車の中でそう思いました。心から後悔しましたね。

 帰宅してすぐ、竹刀袋から一刀用の3.9の竹刀を取り出した。そして、“のこぎり”でその竹刀を切り刻んで捨てました。

 「もし、一刀を執ったら、そのまま一刀に逃げてしまい、二刀の稽古をしなくなる」そう思ったから。

 リバ剣と同時の二刀での稽古。その苦しさは、想像を絶していました。
 
 

2019年4月4日木曜日

リバ剣の準備 その8 いよいよ剣道再開へ

自分で出来る準備(稽古)はすべてやった


「道場デビュー」の日も決定


 2009(平成21)年の暮れ。

 「もうそろそろ道場で稽古がしたい」

 そういう思いが募り始めました。
 基礎体力作り、足さばき、素振り、打ち込み、それを独りで毎日3時間以上やった。(その様子は、「リバ剣の準備 その3」をご覧ください)
 そして防具も購入した。

 リバ剣を決意してから“道場デビュー”は2カ月後と決めて、自分で出来ることをすべてやったつもりです。
 しかし、この“我流”での稽古法は、後に大きく修正しなければならなくなるのですが……。

 2カ月前に注文した防具が出来上がったと、武道具店から連絡がきた。
 待ち遠しかったですね。30年ぶりに自分の防具を手にするわけですから。
 
 剣道具店に取りに行って、自宅に帰ってすぐに着装の練習をしてみる。
 
 「オレ、本当に剣道をやるんだな」

 今さらながら、感慨深くそう思った。何か気恥ずかしいような、緊張感もグッと増してきた。

着装の練習


 まずは、道着と袴。
 道着に袖を通した瞬間香る藍染めの香り。「青春」がよみがえったような気持ちになった。この年になって、こんな気分を味わうなんて思ってもみませんでした。

 袴をつけた。
 指がつりました。笑

 袴の紐を結ぶだけで、どっと汗が出た。考えてみれば、普段、紐を結ぶことなんてあまりない。しかも太くて硬い綿袴の紐。
 剣道の着装には紐を結ぶ作業はまだまだある。稽古以前に慣れなければいけないことが出てきた。
 鏡を見て驚いた。道着、袴姿の自分のシルエット。記憶にある自分の剣道着姿ではない。突き出たお腹。これはいったい誰だ。笑

 次に、垂と胴。
 垂には、息子と妻が所属している地元道場の名称が入った「垂ネーム」がつけてある。垂の紐は、綿袴の紐より硬い。また指がつった。泣
 胴は、紐の結び方がちょっと違うので、思い出すまで手間取りましたが、無事に結べた。

 そして、面と小手
 面は、剣道具店で試着して、オーダーした通りサイズがぴったりだったことは確認済。
 頭に手ぬぐいを巻いて、面をかぶったまではよかったが、両手が頭の後ろにいかない。
五十肩ですから。笑
 何とか手を頭の後ろに持っていって面紐を結んだ。
 小手も、紐の締め具合は剣道具店で調整済。

二刀用竹刀の大刀と小刀を製作


 二刀で使用する竹刀にも、全日本剣道連盟が定める規定があります。(全剣連HP参照)
 二刀用竹刀の大小は既製品もありますが、自分の使う竹刀には思い入れがありますので、自作しました。
 
 3.9の竹刀を6本買い、そのうち3本は二刀の大刀として規定に合わせて加工し、2本は小刀として規定に合うように加工、1本はそのまま一刀用として使用するため加工なし。

 二刀用大刀2本、小刀2本、3.9(一刀用)1本を竹刀袋に入れた。

 子供のころに思い描いた夢への挑戦が始まる。45歳になって。
 決して遅くない。間に合ってよかったと思ってる。

 “道場デビュー”は年明け早々にしようと決めた。
 
 

2019年4月3日水曜日

リバ剣の準備 その7 家族の反応

突然の宣言に驚く


目を丸くした妻と息子


 我が家は3人家族。妻と一人息子。
 息子は小1から剣道を始めた。特に私は勧めてません。自分でやりたいと言ったから。そのころは剣道に無関心だった私。
 そして、息子が小2になったころ、今度は妻が剣道を始めた。40過ぎて初心者から。妻が剣道を始めたことは、最初は知りませんでした。この時も剣道に無関心な私。
 で、最後に私。リバ剣のきっかけは当時小学3年だった息子がくれた。(その様子はこちら

