2019年6月17日月曜日

剣道 克服すべきは反発の原理

稽古の目的は「反発の解除」


日常の動作は、反発に満ちている


 「何ものかに反発している場合、人はそれを知ることはできない」

 その通りだと思う。

 私たちは歩くとき、動かない地面を支えにして、踵(かかと)を上げながらその地面を足の裏で蹴って前へ進む。地面を蹴るという"反動"で前へ進んでいる。

 また、テレビで野球中継を観ていると、バッターがウェイティングサークルで重いバットで素振りをしている光景をよく目にする。これは、重いものを振って、バットの重みを力でねじ伏せ、軽く感じるようにしているのだろう。つまり、重さに対して"反発"しているのだ。

 このような反発の習性は、日常のいたるところに見られます。
 剣道は、この習性から、可能な限り自由になろうとするものです。

解除しなければならない4つの反発


  1.  <地面に反発>
     反発しない歩き方とは「ナンバ歩き」。(ナンバの足法については、こちら
     古来、日本人がワラジや草履をはいて歩く時の歩き方。日本の武術はこの身体運用法を前提としているといってよい。これができるようになれば、左足で床を"蹴って飛ぶ"必要がなくなる。踏み込む前の溜がなくなる。
  2.  <胴体に反発>
     この反発を解除するには、竹刀の柄をを小指と薬指で軽く握り締めること。小指から脇の下につながる筋肉(これを下筋と呼びます)が締まり、腕の動きと胴体は反発しない。
     わしづかみにすれば、体と剣はバラバラになり、互いに反発し合う。
  3.  <太刀の重さに反発>
     竹刀の重さに反発したり、力でねじ伏せるような操作はしない。竹刀の重心を意識した操作をすることによって、重さを引き出して(利用して)振ることができる。(片手刀法の重心に関する記述はこちら
     諸手一刀中段に構えた場合は、竹刀の重心を頭の上に引き上げて振りかぶらない。振り上げた竹刀の重心の下に、右足を踏み出して体を入れる。体を一歩前へ出して、振り上げた竹刀の重心の下に入るようにする。
     前者は、重心のベクトルが後方に向かってしまう。後者は、ベクトルが前方に向いたまま。前方にいる相手を斬るという、体のベクトルと一致する。
     竹刀の重量と重心の方向を感じ取っていれば、その重量が移動する動きに腕が加勢するように振ることができる。 
  4.  <相手の動きに反発>
     力まかせに打ったり、独りよがりに技を出さない。相手の力を利用し、拍子をつかみ、相手を引き出す。相手を敵ではなく、あたかも理合を体現するための協力者のように動かすことが肝要。

兵法の身なり


 宮本武蔵は『五輪書』の中で、以上のような、反発の原理を克服しうる身体運用のあり方を、「兵法の身なり」という言葉で解説しています。

 作用と反作用の中で動く身体の習性は、なぜ消し去らなくてはならないのでしょうか。
 この習性に従っていればどうなるか。

  •  体に無駄な負担をかける。
  •  動く気配が事前に出る。
  •  拍子が遅れる。

 剣道では致命的といわれる特徴が、表れてしまいます。
 しかし、こういったことは、一挙に解消できるのです。

 大事なことは、こうした反発の原理を克服すること。
 この反発の原理を解除し、ある意味の自由をつかんだところに、「理」の体現があるのではないでしょうか。

 それとは逆の、反発を強化するような練習やトレーニングはすぐに限界がくる。誰もが自身の身をもって経験したことではないでしょうか。

兵法の身を常の身とする


 常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事肝要也。(『五輪書』「水之巻」)

 これも、武蔵が繰り返し説くところです。

 「日常の最もありふれた動作を深く変更して、作用と反作用の対立から解き放たれた身体の、新たな自由を得るのだ」と、武蔵は言っているのです。

 では、どうすればその自由を得ることができるのでしょうか。

 これも武蔵がはっきり言い残しています。

 「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
 
 近道はないようです。
 武蔵がそこに無愛想に立っているようですね。


2019年6月16日日曜日

平成27年市川市民剣道大会 打たれて感謝!感動的な一本‼

昇段して出場部門変更


四、五段40歳以上の部


 2015(平成27)年10月。市川市民剣道大会の個人戦に出場しました。

 この大会は、2012(平成24)年と2013(平成25)年に部門別で連覇しています。(平成24年大会の模様はこちら。平成25年大会の模様はこちら
 その時は、「三段以下45歳以上の部」という部門。大人になってから剣道を始めた方と、私のような"リバ剣"組が多い部門でした。

 今回は、この年の8月に四段に昇段しておりますので、「四、五段40歳以上の部」への出場となりました。(四段審査の記述はこちら
 この時私は51歳。この部門ですと10歳も若い方と当たる可能性がありますし、長くこの部門に出続けている年配の方もいらっしゃる。
 初めて出場する部門ということで、様子がまったく分からず、ちょっと不安でした。
 

