2019年3月27日水曜日

白血病~退院後の日常~

5年間の寛解維持を目指して


健康な状態に戻るわけではない


 急性リンパ性白血病フィラデルフィア染色体異常になり、化学療法(抗がん剤治療)、放射線治療を受け、1年ぶりに復職した。

 好きな剣道も再開して、子供のころに目標にしていた全国大会出場を目指して、千葉県予選にも出場できた。1回戦負けでしたけど。

 仕事も剣道も病気になる前のように頑張ってみて、ちょっと気づいたことがあるんです。

 白血病は、抗がん剤の影響で減少した白血球などの血液成分が回復すれば、食事も運動も制限はありません。

 なので、一連の治療が終わり、自宅での生活が始まれば、次第に体力がついてきて、元の状態に戻れると思っていた。

 これがそうではなかったんですねぇ。
 リハビリがてらに自宅周辺をウォーキングしたり、食事制限もなくなったので好きなものをたくさん食べたりして、徐々に体力はつきました。ある程度のところまでは。

 ですから、仕事も剣道も再開した。しかし、一旦疲れがでると、回復するのに時間がかかるのです。明らかに以前と違う。
 仕事でも「今日はちょっと疲れたな」なんて思っても、翌日になれば何てことありませんよね。それがそうじゃない、翌日もその疲れがそのまま引き継がれてる。剣道の稽古に行くと、3日間は疲れがとれない。仕事に行くのもキツくなるんです。
 
 月1回の通院の際、主治医にそのことを聞くと、やはり長期の抗がん剤治療を受けた影響なのだそうです。
 それでも私の場合は良い方らしく、その他に困ったことといえば足のつま先のしびれぐらいですかね。このしびれは、一生なくならない人もいるそうなので、長く付き合わなければならないと思ってます。

 そんな状態なので、仕事が終わればまっすぐ家に帰ります。
 剣道の稽古も週末に1時間だけ。しかし、冬場の今は稽古はお休みしています。汗をかいた後に外の冷たい風に当たるのが怖いんです。この病気になってから、風邪をこじらせて肺炎になったことが2回ありますから。退院して1年以上たち、体の抵抗力もついてきているので、もうそこまで重症化することはないと思うのですが……。

 無理をしなければ、健康な人とほとんど変わらない生活が送れている。入院中の状態と比べれば、まあ、よくここまで回復したなと思いますね。感謝の気持ちでいっぱいです。

 癌の経過観察はあと4年。長いなぁ。


 ちなみに、この急性リンパ性白血病(フィラデルフィア染色体異常)という病。私の場合(50歳代で、骨髄移植せず)は、5年後の生存率は10パーセント以下なのだそうです。


2019年3月26日火曜日

剣道二刀流 正二刀・逆二刀を「右二刀・左二刀」と言い換えてよいのか

剣道二刀流の構えの呼称について


認識の後退


右二刀って、右手で二本の刀を持つのですか?
左二刀って、左手で二本の刀を持つのですか?

いいえ、二刀とは、両手に一本ずつの刀を執って戦う片手刀法です。右とか左とかの問題ではありません。

本来は、右手に大刀、左手に小刀を持つ構えを「正二刀」といい、左手に大刀、右手に小刀を持つ構えを「逆二刀」といいます。

しかし、近年、これを、「右二刀」「左二刀」と言い換えている方たちがいます。
私はその方たちを、批判するつもりはありませんが、以下、私個人の見解を述べさせていただきます。

正逆の概念(法則)


左右、上下、前後、東西南北など、これらの言葉は対象となるもの(相手)とのかかわりがありません。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向や方角です。

正逆、表裏、陰陽、円明、光陰、昼夜(二天)など、これらの字義は一つの“宇宙”、理(ことわり)を表しています。
物事は二面が一対になって全体を表す。それぞれ相反する絶対的な領域があって、かつ一方だけでは存在し得ない。
仮に、一方を認識してそれを否定すれば、もう一方が肯定される(証明できる)という関係にある。この二字が一対になって十全ならしめるわけです。よって、「正」以外とは「逆」しかあり得ない。その反対もしかりです。