 「明日から剣道をやる」そう宣言した時、妻も息子も目を丸くしてました。
 
 そして、二人とも喜んでいましたね。家族3人で同じことをすることなんて、今まであまりやった記憶がない。
 いつもやることなすことみんなバラバラ。一人ひとりが自分勝手。それが、共通点ですかね、うちの家族の。笑
 息子が剣道を始めてくれたおかげで、初めて家族がまとまったような気がします。

妻は不機嫌に


 「二刀をやる」

 そう言ったら、妻は途端に顔色を変えた。
 二刀に対する誤解と偏見。(そのことは、こちらをご覧ください)
 いましたよ。こんな身近に。二刀を執るにあたって、必ず乗り越えなければならない試練。まさか、家庭内から始まるとは。

 “二刀なんて年を取った人がやるもの。” “二刀は高段者がやるもの、基本である一刀をしっかりやるべき”
 
 近年、そんなイメージが定着してしまった。元々はそうではありません。
 このイメージを定着させてしまったのは、全日本剣道選手権大会での優勝経験がある剣道家が、晩年に二刀を執るようになったからです。
 もちろん、この方が悪いわけではありません。影響力の大きさがあるがゆえに、そういうイメージが出来上がってしまったんですね。

 では、元々はどういうイメージだったかというと、二刀に代表される“片手刀法”自体に誤解と偏見があったのです。

 いずれにしても、諸手一刀中段で稽古なさっている方からは、よいイメージではないということですね。残念ながら。

 息子と妻が通う地元の道場に、突然旦那が二刀で剣道をやりに行くと言い出したわけですから、嫌がるのも仕方がありませんね。しかもブランク30年の剣道初段でしたから。妻と息子がお世話になっている先生方に、なんて思われるか分かりません。

 誤解している人に、言葉で説明してもなかなか理解してもらえないのは世の習い。
 でも、そんなことは織り込み済み。二刀を執るうえで、必ずぶつかる“最初の壁”なのです。
 
 解決する方法は一つ。自分が「正しい二刀」「理にかなった二刀」をやってみせること。それ以外ありません。

息子は困惑


 「お父さんが剣道を始めるのはうれしいけど、いきなり二刀でやって大丈夫?」

 こんな気持ちだったでしょうね、小学3年だった息子は。

 正しい剣道は、打たれたお相手にも喜びと感動を与えることができます。打った方も打たれた方も同じ「理」の共鳴者となるわけです。一方が二刀であっても同じこと。
 誤解と不安を取り除くカギはここしかない。
 
 ですから、反対されればされるほど、誤解されればされるほど、稽古に熱が入りましたよ。“防風林の中”で。笑(その様子はこちら
 そういう人たちが、ますます私を本気にさせてくれましたね。
 
 

2019年4月2日火曜日

リバ剣の準備 その6 防具購入②

30年ぶりの再会


「二刀で剣道再開」を報告


 前回の投稿で、子供のころに通った剣道具店に、30年ぶりに防具を買いに行ったところまで書きました。
 社長さん(NGSK先生)が剣連の行事のために不在だったので、出直すことにした。剣道を再開することを報告したかったので。

 それには理由がありました。

 私は二刀を執って剣道再開することを決めていた。子供のころ(昭和40年代)に通った道場の二刀者である松崎幹三郎先生(故人)の剣道に衝撃を受けて、将来、二刀を執ることを決意した。(その時の様子はこちら
 しかし、高1の時に病によって剣道継続を断念してしまいました。

昭和40年代までの二刀流


 私はこの松崎先生の二刀流は本物だと思っています。現在の二刀者の剣道とまるで違う。まさに理にかなった二刀だったと今も思います。昭和40年代までは、素晴らしい「片手刀法」が継承されていたんです。残念ながら、そういう二刀をやる人は今はほとんどいません。
 だから私は剣道を再開するにあたって、あの松崎先生の二刀を目指したい、「本物」にすこしでも近づきたい、そう思ってました。

 この剣道具店の社長であるNGSK先生は、30年前、その松崎先生と毎週稽古をされていた方なのです。NGSK先生は一刀中段で、その二刀者に真正面から挑んでいらした。
 そういう姿を、私は毎週木曜日に見ていたのです。
 私は小学生でしたので、二刀を執った松崎先生と稽古をすることはかないませんでした(子供と稽古するときは一刀を執っていらっしゃいました)ので、実際に二刀を執った松崎先生と立合った方々に貴重なお話を伺いたいと思っていたのです。