試合開始


 「四、五段40歳以上の部」の出場者の方々を見ると、以前の部門の出場者の方々と比較して、体格が大きく見える。気のせいかも知れないが、日頃の鍛錬の違いだと思うと、いっそう不安な気持ちになる。笑
 トーナメント表を見ても、誰も過去に対戦したことがある方はいない。
 いよいよ試合が始まりました。

 以前の「三段以下45歳以上の部」では、試合コート内を中段に構えて、右に左に動き回る方が多かったのですが、この部門になると、もうそういう方はいませんね。
 奇をてらって打ち込んでくるようなことはせず、理合(りあい)のある技を出している。大人の剣道の試合らしくなってきました。

 私は自分でも以外でしたが順調に勝ち進み、準決勝まで駒を進めました。

準決勝のお相手


 準決勝のお相手は、年齢がなんと70歳ぐらいと思われる方。
 この市民剣道大会は出場者が約300名いますが、その中でも最高齢だと思います。
 その方が、この部門にいるのです。

 この方は、剣道五段ですが、実力的にはもうとっくに七段以上になっていなけれはおかしい人。
 実際に、どんな若手現役選手もこの方に相対したら子供同然。自分の思う通りの剣道なんてさせてもらえません。ご自分より段位が上の七段の方々も、コテンパンに打ちのめしてしまうのです。
 ちょっとこういう方は、見たことがありません。気迫と体力が半端じゃない。

 信念があって六段以上の審査は受けないそうですが、市の剣連ではある意味、非常に恐れられた存在です。
 しかし、出稽古先でお会いしたりすると、笑顔で声をかけてくださり、素晴らしい人格者でもあります。

 そんなお方が、今、私の前に立ちはだかっているのです。

心を打たれた一本


 試合が始まって意表を突かれた形になった。
 私はこの方とは、出稽古先で何度も稽古をお願いしていて、手の内も解っていたつもり。攻略する自信もあったんですが、なんとお相手は諸手左上段に構えている。
 普段は中段の構えで稽古している方です。上段に構えているところなど見たことがありません。二刀対策としての「上段の構え」のようなのです。

 しかし実際には、二刀は特に「上段」を苦にするということはありません。どちらかと言えば、対上段は得意な方でしたので、好都合だと思った。
 それが間違いでした。

 諸手左上段の左右の小手は、上下太刀に構えた二刀からしてみれば、大刀で非常に打ちやすい位置にあります。それを簡単に仕留められると思ってた。
 私は機をみて上段に構えたお相手の「右小手」を打ちにいった。同時にその出ばなをとらえたお相手が「面」にきた。
 お互いに打ち損じました。しかし、審判の旗はお相手の方に上がっていたのです。
 
 この時は、まだ落ち着いていました。充分取り返すことができるだろうと。
 機を見たつもりが、逆に出ばなをとらえられたことを教訓に、しっかり居付かせるか崩すかして打とうと思った。
 その通りにお相手が居付いたところを、もう一度「右小手」。今度は一本。

 これで勝負に。もう一本取った方が決勝進出となる。

 しかし、ここからがお互いに攻め崩せなくなって決まり手がなく、延長戦に入った。
 試合時間は20分を優に越している。
 左右の小手打ちは読まれて打つ手がなくなり、私はこう決断した。

 「相面(あいめん)で仕留めよう」

 お相手は終始一貫、私の「面」だけをとりにきている。そこに私の弱点があるとみて、そこだけを狙っているようだ。
 ならば、こちらもその面に合わせて、得意の「相面」で仕留めようと決意した。

 お相手は諸手左上段、私は正二刀の上下太刀。お互いの気勢が充実しきって、もう後戻りすることが出来ない"石火の機"に、渾身の「出ばな面」を打った。
 この"石火の機"にお相手が打ったのは、私の「右小手」。大刀を持った方の「小手」です。「出小手」が決まったのです。観覧席からは、「オォーッ」という歓声が上がりました。

 お相手は、これを待っていたんですね。私が「相面」が得意なのを知っていた。その機会をひたすら待っていたんですね。
 そうとは知らずに、機をとらえて「相面」にいったつもりでしたが、動かされたのは私の方だったんです。そこを見事に「出小手」で仕留められてしまった。

 完敗でした。これ以上の素晴らしい一本は、打たれたことがありません。
 試合中にもかかわらず、「参りました」と言ってしまいました。
 "心を打つ一本"とは、こういうことなんですね。

 「四、五段40歳以上の部」の初参戦は3位に終わりましたが、忘れることのできない大会になりました。

 剣道は「活人剣」。胸に刻みます。
 

2019年6月14日金曜日

平成27年浦安市秋季市民剣道大会 壮年の部、団体戦連覇!