剣理にならって技を繰り出せば、この理に一致することは、言うまでもありません。陰流や新陰流の号も、この思想から命名されたと推察されます。

左右という認識方法であれば、「右」を認識できたとして否定しても、残るのは左ではなく、上、下、前、後、斜め左…、無数の方向が存在しますから、「左」だけを肯定・証明することができません。しかも、最初に認識した「右」は非常に曖昧です。
常に、「どちらから見て」とか「誰から見て」とか、前提を問わなけれならないのです。何よりもそれ以前に、対象(相手の存在)とのかかわりのない認識方法なのです。

一刀流や新陰流、二天一流などの流祖たちが到達した境地で実行された認識方法を、よく理解すべきです。
その認識方法は、技はもちろん、足の運び(陰陽の足)、攻め(表裏の攻め)、刀法(順さばき逆さばき)など、剣理のあらゆるものに合致します。

 例えば、お相手との立合いの中で、お互いが「表」からの攻防に執着している場合、一方が瞬時に「裏」からの攻めに切り替えて一本をとる。あるいは、「裏」からの攻めに切り替えたと見せて、お相手が「裏」の防御に執着した刹那を「表」から一本をとる。これらは表裏の法則を体現した攻めの一例です。


また、正逆の概念は剣道だけにあてはまるものではありません。

書道では、文字を書くとき(例えば「小」の文字)、左右一対になっている点の右側の点を“正の点”左側の点を“逆の点”と言います。この二つの"点"は、いずれか一つが単独で存在することはないのです。

また、製造業や建設業にたずさわる方であればお気づきだと思いますが、回転装置の付いた工作機械や製造機、建設機械や重機などを使用する場合、「正転」「逆転」という操作の指示を、「右回転」「左回転」と言い換えたら、大変な事故につながってしまいます。
一方から見ている人にとっては「右回転」でも、反対側から見ている人にとっては「左回転」になるからです。(実際にそういう事故がたくさん起きています。)

なぜそういうことが起こるのか。「正逆」(あるいは表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、その行動が“真”であるのか“偽”であるのか問うことができないのです。
「左右」の領域は曖昧で、かつ前提がついて回る。対象とは関係ない自分側の認識方法だからです。よって、“真”である証明をすることなどできません。だから事故になるのです。

理の追究


剣道で、相手を「制する」「一本をとる」、「理合を体現する」、ということは、自らの行動が“真”であることを証明したことと同義です。

そしてそれが心の喜びとなり、お相手は「参りました」と素直にその理を受け入れる。お相手と自分が一つになって、理を同時に、「認識」、「体現」、「証明」した瞬間です。

剣道の魅力はここにあります。対象と自分、この運動世界の中に理があるのです。独りよがりで成立するものではありません。

繰り返しますが、「左右」には対象がない(必要としない)。自分が任意の地点に立った場合の単なる方向です。独りよがりの認識方法ともいえるのです。


正逆(表裏、陰陽など)を「左右」という概念に置き換えてしまった場合、理の体現を追求する稽古が、成立しないということを、お解りいただけたと思います。(剣道をスポーツとしてとらえている方は「左右」と言い換えてもかまわないと思います。その場合、稽古ではなく“練習”になりますね。)

理を冒してはならない


宮本武蔵が『五輪書』の中で、繰り返し言っている「勝つ」という言葉。これは単に勝ち負けのことを言うような浅はかな意味ではありません。

武蔵の言う「勝つ」とは、「制する」、「理である」、「“真”であることを立証する」という意味だと私は思います。

古流である二天一流を修行する私たちにとって、二天(円明)、陰陽、表裏、正逆などの認識方法は、冒(おか)すことのできない「剣理の精髄」です。

正逆という深い意味を持つ言葉を、短絡的に「左右」と言い換えてしまう。
まさに命を懸けて理合や理法に到達した戦国流祖たちに対して、敬意がないから生まれてくる発想です。

流祖たち(古流)を見下せば、自分の剣道がつまらないものになるのに、そういう態度から離れられない。歴史の中に実在した達人たちに、凡俗極まる現代人の観念をなすりつける。
本当に悲しいことです。