確信、そして決意


 前回はご不在でしたが、今回、お会いすることができた。30年ぶり。
 N先生は昔と変わりませんでした。髪の毛に白いものが増えてましたけど。
 私は変わりましたよね。子供だったのが30年たってオッサンになって現れたんですから。笑
 リバ剣で使用する防具を選んで、採寸していただく間、昔話に花が咲いた。
 話題は自然と松崎先生の話になりました。

 「私は二刀のことはよくわからないが、松崎先生の二刀は“理”があった気がするね」とNGSK先生。これは、松崎先生と稽古された経験のある方は皆さんおっしゃる言葉。
 この後に続く言葉も皆さん同じ。
 「ああゆう二刀をやる人は、今はもういないね」

 やはりそうでした。子供の頃に松崎先生の二刀と出会って衝撃を受けた。当時、松崎先生と立合った大人たちも同じ衝撃を受けていたのです。

 「あの二刀を再現したい」

 知っている者が次代に伝えていく。ある意味、“責務”なんではないかと感じてしまう。

 剣道再開とともに二刀を執る。さらに決意を固くして帰路についた。
 
 防具は、一分五厘の手刺しを一式注文しました。
 
  

2019年4月1日月曜日

リバ剣の準備 その5 防具購入①

防具を買うなら「あのお店」


思い出深い先生


 9年前(2009年)の秋、リバ剣すると決めて自宅で素振りを始めたころ。
 
「そういえば、防具がないな」

 2カ月後に地元剣連の道場で剣道を再開することを決めていたので、防具一式と竹刀を買わなければならない。

 東京江戸川区の武道具店。
 ここの社長さんとは、実は、同じ道場出身。35年ほど前から数年間は、毎週いっしょに稽古していたのです。

 当時、私は小学生。社長さんは20代前半だったでしょうか。
 防具、竹刀職人の家系に育った“後の社長”さんは、職人としての修行を終えて独立し、江戸川区内に店を構えた。
 剣道経験のなかった社長さんは、ご自分でも剣道をやりたいと思いましたが、区内の道場はご自分の「お客さん」なので、そのうちの一つの道場で剣道を始めることははばかられる。
 そこで、たまたま来店した方にそのことを話すと、その方の通う道場で剣道を始めることになった。その方が、私の通っていた道場の先生だったのです。

武道具店社長 NGSK先生


 江戸川を挟んで対岸の千葉県側。「中山剣友会」(現:市川市剣道連盟東部支部)。
 現在、市川市剣道連盟に加盟している団体は、約30団体あります。
 当時はここだけ。昭和40年代半ばまでは市内の剣道の道場はここ1か所しかありませんでした。(当時の道場の様子はこちら

 当時、私は小学5年生、剣道1級。(当時は5年生でも1級を受審できた)
 NGSK先生は20代前半。

 NGSK先生がお見えになるのは、道場の稽古日が週3回あるうちの木曜日だったと記憶しております。
 当時は会社も学校も週休2日制ではありませんでしたので、平日の参加者は極端に少なかった。逆に週末は非常に多い。何しろ、市内で1か所しかない道場。小学生は200名在籍していましたから。
 
 木曜日の稽古に参加する子供たちは、週末と比べると4分の1程度だったと思います。稽古に取り組む意欲の高い子供だけが、参加していましたね。自然とそうなっていました。
 一般の大人の参加も、週末は20~30名ぐらいでしたが、木曜日はほんの数名。その中に、NGSK先生がいらっしゃいました。

 NGSK先生の印象は、道着、袴が上質のものをお召しになっている、防具がかっこいい、“着装が美しい先生”。子供心にそんなふうに思ってました。
 しばらくすると、子供たちの保護者のあいだで、こんな話がささやかれてました。
 「NGSK先生は、防具屋さんらしいよ」

 NGSK先生は、道場では“営業活動”なさってなかったと思います。ガチで剣道を習いにきていた。しかし、防具屋さんだと分かったら、みんなNGSK先生のところで買うようになった。
 NGSK先生のお人柄なんですよ。子供たちを子供扱いしなかった。子供も大人と同じように敬意をもって接してくださる。稽古中もそれ以外でも。

 だから私たちは、NGSK先生が元に立ったら、こぞって並んで順番を待った。稽古をお願いするために。
 NGSK先生は地稽古の時に理にかなった技で打たれた場合、相手が子供であっても、構えを解き、両足をそろえて「参りました」と頭をお下げになる。ご自分よりも上位の先生に対する態度とまったく同じなんです。
 そうされた私たちは、“一本”をとった技の理合がすーっと体に入ってくる。それが喜びとなって、その日、家に帰って布団に入って寝るまで、NGSK先生から一本をとった技の手応えがよみがえってくるんですね。それで、早くまた木曜日が来ないかな、と思うわけです。