ようやく理解された「正しい二刀」


"ひな壇"の先生方


 リバ剣して6年目の2015(平成27)年10月。浦安市秋季市民剣道大会に出場しました。
 毎年、秋季大会は団体戦のみ開催されます。3人制で、40歳以上の壮年の部と40歳未満の青年の部に分かれます。

 この年は、春季大会(個人戦のみ開催)の壮年の部で2度目の優勝を果たしております。(その模様はこちら
 秋季大会も前年に優勝していますので、連覇がかかっていました。(前年の秋季大会の模様はこちら

 以前、市の剣連の会長さんが「アンチ二刀」だったのが、私の試合を観て、そうではなくなった時のことを書きました。(その記述はこちら
 しかし、市の剣連にはあと二人、"アンチ"の方がいらっしゃるんですけど、今回、そのうちのお一人の様子が、今までとちょっと違うんです。

 剣道大会には通常、大会役員や来賓が座る上席が設けられています。俗に「ひな壇」と言われる席。
 大会中、ここに着席されている先生方は、試合を観ているんですが、複数ある試合場のどの試合を観ているかは、こちらから見ればよく分かるのです。どの方がどの会場の試合に興味があるのかないのか。
 この「ひな壇」にあと一人、二刀をあまり快く思っていない方が、いらっしゃる。
 その方は、二刀者が試合に出てくると見向きもせず、他の会場を観ていたのですが、今回は私の試合をちゃんと観ていたようなんです。

壮年の部、3人制団体戦


 チームは前年のこの大会に出場する時に結成したおやじチームのメンバー。
 先鋒は、40代半ばの二刀者。逆二刀。
 中堅は私で、この時51歳。正二刀。
 大将は還暦を過ぎた一刀者です。
 
 前年は、あれよあれよという間に勝ち進んで優勝してしまいましたが、この年はちょっと雰囲気が違いましたね。
 壮年の部の他のチームは、それぞれメンバーを入れ替えて闘志満々という感じ。皆さん優勝をねらってきているんですね。

 それはそうだと思います。プライドがおありでしょうからね。
 前年の大会の時、私たちのチームは全員三段で、壮年の部では最も低い段位のチームで優勝してしまいましたから。
 この年は私が四段に昇段していますが(その審査会の模様はこちら)、相変わらず壮年の部の中では最も平均段位が低いチーム。
 他のチームは、平均年齢も若いし高段者もいる。皆さんかなり気合が入っていました。

難関は準決勝


 準々決勝までは順調に勝ち進み、私自身も全勝。
 問題は、準決勝のお相手チーム。私たちよりも若くて高段者ばかり。
 しかも、お相手チームの3人は、私たちがそれぞれ苦手としている方。

 先鋒戦は予想通りかなり苦戦する展開になっていました。
 いつもなら、グイグイ攻め込む逆二刀者が、攻め込めないでいる。お相手が大刀側の小手をねらって攻めてきているからなんです。それを嫌って大刀を持った左手を引くもんだから打てない。対二刀をかなり研究されていますね。
 お互いに有効打突なく、引き分け。 お相手の試合運びのうまさが目立ちました。

 中堅戦。私のお相手は剣道六段の女性。年齢も私よりも若い。
 それまで何度か対戦していますが、すべて引き分け。非常にやりにくいお相手で、試合巧者。
 ブランクの長いリバ剣おやじは、この"試合経験"の少なさだけはどうにもならないんです。剣道を継続してやってきた方々には、かなわない部分なんですね。
 私の得意とする「出ばな技」がことごとく封じられてしまって、時間だけが過ぎていくっていう感じ。あせりが募る一方で、自分の剣道ができない。今回も引き分けに終わりました。

 少なくとも、先鋒の方か私のどちらかが"勝ち点"をとって、大将に回さなければならないところを、勝ち点なし。今大会私たちのチームでは初めてのケース。祈る気持ちで大将戦に。
 流れとしてはあまりよくない流れのように感じていましたが、大将はよく踏ん張ってくれて、引き分け。
 勝負の行方は代表戦にもつれ込みました。

 お相手のチームは、代表戦になった場合は先鋒の方が出ると決めていたらしく、もう面をつけ始めている。
 私はチームの二人からうながされて代表戦に出ることになり、面をつけ始めた。

 代表戦のお相手は、剣道六段の男性。年齢は私とあまりかわらないと思います。初めての対戦で、どんな剣道をしてくるのか分からない。
 先に準備を終えたお相手は、余裕綽綽(しゃくしゃく)といった感じで待っている。

 私が面をつけ終え、試合開始。立礼から大小を抜刀して蹲踞。「はじめ」の号令で立ち上がった。
 スルスルと間合いを詰めるお相手。
 「間合いが近いな」
 と思った瞬間、もう打っていました。