私たちが求めているものは、現代風にアレンジされた二刀(剣道)ではなく、数百年続きこれからも未来永劫連綿として伝えられる正しい二刀(剣道)の理念なのです。




2019年3月24日日曜日

復職→すぐに肺炎に→再入院→退院直後→千葉県剣道選手権大会出場

危険な挑戦


復職して4カ月で肺炎になり再入院


 8月のある日曜日の午後、翌月に迫った千葉県剣道選手権大会に向けて実践的な稽古相手を求めて、隣町に出稽古に行きました。
 気温は35℃ぐらいあったと思います。無謀ですよね、白血病で長期間化学療法(抗がん剤治療)を受けた後に、ガチンコで剣道やってるんですから。

 入院中、ベッドの上でいつもこんなことを考えていました。

 「いつ死んでも悔いが残らないように、今やれることはやっておきたい」

 それでもやれることは限られていました。
 妻や息子が面会に来れば、今伝えなければならないことを真剣に話し、一時退院すれば、家の中の物の整理と不要な物の処分をする。そんなことぐらいです。体力がありませんからね。
 今まで購入をためらっていた物がいくつかあり、後々必ず必要になるからと、妻に相談なしで買ったりして、喧嘩にもなりました。

 「死んだら何もできない」。そんな考えがいつも頭にあって、知らず知らずのうちに無理をするようになっていたんですね。

 そんな状態ですから、退院し復職してすぐに剣道も再開しました。病み上がりで出場した市民大会で優勝してしまったために、その4カ月後に行われる県大会にも出場することを決めた。すると必然的に稽古にも力が入り、無理を重ねるようになっていったのです。

 で、その8月の暑い日。盆休み中でした。
 出稽古に行ってガチンコで剣道をやった帰り、車を運転中にあまりの疲労から眠気が差してきた。30分ぐらい仮眠してから帰ろうと思い、交通量のほとんどない道端で停車して寝てしまった。
 
 「寒ーいっ!」
 飛び起きましたよ。外を見ると辺りは真っ暗。エアコンの冷たい風が直接体に当たってました。しかも全開で。時計を見たら3時間たっている。

 寒さでガタガタ体が震えながら、急いで帰宅して熱を計ると37度3分。「まずい、風邪を引いたかも」と思いましたが、翌日も一日寝ていれば熱が下がると思い、安静にしていましたが38度台に上昇。その翌日は39度台になった。

 発熱したら、すぐに病院に来るようにと、主治医から言われていたので、あわてて病院に行きました。

 「肺炎です」って。そのまま入院となりました。

 「風邪を引いただけでも重症化しますから、気をつけてください」と退院するときに主治医に言われていました。
 
 あれはこういうことなのか、と思いましたが遅かった。
 昨年8カ月間、入院中お世話になった看護師さんたちに半年ぶりに再会した。気まずかったですね。出戻りです。
 幸い癌は再発しておらず、1週間の入院ですみました。
 

千葉県剣道選手権大会に出場


 肺炎で1週間入院して退院してきた時には、千葉県剣道選手権大会は1週間後に迫っていました。

 普通、出ませんよね。こんな状態で。
 白血病の長期抗がん剤治療を受けた直後で、後遺症満載の体で、肺炎になって入院し、退院後1週間で公式戦なんて。

 でも、小学生の頃に目標にしていたんです。将来、全日本剣道選手権大会に出場することを。
 千葉県剣道選手権大会は、その千葉県予選です。
 「死ぬ前に、子供の頃に思い描いた夢にチャレンジしておきたい」
 その一心で出場を決めました。

 市民大会で優勝していますので、出場要件はクリアしています。
 しかし、問題は年齢です。その時、私は54歳。

 ルール上は年齢の上限はありませんので、出場可能です。しかし、この大会は全国大会の予選であり、公式戦です。
 普通のスポーツでいえば、アスリートが出場する大会なのです。ですから、出場者は20代~30代がほとんど。例年ですと、最年長者は40代前半のようです。
 私が出れば、ダントツの最高齢間違いなし。