 小学5年生だった私は、理合とともに一本をとる楽しさを、NGSK先生との稽古の中で知っていったのです。

 現在は、私が小学生と稽古をするときは、自分を捨て理合とともに打ち込んで一本をとった子供に対して、「参りました」と敬意をもって頭を下げています。あの頃のNGSK先生と同じように。

30年の時の流れ


 思い出話が長くなってしまいました。

 NGSK先生のお店に、30年ぶりに防具を買いに行った時の話。店舗は移転していましたが、すぐに分かりました。
 社長であるNGSK先生は不在でした。残念でしたが、30代の男性が丁寧に応対してくれて、その日は竹刀と手ぬぐいだけ購入して、また来ることを伝えて帰りました。聞けば、NGSK先生のご長男だという。

 帰り道、運転中の車の中でふと思い出した。

 「あの子だ」

 私が中学生の時、自転車で市川橋を渡ってNGSK先生のお店に竹刀を買いに行った時のこと。
 当時、NGSK先生の防具店には竹刀工場が併設されていて、私は新しい竹刀が出来上がってくるのをそこで待っていた。

 「いらっしゃい」

 奥からNGSK先生が出ていらした。「1歳ぐらいの男の子」をおんぶして。
 
 30年という時の流れ、感慨深いものがあります。

 

2019年3月31日日曜日

リバ剣の準備 その4 打ち込み②

握った手が開かない


間違った素振り


 前回の投稿の続き。

 このころ、あの“2㎏の鉄筋棒”での片手素振りをやり始めて、1カ月くらいたっていた。重いものを振ることは逆効果であることも知らずに。

 鉄筋棒の持ち手の部分はテーピングでグルグル巻きにし、手には作業用の分厚い皮手袋をはめて素振りをしていました。
 それでも、手のひらは豆だらけ。30年ぶりにやり始めて、鉄の棒を手で握って、片手で振っているわけですから、当然ですよね。
 
 その素振りを1~2時間やった後は、手を開くことができなくなり、しかも握力もなくなってしまいます。
 夕食を食べる時に、手が開かなくて箸が使えず、握った手の平にスプーンを差し込んで、妻にテープを巻いて固定してもらって食べたこともありました。

面打ちが当たらない


 そんな状態から、いよいよ打ち込みの開始。海岸沿いの防風林の中で。(その経緯は「リバ剣の準備 その3」をご覧ください)
 
 背の高さほどの松杭を打ち込み台に見立てて打突してみる。
 まずは「面」打ち。
 水分補給用に持ってきたペットボトルを“小刀”として左手に持ち、大刀(竹刀)を右手に持って、上下太刀(二刀の代表的な構え、上段の構えの一種)に構えた。一応、正二刀です。
 小刀は中段に構えたまま、大刀で「面」打ち。最初は、踏み込まずに打てる距離に立って打ってみた。

 「当たらない」

 松杭の直径は12~13cmぐらいだったでしょうか。全然当たらないんです。
 10回打って1回も当たりませんでした。松杭の左右どちらかに、わずかに外れてしまう。

 「こんなはずじゃない」

 試しに、左手で打ってみることに。大刀を左手に小刀を右手に持ち替えて、逆二刀に構えた。

 「当たった」

 10回打って、外したのは3回ぐらい。
 右片手で打つ事が、こんなに難しいとは思いませんでした。
 片手打ちの「基本」が解っていませんでしたから、当然といえば当然なんですが……。もう少しうまくできると思っていたので、ショックでした。

「正二刀」で剣道再開したい


 高1までは剣道をやっていたので、小学生のころから諸手で竹刀を振っていても、「左手で切る」という意識は常に持って竹刀を振っていました。
 30年ブランクがあっても、そういったことは身に付いているんですね。左片手なら、打突力は弱いが当たります。

 しかし、私がとりあえず目指したのは「正二刀」での剣道再開。小学生の頃に私が見た二刀者はみんな「正二刀」でしたから。私の憧れです。(その当時の様子はこちら

 後に、逆二刀を稽古して、最終的に“正逆”両方できる剣道家になろうと思っていましたが。

 「まずは、右片手で正確な面打ちができるようになろう」

 その日から雨の日以外は毎晩、“防風林の中で”打ち込み稽古をするようになったのです。


 仕事から帰って夕食を済ませたら、まず片手素振り。あの“鉄筋棒”で。
 その後、“防風林の中”で打ち込み。トータルで1日3時間以上稽古していたと思います。
 今考えれば、どれも正しい稽古法とは言えないものでした。