 「面あり」

 主審の声が聞こえた。初太刀で一本をとりました。
 これで、決勝進出です。

 決勝戦は、私は引き分けでしたが、先鋒と大将が頑張ってくれて優勝することができました。2年連続です。
 この年も、いいチームワークで勝ち進むことができた。3人とも、それぞれいいところが出て満足できた大会になったと思います。
 こうなると、目指すは翌年の3連覇ですね。

「理」は伝わる


 大会役員席に座った一人の先生。剣道八段で強豪校の剣道部顧問。
 私が試合の合い間に他のチームの試合を観戦していると、この人が私のところへ歩み寄って来た。
 「さっきの一本をとった打突は、どこを打ったの?」って聞いてきた。
 ひな壇からは遠くてはっきり分からなかったようだ。

 それから何試合かして、決勝に備えていると、またやってきて同じことを聞かれた。
 いずれも、私が「出小手」で一本をとった時のことを聞いているんです。

 逆二刀が相手の右小手を打つのはよく見る光景ですし、左手に持った大刀で相手の竹刀の裏側にある右小手を打つのは、簡単にイメージできると思います。

 しかし、正二刀が右手に持った大刀で、相手の竹刀の裏側にある右小手をどうやって打っているのか解らない、というのです。
 しかも、相手が打とうとする"起こり"を打つ「出小手」で仕留めているので、そういう場面を見たのは初めてなのだそう。
 どういう太刀筋で、本当に正しい刃筋で、打っているのか、それが知りたかったようです。

 変われば変わるものですね。以前は二刀の立会いなんて見向きもしなかった方ですからね。二刀に対してあまりよいイメージを持っていなかったようです。
 しかし、この日は二刀の理合(りあい)に興味津々。
 正二刀の出小手の打ち方を、懇切丁寧に教えてあげました。笑

 何を隠そうこの人は、私の母校の現在の剣道部顧問。
 「ひな壇」に戻ると周囲の先生方に、正二刀の「出小手」のレクチャーを得意げにしているのが見えました。笑

 市の剣連で、「アンチ二刀」はあと一人。その人とは、意外なかたちで和解することになります。


2019年6月12日水曜日

剣道 片手刀法 刀の重心で中心を制す

片手刀法の実践

右片手上段の重心位置。正中線上におく。
片手上段。竹刀の黒いしるしは重心位置。正中線上にあるのがわかる。

正二刀、上下太刀の構え。大刀の重心は正中線上に。小刀の切っ先は中心をとる。

剣道は諸手刀法だけではない


 「片手で竹刀を持ち、片手で構えて、片手で打突する」
 これを片手刀法の前提条件とさせていただきます、この稿では。

 すると、諸手左上段は当てはまらないので、現代剣道でその条件にあてはまるものがあるの?と思う方もいるかもしれません。大別すれば2通りの方法があります。

 写真上は「片手上段」です。右手で持てば「右片手上段」、左手で持てば「左片手上段」になります。
 最近は、ほとんど見ることはありませんね。
 昭和50年代までは、非常に少なかったですがいました。「左片手上段」で全日本剣道選手権大会に出場した選手もいたと記憶しております。

 私は普段、二刀を執っていますが、一刀で片手上段もやります。
 なんで諸手左上段じゃないの、と聞かれることがありますが、片手上段の方が自在に打てるし技も多彩ですからね。実際に、3.9の竹刀(515g)で「右片手上段」で試合に出場したこともあります。

 写真下は「二刀」です。右手に大刀を持つのが「正二刀」。逆が「逆二刀」。
 二刀も片手刀法です。左右それぞれの手で片手刀法をやっているわけです。

片手上段や二刀の構えは、面を防御している?


 ごく稀に、こう聞かれたり、指摘されたりすることがあります。竹刀で面を隠していると。
 ということは、そう思っている方が多いのではないでしょうか。

 実際に、二刀を執っている方でも、そう思っているという方がいると聞いて、ちょっと驚きました。
 その方は、大刀で面を"隠す"というのはズルいから、大刀を頭上で斜めに寝かさずに、真っすぐ立てて構えていると。

 "身内"にもこういう考えの方がいらっしゃるということは、正しい片手刀法が継承されていないという現状が、露呈したかたちですね。(片手刀法の継承についての記述はこちら

片手上段や二刀は「重心」で中心をとる 


 結論から言えば、竹刀を頭上で斜めに寝かしているのは、面を防御しているのではありません。構えているのです。攻めるため、打つための構えです。

 一刀の方が中段に構えるのは、左右の胴を防御するためなのでしょうか。
 諸手左上段の人は、面を防御してのことなのでしょうか。
 言うまでもありませんが、防御しているのではありません、構えているのです。