 それでも、やっておかなければならなかったんです、“夢への挑戦”を。

 結果は、予想通り1回戦負け。(この試合については、こちらをご覧ください)
 お相手は30歳の方でした。制限時間内に決着がつかず、延長で20分ぐらい試合をしてました。

 悔しさ――。ありましたよ、悔しかった。また来年出場しようと思いましたね。

 そして、喜びと安堵感。間に合った、夢にチャレンジできたという。

 かなり無謀でしたけどね。


 前の「白血病」の投稿はこちら

2019年3月22日金曜日

白血病から生還、復職、剣道再開

白血病から生還


復職


 急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体異常と診断されてからちょうど1年。
 8カ月間の抗がん剤治療(入院)と1カ月間の放射線治療(通院)、そして3か月間の自宅療養を経て、2018年4月に元の職場に復職しました。

 会社には特別な配慮をしていただき、リハビリがてら負担のかからない仕事から始めさせてもらえました。
 白血病と診断された時は、まさか仕事に復帰できるとは思いませんでしたので、うれしかったですね。会社や上司、同僚の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 この病気にかかって、治る見込みがないと会社に判断され、退職を余儀なくされてしまう方も多いと聞きます。命が危ぶまれる病気にかかって、そのうえ仕事も失う…。胸が詰まります。

剣道再開


 復職と同時に剣道の稽古も再開しました。病に倒れる前までは、稽古のし過ぎだったと反省しきり。(以前の稽古メニューはこちら
 最初の1カ月間は、週1回1時間の稽古だけに抑えました。本当は、もっとやりたかったんですけど…。稽古をすると3日間ぐらい疲労が取れないんです。抗がん剤治療の後遺症ですね。

 しかし、1カ月後に開催が予定されている市民大会には、このときすでに出場する気満々になってました。試合大好きですから。
 そして、試合当日を迎えました。

復帰戦


 当日、試合会場について、トーナメント表を見て愕然としました。1回戦のお相手が、一昨年の大会の優勝者。その時、私はこの方に負けているのです。しかも今回は、病み上がり。勝ち目はありません。

 「とっとと1回戦で負けて、早く家に帰って体を休めよう」

 そう思いましたね。とにかくこのころは、体を休めたいということばかり考えていましたので。

 そんなあきらめムードの中、1回戦が始まった。蹲踞の姿勢から「はじめ」の号令がかり、立ち上がって上下太刀に構える。(注:上下太刀とは二刀の代表的な構えの一つ。上段の構えの一種)

 「あらっ?」

 ちょっと様子が違うんです。私は体力も筋力も極端に落ちました。稽古もしてません。しかし、お相手の動きがよく見える。まったく怖くないんです。気づけば体力がない私が、お相手を追い込んでいる。しかも、足の裏とつま先は、抗がん剤治療の後遺症で感覚がないままなのに。

 終わってみれば、この大会、優勝していました。

 何とも不思議なものですね。長く過酷な闘病生活から得たものが、私の剣道の成長にも作用したのでしょうか。

 表彰式のあと、周りの方々から「本当に白血病で入院してたの?」なんて言われてしまいました。笑 (この大会の試合内容は、こちらの投稿で記述しています)

 しかし、これでちょっと自信をつけてしまったんですね。
 この4カ月後に行われる、千葉県剣道選手権大会(全日本剣道選手権大会千葉県予選)に出場することを決意してしまったんです。(出場の模様はこちら


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2019年3月17日日曜日

剣道 古流に学ぶ

「古流」という裏付けのある「剣道」 

片手刀法。右片手上段からの正面打ち
片手刀法:右片手上段からの正面打ち

剣道家が「流派」に属していた時代


 1972(昭和47)年。小学2年だった私が剣道を始めたころ、元立に立っている先生方は、皆さん大正生まれでした。ですから、現在のように「現代剣道」だけをやっている方はおりませんでした。

 大正生まれということは戦前から剣道をやっていた方々です。それは、ほとんどの方が古流のいずれかの流派に属しているということです。剣道に古流という裏付けがあった時代。揺るがない理論と技がありました。