 この2か月後に「二天一流武蔵会」で指導を受け、正しい二刀の稽古法を徐々に身に付けていくことになります。そして、さらに厳しい稽古を自分に課すことになるのですが……。

 しばらくは、我流の“稽古”が続きました。


2019年3月30日土曜日

リバ剣の準備 その3 打ち込み①

足さばきと素振りでは物足りない


実際に片手で打ちたい


  9年前(2010年)にリバ剣を決意し、道場デビューする前にやったこと。

 前回の投稿(「リバ剣の準備 その2」)までで、足さばきや素振りなどについて書きました。

 そこまでやったら、次は「打ち込み」ですよね。

 片手素振りを毎日3時間以上やり続けた。2㎏の鉄筋棒で。笑
 その結果、剣道に必要のない筋肉がいっぱい付いた。これが後で、大ブレーキになるんですけど……。そのことは、回を改めます。

 実家に帰った時に、30年前に使っていた竹刀を見つけて、持ってきた。
 片手で振ってみたらビュンビュン振れる。何しろ、毎日2㎏の鉄筋棒を振ってますから。笑
 
 そうなると、「実際に、何かを打ってみたい」という衝動に駆られますよね。
 道場デビューの前に、片手で「面」「小手」「胴」を打てるようにならなければなりません。いきなり二刀で稽古するためには。

打ち込み稽古する場所


 ここで、問題に突き当たります。
 “打ち込みをする場所がない”のです。

 自宅はマンションですので庭がありません。バルコニーで打ち込み稽古したら、ご近所迷惑だし……。


 小学生のころ、私は剣道が大好きで、週3回の道場の稽古をいつも待ち遠しく思ってました。
 「なんで、道場の稽古が毎日ないんだろう」
 そんな少年だったので、道場のない日は家の裏山で、桑の木を相手に“打ち込み”をやってた。


 「そうだ、あの頃のように外で“打ち込み”ができるところを探してみよう」

 日曜日の昼間、ジョギングがてら探してみた。自宅マンション周辺は、アスファルトとコンクリートだらけ。裏山なんてないし、どこでやっても他人に迷惑がかかる。

 「海の方も探してみるか」

 自宅マンションから10分ぐらい歩けば海なんですけど、そこへは車道も歩道も整備されておらず、地元の人間もあまり行かないところ。昼間でも人けがない。 

 「あった」

 そこには、埋め立て造成当時に植えられた防風林が、1㎞ぐらいにわたって海岸沿いにありました。
 30年前までは、市内の海岸沿いに、この防風林がつながっていたのですが、開発が進むにつれその姿を消していきました。
 ここは、最後に残った1区画。

 「ここでやろう」

防風林の中で


 その日の夜、竹刀を持って“防風林”を目指して走った。11月のこと。秋とはいえ、夜はかなり冷える。
 目的地について驚いた。真っ暗なんです。外灯がない。
 もちろん周りには、民家や建物、人けもありません。
 恐ろしくなって、帰ろうかと思いました。笑

 でも、他に“打ち込み”ができる場所もないし、こんなことであきらめるわけにはいかないと思い、道のない真っ暗な林の中へ入っていった。
 しばらくすると、目が慣れてきてうっすらと辺りが見えてきた。何に使う予定だったのか、数本の松杭が置いてある。そのうちの1本を立ち木に立て掛けてみると、ちょうど自分の背丈と同じ高さ。

 「これを打とう」

 こうして毎夜2時間、ここで“片手での打ち込み稽古”が始まったのです。
 

2019年3月29日金曜日

リバ剣の準備 その2 食生活の改善、素振り、再開と同時に二刀を執る理由

今できることをやる


食生活の改善


  9年前(2010年)、リバ剣を決意し、道場デビューする前にやったこと。

 前回の投稿(「リバ剣の準備 その1」)で、「基礎体力作り」と「足さばき」について書きました。

 駅の階段を1段飛ばしで昇ったり、夕食の後にジョギングしたり。20㎏のダンベルを購入して筋トレもやり始めました。

 食事の量は3倍に増えましたね。特に、朝食をちゃんと食べるようになった。それ以前は、朝食を食べる習慣がありませんでした。しかし、3倍食べても体重の変化はほとんどありませんでした。