 片手刀法では竹刀の重心を、中心あるいは正中線からはずさないということが、非常に重要です。
 実際には、重心をまったく考慮しない竹刀操作をしている方はたくさんいます。しかし、それは竹刀だから出来ること。1㎏以上ある日本刀をそのように片手で振ることは非常に無理があります。

 重いものを持ち上げる時に、重心を考えずに持ち上げようとして失敗し、重心を考慮したら持ち上げられたなんて経験は、どなたにでもあると思います。
 物を扱う時の重心への意識は、非常に重要で、それが竹刀であっても同様なのです。片手で操作する場合はなおさらですね。

 写真上のように、片手で上段に構えた場合、刃を相手に向け、竹刀の重心を正中線上に置きます。
 面を打つ場合は、その重心点が直線の軌道でお相手の打突部位に向かって瞬時に移動します。ですから、重心は終始、中心からはずれないわけです。重心点は直線で移動しますから、竹刀は最短距離で打突部位に到達することになります。
 構えた時から打突完了まで、竹刀の重心が中心を"制した"状態になるわけです。

 その打突時に重要なのが「手の内の冴え」。

 構えた時、重心は中心にありますが、片手で柄を握った拳は大きく正中線からははずれています。
 打突時は、この拳を瞬時に正中線上の自分の胸の前に持ってくると同時にヒジを伸ばす。
 重心は正中線上にありますから、拳を正中線上に持ってくれば、剣先は正中線上にきます。当然ですが、竹刀全体が正中線上に入り、正中線を斬ることができるのです。

 その「斬る」瞬間に、もうひと仕事必要です。
 切っ先が「面」をとらえる瞬間に、手首のスナップをきかせて柄(つか)をわずかに引き上げる。その引き上げ方は、重心を中心に竹刀が回転する運動に瞬時に変換するようにする。
 そうすることによって、切っ先の速度がさらに加速され、冴えある打突ができるのです。これを二天一流では「切っ先返しの打ち」と言います。(切っ先返しとは、こちら

 構えから打突、手の内の冴えまで、一連の流れに「重心」はとても重要な役割を果たしているのが解りますね。

一刀中段で「重心」を意識する


 子供たちと稽古していて、剣尖が中心をとらえていない者に、中心をとるように言うことがあります。
 そうすると、剣先だけを中心にもっていこうとして、手首で"こねて"竹刀の重心や左拳が中心からはずれてしまう子供をよく見かけます。

 剣尖(剣先)で中心をとるには、正しい構えが前提です。竹刀の重心と左拳が中心にあれば剣尖(剣先)は自然に中心をとらえます。

 剣道形の解説などで、中段の構えで「剣先を相手の左目に向ける」という場合があります。これは、中心にある竹刀を相手の左目の方に、剣先をずらして向けるのではありません。
 刀には反りがありますので、諸手で握った手をやや右にひねると、切っ先だけが相手の左目に向くわけです。これが、相手の左目につけるという意味です。この時、左拳も重心も中心にあるのです。

 これを反りのない竹刀で体現するのは、なかなか面白いものです。
 剣尖(剣先)を緩めたり、誘ったりすることも自在です。左手と重心の2点で中心をとれば、"攻め"も変わります。

 一刀流の「斬り落とし」などは、まさに刀の重心が中心を制した状態であるから、お相手を刀ごと斬ることができるのです。

威嚇と攻めは違う


 二刀者で、上下太刀に構えた時に、大刀を頭上高くあげたり戻したりしている人をよく見かけます。それを「攻め」だと思ってやっている方もいるようですが、それは威嚇です。稽古で練磨してやるべきことではありません。
 玄人相手にそんな威嚇をしても通用しませんし、第一お相手に失礼です。
 平成の高名な二刀者が、そういうことをしていたので、真似している方がいるようですね。

 片手刀法は重心で中心をとっているわけですから、「重心」で攻めるのです。
 一刀中段で、剣先で攻める感覚とまったく同じです。
 頭上にある「重心」でお相手を攻めるのです。威嚇は必要ありません。

 なお、二刀の場合は、同時に小刀の剣先で中心をとって攻めます。小刀と大刀の両方で攻めるのです。

重心で中心を制す


 片手刀法は、竹刀の重心で中心をとり、重心で攻めます。
 朝鍛夕錬してそれが身に付いてくると、「重心で中心を制す」ことができるようになります。
 これは、構えた時も、打突の途中も、打突の瞬間も、打突した後も、「重心で中心を制す」ということです。

 一刀の高段者の先生方、特に八段範士の先生方の竹刀さばきを拝見したことのある方は、皆さんお気づきだと思います。竹刀の重心や左拳が大きく中心からはずれて、振り回すなんてことはありませんよね。