「講話」と「理」


 当時、私が所属した中山剣友会(現名称:市川市剣道連盟東部支部)は、戦後、GHQによるいわゆる〝剣道禁止令〟が解禁された後、約20の流派の剣道家が集まって始められた道場だと聞いています。
 ですから、指導する先生によって、教え方がまったく違いました。例えば、作法が違う。面打ちの教え方が違う。技の理合いの解釈が違う。
 小学生だった私は、先生によってなぜ教え方が違うのか、それが大変興味深く、稽古に通うのが楽しみになっていきました。
 
 もう一つの楽しみが「講話」です。稽古が終わって整列し、静座の前に小学生に向けて剣道の講話があった。3分程度だったと思います。
 各流派の先生方が日替わりで話をする。これが実に興味深い。各流派に連綿として伝わってきた「理」がある。それを、「剣道」で、あるいは「日常」の生活の中で体現する話。剣道をやっていく上ではもちろん、一人の人間として人生をやっていく上で有意義な話ばかり。学校では絶対に教えてもらえない貴重な話が満載でした。
 今では、そういう「講話」はどこの道場でも聴くことはありませんね。指導者に古流というバックボーンがないからです。残念なことです。

 そして中学生になったころ、剣道の稽古中に、あの“教え方の違い”について、ふと自分の中で“答え”が出た。
 各流派の教え方、言い回しは違うが、言わんとしていること、物毎(ものごと)の根底においてのは同じなんだ、ということが。
 小学生の時に、古流の裏付けのある先生方に剣道を教わったことは、私の財産になりました。

古流に習い、剣道で実践


 高校で剣道を離れて、45歳の時に再開を決意。同時に二刀を執ろうと決めた。

 それにあたって、古流二刀を教えてもらえる道場を探そう。見つからなければ剣道再開はあきらめよう。そう思いました。

 なぜそう思ったのか。
 それは、我流でやるなら意味がないと思ったからです。

 諸手一刀中段の剣道を、我流でやっている方は、おそらく日本で一人もいないと思います。必ず、最初は指導者から「基本」を習っているはずです。

 しかし、これが諸手左上段や二刀となると、片手刀法の基本も習おうともせず、自分勝手な思いつきでやる人が多い。

 言うまでもなく、鎌倉から江戸初期にかけての各流派を源流とする「剣術」が連綿と継承され明治期に統合されたものが「剣道」です。
 私たちは、この“源流”の部分を「稽古」しているわけです。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)
 
 自分の思いつきでやっているもの、我流でやっているものは「稽古」とは言わず、「練習」と言います。我流でやる剣道ほど、見ていてむなしいものはありません。


白血病の治療~私の場合~⑰ 注意点

特に気をつけたいこと


病院選び


 白血病と診断されて、会社の上司に報告すると、こんな話が返ってきた。
 上司の甥っ子が高校生の時に白血病になり亡くなったと。その親御さん(上司の兄)は、病院選びを間違ったと、後で大変後悔されていたそうです。どうも最初の段階で適切な治療を受けることができなかったらしのです。

 私が入院中にも、やはり他の病院で適切な治療を受けることができずに、転院してきた方を何人か見ました。その方たちのその後の治療経過は、あまりよくなかったように思います。

 白血病を疑われたら、血液内科のある総合病院を受診しなければなりません。そして、必ず「無菌室」の設備のある病院であることを確認することが大事です。

 私の場合は、自宅から最も近い病院が某大学病院だったので、その点はラッキーでした。

病院は1カ所に、そして薬は「院内処方」で


 先ほど病院選びでは、血液内科のある総合病院を受診すべし、と言いました。これは、他に持病があって病院にかかっている場合、複数の病院や薬局の医療費は合算されず、個別に限度額認定が適用されるからです。