 体内の細胞が新しいものに入れ替わるのに、200日かかると聞きます。
 今食べているものが、200日後の自分の体を作る。食べるものにも気を遣うようになりましたね。
 バランスのいい食事を心掛けたのはもちろんですが、一番大きな変化はジャンクフードを食べなくなったことと、お酒を飲まなくなったこと。

 どちらもやめたわけではありません。自然と口にしなくなった。
 毎日晩酌してたのが、「その時間があったら素振りしたい」、という意識に変わった。お酒を飲むのは、会社の忘年会だけになりました。笑

素振り


 「リバ剣」と同時に二刀を執るということを決めていました。(その原点は、こちら

 基礎体力も徐々についてきて、「足さばき」も少しですが感覚を思い出してきた。
 “道場デビュー”も2カ月後と決めた。

 「素振りをやろう」

 無我夢中でしたね。“道場デビュー”の時に、竹刀を片手で振れるようになっておかなければならない。いきなり二刀で稽古を始めるつもりでしたから。

 片手で竹刀を振れるようになるには筋力をつけた方がいい。なんて勝手な思い込みで、職場の職人さんに作ってもらった約2㎏の鉄筋棒を両手に1本ずつ持ち、片手素振りをやった。

 これは、後々、大きな逆効果となって表れて出てくるんですけども、このころはまるで解ってませんからね。脂肪の下に筋肉がついてしまったので、上半身はプロレスラーみたいになってました。笑

リバ剣と“同時に”二刀を執る理由


 小学3年の時に二刀流の稽古を目の前で見て、将来、二刀をやろうと決めた。
 小学校高学年になり、そして中学生になってもその決意は変わりませんでした。
 しかし、心配事が一つありました。
 
 「いつ二刀を始めると言い出せばいいんだろう」
 
 当時は、今とは比べものにならないくらい、二刀に対する誤解と偏見がありました。(当時の様子はこちら
 ですから、私のように将来二刀をやりたいなんて言っている人には、会ったことありませんでした。
 そんな状況の中で、「二刀をやる」なんて言い出したら、周りからは“ドン引き”され、指導者からは中傷されることは、目に見えていました。

 45歳でリバ剣を決意し、子供の頃の夢を実現するチャンスが目の前に来ている。
 二刀をやり始める機会を失うわけにはいかない。
 道場に行って、「30年ぶりに剣道をやるんだったら、しっかり一刀からやりなさい」なんて言われたら大変です。
 
 私は決めました。
 最初から二刀をやってましたって顔をして道場に行こう!と。笑

 そのための準備は続きました。
 

 

2019年3月28日木曜日

リバ剣の準備 その1 基礎体力作り、足さばき

運動とは無縁の生活から転換


まずは歩くことから


 9年前(2010年)、45歳の時に剣道再開を決意した。ブランク30年。きっかけは、一人息子がくれました。(その出来事はこちら
 
 リバ剣と同時に二刀を執ると決めたので、正しい二刀を基本から習いたいと思い、ネットで検索して「二天一流武蔵会」を探し出した。(その時の様子はこちら

 
 さて、道場に通い始めるまでに、いくつか自分でしなければならないことがあった。

 まずは、基礎体力作り。

 運動不足、堕落しきったこの体。なるべく歩くことを回避することを第一に考える日常。ここから脱出しなければならない。
 20代のころと比較すると、体重は30㎏以上増えた。運動らしい運動はまったくやっていませんでした。

 「まずは歩こう」と決めた。
 毎朝の通勤で最寄り駅までは路線バスを利用していましたが、徒歩に変更。約2㎞。これがつらいのなんのって、30分かかりました。こんなんで、剣道なんて出来るのかと思いましたね。でも、やるしかない。もう、決めてしまったから。

 数日すると、所要時間は25分に短縮してた。
 
 「よしっ、駅まで“送り足”でいってみよう」

足さばき 


 とにかく「リバ剣」を決意した直後ですから、やる気満々です。
 アスファルトの歩道の上を、靴を履いて「送り足」を「すり足」でやるわけですから、ちゃんとできるわけありません。笑
 それでも本人は真剣ですよ。すれ違う人たちが、不思議そうな顔をして見ていましたね。そんな視線を感じながらも、お構いなしに“送り足”をやった。

 やってみてどうだったか……。全然できませんでした。
 5mも続かない。1、2、3… 6回足を継いだらもうできない。心臓はバクバク、息はぜーぜー、送り足がこんなにキツイとは思いませんでした。