 片手刀法も「剣理」は同じです。


※当ブログの剣道に関する投稿の、タイトル一覧はこちらから
 

2019年6月10日月曜日

剣道昇段審査④ 二刀で四段を受審

二段からはすべて二刀で受審


いよいよ四段、県剣連の審査会へ


 2015(平成27)年8月。剣道四段の審査を受審しました。

 2010(平成22)年に剣道を再開し(当時は初段)、同時に二刀を執る。
 その半年後に、二段を二刀で受審し合格。(当時46歳。審査の様子はこちら
 さらにその2年後に、三段を二刀で受審して合格。(当時48歳。審査の様子はこちら
 そして3年がたって四段の受審資格を得た。
 (注:剣道の段位は、合格後、次の段位を受審する場合、定められた期間をあけなければならないと規定されています)

 三段に合格すると四段受審までには、3年の期間をあけなければなりません。
 時間がたってみればこの3年間は、あっという間でした。やることがいっぱいありましたから。30年のブランクを埋めるのは、なかなか大変で、まだ自分で納得のいく剣道ができてないとあせる毎日。
 仕事から帰宅して、食事と風呂の時間以外はずっと稽古。(その内容はこちら
 気づいたら、四段を受審できる時期になっていたという感じでした。

 三段以下の審査は、市区の剣道連盟の主催ですが、四、五段は、都道府県の剣道連盟の主催になります。

審査前になると現れる人


 「二刀で受けたら、段審査は合格できないよ」

 こう言う人、今回もたくさん現れました。笑
 二段を受審した時も三段を受審した時も言われましたけど、今回が一番言われましたね。
 というのは、周辺の地域の二刀者で、十数年間昇段できていないという方が、数名おられたからです。皆さん、それを知っていらっしゃる。
 「二刀は、試合には強いが段審査には合格できない」なんてことが、まことしやかに、ささやかれていたからです。
 しかも、四、五段は県剣連の審査。今までのようにはいかないよ、というわけです。

 こういう声を上げる人の中で、二段を受審する時から毎回「無理だ」と言い続けている人がお一人だけいるんです。
  この方はJALの元パイロットで剣道六段。私と同じ道場所属の方です。「県の審査会は二刀では絶対に無理」って断言していました。

 人生には、いろんな人が登場人物として現れるものです。

二刀での受審は私だけ


 審査当日。会場入りして受付をした。

 剣道の段審査は、一人2回、立合います。
 しかし、その組み合わせに普段対戦することのない二刀者が入った場合は、一刀者にとっては不利になります。なので二刀者と立合った者は公平を期すために、もう一人の一刀者と立合うので一人3回立合うことになるのです。

 そういうことで、二刀者は受付の時に申告が必要になります。その日、数百名の受審者の中で、二刀は私一人でした。

 三段の審査の時には少なかった40歳以上の壮年者も、四段受審となるとかなり多い。
 この日の受審者の最高齢は70代の男性でした。

一回目の立合い


 お相手は私と年齢が同じ。身体能力に差はないとみて、普段通りの立会いができれば大丈夫と信じてコートに入りました。立礼から大小を抜刀して蹲踞。「はじめ」の号令で立ち上がった。
 
 気合ともにお互いが間合いを詰める。気勢が充実し互いにもう引けない状態になった瞬間、「相面」になった。
 初太刀は私が制しました。

 動揺したお相手は、そのあとすぐに「面」に飛んできた。
 そこも冷静に判断して、小刀で受けると同時に大刀でお相手の「左胴」を斬った。
 さらにお相手が動作を起こそうとする刹那に、小刀で竹刀を払って大刀で「小手」。
 最後に「出ばな面」をもう一本決めたところで、終了の合図。
 完璧に近い立合いだったと思います。

二回目の立合い


 お二人目も、気負うことなく立合いましたが、それは最初だけ。その冷静さはすぐに失いました。
 
 今回も初太刀が「相面」になりましたが、「相打ち」になってしまった。お互いがお互いの「面」をほぼ同時にとらえたのです。
 これを審査員の先生方がどう判断されたかが気になってしまった。
 すると、お相手に攻め込まれる展開になりそうになり、あせって打突の機会をとらえることなく打ってしまいました。
 これは"無駄打ち"。段審査ではやってはいけないことです。
 「しまった」
 ますます動揺しましたが、直後にお相手が「突き」にきた。無意識に身体が反応し、小刀でお相手の竹刀を押さえた直後、お相手が竹刀を落としてしまった。
 「やめ」の号令がかかって開始線の位置へ。そして、再開しましたが、今度はお相手が動揺したようで、攻めも打突も雑になり、互いに"合気"になれず、いいとこなし。
 時間が来て、そのまま審査終了となった。