 例えば、もともと糖尿病でA病院にかかっていて、毎月検査と薬の代金が1万円かかっていたとします。白血病になりB病院に入院して限度額認定を受け、上限の88,000円(前年の収入によって変動します)を毎月支払っていたとする。
 入院での治療を終えて通院で治療を続ける場合、以前のようにA病院に糖尿病の治療で受診すると、合算されませんから1万円の支払いが発生します。白血病の薬を院外薬局で求めれば、それも合算されませんから支払いが発生します。特に白血病の薬は非常に高額ですから、ここでも限度額適用の上限の88,000円の支払いが発生します。(申請すれば一部は戻りますが、全額は戻りません)
 これを、糖尿病もB病院で治療し、白血病薬も院内処方にしてもらえば、88,000円で全て収まってしまう。それ以上の支払いが発生しないのです。

がん保険加入は必須


  • 受け取ったがん保険の診断給付金(一時金)は残しておく方がいい
     がん保険の診断給付金(一時金)の必要性は、「白血病の治療~私の場合~②」の中で書きました。入院1~2カ月目に必要です。その後、各種保険請求の手続きが済めば、使った一時金を戻しておくことができます。
     診断給付金は、がんと診断された最初の1回しかおりません。再発したり、新たに違う癌になっても一時金はもう出ません。ですから、万が一の再発のために備えておく必要があると思います。

  • がん保険のカスタマイズ
     がんになった時に一番頼りになる保険は「がん保険」であることは、言うまでもありませんが、大事なのはその内容です。
     現在は、付帯する保障内容は様々なものがあり、特約をつけられるものもあります。いたれり尽くせりというところでしょうか。しかし重要なのは基本の部分です。
     それは、「診断給付金(一時金)」と「入院給付金」です。中でも、「入院給付金」は最も手厚い保証を設定しておくべきです。
     「入院給付金」は通常の医療保険で保証されているから、わざわざがん保険に入る必要はないという方がいます。しかし、実際にがんになってしまったら、ちょっと心細いですね。通常の医療保険の「入院給付金」の支払い期間には“期限”があります。3カ月間とか6カ月間という。それに対して、がん保険の「入院給付金」は無期限です。しかも再発しても無期限で給付されるものがほとんどでしょう。
     「入院給付金」の給付額はカスタマイズ可能です。〈入院1日あたり5千円の給付が1口〉になっているものが多いと思います。それを何口にするかで、1日の給付額が決まります。例えば、2口で契約すれば1日1万円の給付になる。1カ月の入院で30万円が給付される。かかる医療費は限度額適用認定が受けられますので、月に上限いっぱい支払ったとしても10万円前後。残った20万円で、ケータイ料金や家の光熱費などを支払うことができます。最低でもこれくらいの保証はつけておきたいところです。
     一方、「診断給付金」(一時金)は保険会社によって、金額に差があります。私の場合、この「診断給付金」が非常に役立ちました。(「白血病の治療~私の場合~②」に詳しく記載)最低でも50~100万円ぐらい給付されるものを選びたいですね。


食事や運動に制限なし!寛解を一生維持することを目指す!


 注意したい点で、大まかなところは以上です。細かいところはまた別の機会に書きたいと思います。

 白血病は、寛解して白血球が正常値になって、免疫力が上がれば、食事や運動に制限はありません。
 白血病になる以前の生活にもどることができるのです。

 しかしこれは、“完治”したわけではない。“根治”できたわけでもないのです。医学の現状として、この診断を下すことは不可能なのだそうです。
 再発の確率があまりにも高く、そのメカニズムも解明されていない。

 人智でできることは、「寛解を一生維持することを目指す」こと。

 まずは、他の癌と同様、5年間の経過観察で寛解の維持を目指します。

忘れてはならないこと


 私は、52歳で急性リンパ性白血病と診断され(この年齢でこの病名ですと、5年後の生存率は10パーセント以下)、入院1カ月目で寛解し、奇跡的に現在まで約2年間寛解を維持しております。
 しかしながら、長期間治療を受けても寛解しない方がたくさんいらっしゃる。寛解しても、1,2カ月で再発する方も多い。何度も移植をし、あらゆる治療法を尽くしても寛解せず、旅立たれていく方も多い。また、寛解しても合併症で命を落とす方もいらっしゃいます。副作用のつらさのあまり、自ら治療を中止してしまう方も。
 そういった方々がたくさんいらっしゃることを、私たちは絶対に忘れてはなりません。