 覚悟はしてましたが、改めて前途多難だと思い知りました。

 送り足で歩いたり、普通に歩いたり、そんな感じで自宅と最寄り駅の間を朝夕2㎞ずつ歩いた。すり足でやってますから靴の底はすり減り、つま先も傷み、新品のジョギングシューズが1カ月でボロボロになりました。

  今から考えれば、正しい足さばきの稽古とはいえませんが、やらずにはいられなかった。
 40代半ばを過ぎて、新たな目標を持つことができた喜びで、毎日が輝き始めました。
 

2019年3月26日火曜日

剣道二刀流 正二刀・逆二刀を「右二刀・左二刀」と言い換えてよいのか

剣道二刀流の構えの呼称について


認識の後退


右二刀って、右手で二本の刀を持つのですか?
左二刀って、左手で二本の刀を持つのですか?

いいえ、二刀とは、両手に一本ずつの刀を執って戦う片手刀法です。右とか左とかの問題ではありません。

本来は、右手に大刀、左手に小刀を持つ構えを「正二刀」といい、左手に大刀、右手に小刀を持つ構えを「逆二刀」といいます。

しかし、近年、これを、「右二刀」「左二刀」と言い換えている方たちがいます。
私はその方たちを、批判するつもりはありませんが、以下、私個人の見解を述べさせていただきます。

正逆の概念(法則)


左右、上下、前後、東西南北など、これらの言葉は対象となるもの(相手)とのかかわりがありません。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向や方角です。

正逆、表裏、陰陽、円明、光陰、昼夜(二天)など、これらの字義は一つの“宇宙”、理(ことわり)を表しています。
物事は二面が一対になって全体を表す。それぞれ相反する絶対的な領域があって、かつ一方だけでは存在し得ない。
仮に、一方を認識してそれを否定すれば、もう一方が肯定される(証明できる)という関係にある。この二字が一対になって十全ならしめるわけです。よって、「正」以外とは「逆」しかあり得ない。その反対もしかりです。

剣理にならって技を繰り出せば、この理に一致することは、言うまでもありません。陰流や新陰流の号も、この思想から命名されたと推察されます。

左右という認識方法であれば、「右」を認識できたとして否定しても、残るのは左ではなく、上、下、前、後、斜め左…、無数の方向が存在しますから、「左」だけを肯定・証明することができません。しかも、最初に認識した「右」は非常に曖昧です。
常に、「どちらから見て」とか「誰から見て」とか、前提を問わなけれならないのです。何よりもそれ以前に、対象(相手の存在)とのかかわりのない認識方法なのです。

一刀流や新陰流、二天一流などの流祖たちが到達した境地で実行された認識方法を、よく理解すべきです。
その認識方法は、技はもちろん、足の運び(陰陽の足)、攻め(表裏の攻め)、刀法(順さばき逆さばき)など、剣理のあらゆるものに合致します。

 例えば、お相手との立合いの中で、お互いが「表」からの攻防に執着している場合、一方が瞬時に「裏」からの攻めに切り替えて一本をとる。あるいは、「裏」からの攻めに切り替えたと見せて、お相手が「裏」の防御に執着した刹那を「表」から一本をとる。これらは表裏の法則を体現した攻めの一例です。


また、正逆の概念は剣道だけにあてはまるものではありません。

書道では、文字を書くとき(例えば「小」の文字)、左右一対になっている点の右側の点を“正の点”左側の点を“逆の点”と言います。この二つの"点"は、いずれか一つが単独で存在することはないのです。

また、製造業や建設業にたずさわる方であればお気づきだと思いますが、回転装置の付いた工作機械や製造機、建設機械や重機などを使用する場合、「正転」「逆転」という操作の指示を、「右回転」「左回転」と言い換えたら、大変な事故につながってしまいます。
一方から見ている人にとっては「右回転」でも、反対側から見ている人にとっては「左回転」になるからです。(実際にそういう事故がたくさん起きています。)

なぜそういうことが起こるのか。「正逆」(あるいは表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、その行動が“真”であるのか“偽”であるのか問うことができないのです。
「左右」の領域は曖昧で、かつ前提がついて回る。対象とは関係ない自分側の認識方法だからです。よって、“真”である証明をすることなどできません。だから事故になるのです。

理の追究


剣道で、相手を「制する」「一本をとる」、「理合を体現する」、ということは、自らの行動が“真”であることを証明したことと同義です。

そしてそれが心の喜びとなり、お相手は「参りました」と素直にその理を受け入れる。お相手と自分が一つになって、理を同時に、「認識」、「体現」、「証明」した瞬間です。

剣道の魅力はここにあります。対象と自分、この運動世界の中に理があるのです。独りよがりで成立するものではありません。

繰り返しますが、「左右」には対象がない(必要としない)。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向です。独りよがりの認識方法ともいえるのです。