初太刀の重要性


 一人目と二人目、「初太刀」で明暗がわかれた立会いでした。

 初太刀が決まれば、立合いの流れが自分の方にくる。その機会を逃せば、自分の方に流れを引き戻すのは至難の業。
 改めて、初太刀の重要性を痛感しました。(初太刀についての記述はこちら

 観ていた人からは、二人目の初太刀も私がとっていたと言われましたが、どうも自分では納得がいきません。祈る気持ちで発表を迎えました。

合格者の発表


 50代以上の四段受審者は、数十名いたと思います。
 合格したのは数名。私もその中に入っておりました。

 発表後は、たくさんの方に声をかけていただきました。皆さん面識のない方ばかり。
 二刀で受審している者がいるという物珍しさで、注目してくださっていたんですね。
 ありがとうございました。
 
 これからも、稽古でも、試合でも、審査でも、「初太刀」にすべてをかける剣道を追究します。


追記

 後日、所属道場で、昇段の報告をしました。
 その時いらしたのが、例の元パイロットの方。
 「次の五段は、二刀では絶対無理だよ」って言ってきました。

 もう笑うしかありません。


2019年6月8日土曜日

平成27年浦安市春季市民剣道大会 部門別で優勝するも、またも総合の決勝で敗れる

総合の決勝の壁は厚い


この大会2度目の部門別優勝


 2015(平成27)年5月。浦安市春季市民剣道大会(個人戦)に出場しました。
 この大会は、平成24年に出場した時には壮年の部で優勝しています。(その模様はこちら
 この年は、リバ剣して5年が過ぎ、市内の近隣道場の皆さんにも顔と名前を憶えて頂けるようになった。
 試合当日、会場入りすると他の道場の方々から、次々と声をかけられた。

 「今日は試合にでないんですか?」

 私、ちゃんと試合の準備をして、竹刀と防具を持って歩いているのに、みんなそうやって聞いてくるのです。
 何かちょっとおかしいな、と思っているところに、先に会場に到着していた妻がやって来た。

 聞くと、プログラムの出場者名の中に私の名前が入ってないらしく、トーナメントにも組み込まれていないそう。
 私が試合参加の手続きをしていたことを知っていた役員の方が、今、大会本部に掛け合っているとのことでした。

 それで納得。だからみんな"期待を込めて"聞いてきたんですね。誰も試合で二刀者となんて当たりたくないですもんね。しかし、そうは問屋が卸しません。笑
 所属道場の参加者を取りまとめた方の勘違いで、私の名前だけが抜けてしまったようで、すぐに参加が認められました。地元の市民大会ですからね。まあ、そのへんはアバウトです。微笑

 会場内のホワイトボードに貼られたトーナメント表の一番端に、私の名前が付け加えられました。

試合開始


 一回戦のお相手は、同じ道場の高段者の方。
 通常はこういう組み合わせはあり得ません。一回戦だけは、同門対決にならないように組まれますから。 
 しかし、今回はかの事情でこんなことに。

 この先生にはいつも稽古をお願いしています。出ばな面が得意な先生で、私は小刀をあえて遣わず、大刀だけでガチンコの相面(あいめん)で稽古するようにしています。
 しかし、今日は試合。あえて合わせて面にいくようなことはせず、居付いたところを「面」で二本取りました。
 役員の手違いとはいえ、ちょっと申し訳ないことになってしまいました。

 二回戦以降は、近隣のライバル道場の方々と、次々に当たりました。
 初対戦となったのはお一方だけで、あとは今まで数回対戦している方々。皆さん非常に対二刀を研究されています。
 市民大会でではありますが、そうやって警戒される立場になるなんて、リバ剣した当時には考えられなかったこと。(リバ剣して初めての試合はこちら
 この2,3年で取り巻く環境が変わりました。簡単には勝たせてもらえない。"打倒二刀"にかけているのが、伝わってくるんですね。ほとんどの試合が長い延長戦になりました。

 以前でしたら試合が長時間になると、"奇策"を考えてお相手の意表をつくような技を仕掛けることが多かったと思います。それがうまくいくこともありますが、裏目に出ることが多々あった。
 しかし、今回は我慢に我慢を重ね、お相手の構えを崩すことだけを考えた。そうすれば必ず打突の機会が生まれると。二回戦以降は、まさにそういう状況を作って一本を取り、試合を決めることができた。

壮年の部は優勝


 今回もなんとか壮年の部の決勝戦までこぎ着けました。
 お相手は、この市民大会では最も多く対戦している方で、私よりも若く高段の方。
 非常に稽古熱心な方で、立合うたびに手ごわくなっていることを、ひしひしと感じる。

 決勝が始まるとすぐ、果敢に攻め込んでくるお相手。私の癖がかなり研究されているのがわかります。一瞬でも気を抜けないばかりか、前半は気迫に圧倒されて、なすすべなしといった状況。