 私は、白血病と診断された直後から、家族の者に対して、このことをきつく言い渡しておりました。
 「私が、もし寛解したとしても、絶対に喜んだり、浮かれたりしてはいけない。寛解しない方がたくさんいる。再発する方がたくさんいる。その方々の気持ちを考えるように」と。
 
 今でもそのことを、よく守ってくれています、家族みんな。涙が出ます。


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2019年3月16日土曜日

白血病の治療~私の場合~⑯ 治療を振り返って

この一年で経験した大事なこと


医療の限界


「私はこの治療がいい治療だとは思いません」

 セカンドオピニオンで訪れた病院の医師が、1時間の説明の後、私の帰り際にかけてきた言葉です。骨髄(臍帯血)移植の実績では、日本で有数の病院の血液内科医です。今でも耳の奥から離れない。

 医者も“いい治療”だと思っていないのに、患者に移植をすすめなければならない。
 患者も“大きなリスク”を解ったうえで、移植を選択する人が大半。

 これが白血病治療の現状です。ぶっちゃけ、一か八かなんですよ。(セカンドオピニオンについては「白血病の治療~私の場合~⑦」をご覧ください)

 私は移植は選択しませんでした。今も答えは出ていません。それが正しかったのかどうか。答えが出るのは、私が死んだときなんでしょうね。
 寿命いっぱいまで生きれば、「正解」だったということ。骨髄の癌が再発して死ねば「間違っていた」ということですね。いずれにしても、私は生きているうちに、その答えを知ることはできない。なんて因果な病気なんでしょうか。

「感謝」の意味


 一方で、いい経験になったと思う部分もあります。今まで「感謝」の意味がわかっていなかった、ということに気づけたということです。当然、「感謝」の意味はわかっていたつもりでした。

 抗がん剤の投与が始まり、無菌室のベッドの上で自分の体が壊れていくのが分かる。奈落の底に落ちて行くような感じがする中で、今までの人生が走馬灯のように思い起こされる。そんな時、自分はなんてわがままだったんだろうと気づくんですね。なんでもっと、周りの人に感謝してこなっかたんだろうと。

 今の自分の環境を考えたら、自分は幸せ者だったんだと気づき、涙があふれました。
 元気になったら、人の役に立ちたい、そう思いました。その気持ちは今も変わりません。

がん治療にはお金がかかる


 白血病の治療費については、「白血病の治療~私の場合~②」で書きました。
 いろいろな保険制度やがん保険、入院保険などを活用すれば、治療費や生活費は心配ないと言いました。

 これらの社会保険制度や生命保険は、通院や入院で仕事を休業しているときに、最も大きな保障が受けられます。しかし、これらは期限や制限があります。


  • 傷病手当……所属する会社で社会保険に加入していれば、休職している間は、給与の6~7割程度に相当する額が受け取れます。しかし、同一の病気では最長1年6カ月が、支払いの限度です。当然ですが、1年6カ月以内であっても復職すれば受け取れなくなります。
  • 限度額適用……国民保健、社会保険、共通の制度で、前年の収入に応じて医療費の支払い限度額が設定されているというもの(差額ベッド料金など、自費による医療費の支払いは含みません)。白血病の場合、退院した後は服薬と月一回の通院になります。癌ですから、寛解が続いていたとしても5年間は服薬と通院、経過観察が必要です。しかし、この薬の元々の値段が高い。限度額適用の上限いっぱいの額を、5年間は払い続けなければならないのです。
  • 生命保険……白血病で該当してくる保険は、がん保険と入院・通院保険などの医療保険です。しかし、手厚い保証は入院している時だけ。退院した後は通院の保証がありますが、退院後120日間とか180日間とか、期限があるものがほとんどだと思います。
 
 このように、退院して一定の日数が過ぎたり、復職したりすると、傷病手当や保険金の受け取りはなくなります。しかし、服用薬が非常に高額なため、経過が順調だったとしても限度額適用の上限いっぱいの額を払い続けなければならない。これは、かなりの負担になります。

 退院後もかかる高額な薬代。これは、できるだけの対策をとっておく必要があります。


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宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

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