正逆(表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、理の体現を追求する稽古が、成立しないということを、お解りいただけたと思います。(剣道をスポーツとしてとらえている方は「左右」と言い換えてもかまわないと思います。その場合、稽古ではなく“練習”になりますね。)

理を冒してはならない


宮本武蔵が『五輪書』の中で、繰り返し言っている「勝つ」という言葉。これは単に勝ち負けのことを言うような浅はかな意味ではありません。

武蔵の言う「勝つ」とは、「制する」、「理である」、「“真”であることを立証する」という意味だと私は思います。

古流である二天一流を修行する私たちにとって、二天(円明)、陰陽、表裏、正逆などの認識方法は、冒(おか)すことのできない「剣理の精髄」です。

正逆という深い意味を持つ言葉を、短絡的に「左右」と言い換えてしまう。
まさに命を懸けて理合や理法に到達した戦国流祖たちに対して、敬意がないから生まれてくる発想です。

流祖たち(古流)を見下せば、自分の剣道がつまらないものになるのに、そういう態度から離れられない。歴史の中に実在した達人たちに、凡俗極まる現代人の観念をなすりつける。
本当に悲しいことです。

私たちが求めているものは、現代風にアレンジされた二刀(剣道)ではなく、数百年続きこれからも未来永劫連綿として伝えられる正しい二刀(剣道)の理念なのです。




2019年3月22日金曜日

白血病から生還、復職、剣道再開

白血病から生還


復職


 急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体異常と診断されてからちょうど1年。
 8カ月間の抗がん剤治療(入院)と1カ月間の放射線治療(通院)、そして3か月間の自宅療養を経て、2018年4月に元の職場に復職しました。

 会社には特別な配慮をしていただき、リハビリがてら負担のかからない仕事から始めさせてもらえました。
 白血病と診断された時は、まさか仕事に復帰できるとは思いませんでしたので、うれしかったですね。会社や上司、同僚の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 この病気にかかって、治る見込みがないと会社に判断され、退職を余儀なくされてしまう方も多いと聞きます。命が危ぶまれる病気にかかって、そのうえ仕事も失う…。胸が詰まります。

剣道再開


 復職と同時に剣道の稽古も再開しました。病に倒れる前までは、稽古のし過ぎだったと反省しきり。(以前の稽古メニューはこちら
 最初の1カ月間は、週1回1時間の稽古だけに抑えました。本当は、もっとやりたかったんですけど…。稽古をすると3日間ぐらい疲労が取れないんです。抗がん剤治療の後遺症ですね。

 しかし、1カ月後に開催が予定されている市民大会には、このときすでに出場する気満々になってました。試合大好きですから。
 そして、試合当日を迎えました。

復帰戦


 当日、試合会場について、トーナメント表を見て愕然としました。1回戦のお相手が、一昨年の大会の優勝者。その時、私はこの方に負けているのです。しかも今回は、病み上がり。勝ち目はありません。

 「とっとと1回戦で負けて、早く家に帰って体を休めよう」

 そう思いましたね。とにかくこのころは、体を休めたいということばかり考えていましたので。

 そんなあきらめムードの中、1回戦が始まった。蹲踞の姿勢から「はじめ」の号令がかり、立ち上がって上下太刀に構える。(注:上下太刀とは二刀の代表的な構えの一つ。上段の構えの一種)

 「あらっ?」

 ちょっと様子が違うんです。私は体力も筋力も極端に落ちました。稽古もしてません。しかし、お相手の動きがよく見える。まったく怖くないんです。気づけば体力がない私が、お相手を追い込んでいる。しかも、足の裏とつま先は、抗がん剤治療の後遺症で感覚がないままなのに。

 終わってみれば、この大会、優勝していました。

 何とも不思議なものですね。長く過酷な闘病生活から得たものが、私の剣道の成長にも作用したのでしょうか。

 表彰式のあと、周りの方々から「本当に白血病で入院してたの?」なんて言われてしまいました。笑 (この大会の試合内容は、こちらの投稿で記述しています)

 しかし、これでちょっと自信をつけてしまったんですね。
 この4カ月後に行われる、千葉県剣道選手権大会(全日本剣道選手権大会千葉県予選)に出場することを決意してしまったんです。(出場の模様はこちら


前の「白血病」の投稿はこちら
次の「白血病」の投稿はこちら
 
 
 
 

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