 「なんとかしなければならない」という気負いがあって、鍔迫り合いから攻撃を仕掛けようとした刹那、「引き胴」を打たれてしまった。
 一本を取られてもおかしくない打突だと思いましたが、幸い旗を上げた審判は一人だけ。危ないところでした。

 そして間もなく試合時間が終了し、延長に入りました。ここからは、一本先取した方が勝ち。
 ここまではお相手に攻め込まれる展開が続いていて、そういう苦しい展開になると足さばきが「送り足」になってしまう傾向がある。もっと大胆に攻めて準決勝までのように、お相手の構えを崩さなければと考えた。
 恐怖心を捨てて思い切って「歩み足」で攻め込んだ瞬間、この試合で始めてお相手の構えが崩れた。その時、私の身体はすでに反応していて、打突は完了していました。
 「面」で仕留めました。審判の旗は同時に3本上がったそうです。

総合の決勝


 前回(平成24年)の総合の決勝は20代半ばの現役選手に「引き胴」をとられて負けました。
 今回の青年の部の優勝者は30代半ばで、強豪校(大学)OBの方。初めての対戦になります。

 「上手いな」

 試合が始まってすぐに思った。"ご自分の間合い"をつくるのが上手んです。
 間合いというのは、相手と自分の間の単なる距離ではないのです。
 「自分にとっては打てる間合いでも、お相手にとっては打てない間合い」
 間合いの攻防の中でそういう間合いをつくること、それが"自分の間合い"になります。

 このお相手は、私にその間合いをつくらせない。あっという間に、ご自分の間合いにしてしまうのです。
 打っていくことができれば、当たると思うんですよ。でも、打っていけない。打てる体勢になっていないんですね、攻め込まれてしまっている。自分の間合いではないわけです。

 お相手の方も、対二刀を攻めあぐんでいる様子で、有効打突につながらない。
 試合は、延長戦になりました。

 お相手は、延長に入ってもますます血気盛ん。私の方は、息が絶え絶え。
 体力を温存しようと足を止めた瞬間でした。
 大刀側の小手(右小手)の拳(こぶし)を打たれた。
 拳部分は打突部位ではありません。主審はそれを見極めていましたが、副審の二人が旗を上げてしまい、一本になってしまった。これで試合終了です。

 厳密にいえばこれは誤審です。しかし、試合内容はまったく勝ち目のある試合ではなかった。第一、自分の間合いが一切つくれなかった。
 最後は足が止まって、よけられる打突をよけきれなかったわけですから、一本を取られても仕方ありません。
 非常に学ぶところが多く、勉強になった試合でした。


 大会後の懇親会。
 大会顧問のOOT先生(元警視庁剣道主席師範 八段範士)から、直々にアドバイスをいただきました。

 「年齢とともに体力が衰えていくのは当たり前のこと。しかし、気迫はますます充実させることが出来るんですよ。年齢を重ねたら、気迫で戦うんです」

 胸に刻みます。


2019年6月6日木曜日

剣道  歩み足で稽古する

画一化された剣道を打破


剣道は元々多様性の高い武道


 剣道を始めた時、最初に基本として習うのが「中段の構え」。
 "最初に"と言っても、何年やっても中段以外習わないと思います、大抵の場合。

 この「中段の構え」は、竹刀の柄(つか)の部分を両手で持ちますが、こんなふうに教えられます。
 「右手が鍔(つば)に近い部分を握り、左手は柄頭(つかがしら)に近い部分を握る」(右手前の中段の構え)と。
 足はというと、「右足を前、左足をうしろにして、左足のかかとをわずかに上げる」と教わります。

 しかしこれは、基本として教えられているのであって、「こうでなければいけない」という"決まり"ではありません。
 具体的には、竹刀の柄であればどこを握っても構いませんから、左右の手を入れ替えて左手前で構えることも可能です。
 足も同じで左足を前にして構えても反則ではありません。

 「中段」以外にも「上段」でも「下段」でも構えられますし、「八相の構え」や「脇構え」もできます。

 また、竹刀を左右どちらかの片手で構えて、片手で打突することもOKですし、二刀の使用も認められています。

様々な足さばき


 足さばきも「送り足」でするのが普通だと思われがちですが、それ以外に「歩み足」、「継ぎ足」、「開き足」とあります。
 技や理合(りあい)によって、遣う足さばきが変わります。

 しかし、現代剣道の特徴として、「送り足」がベースになっていて必要な時だけそれ以外の足さばきを遣う、ということが言えると思います。
 一方、最近はあまり見る機会がなくなったと思いますが、「歩み足」をベースにした剣道をされている方もいます。
 

"例外"を認めない風潮


 前述した様々な構えや刀法、足さばきなどは、昭和50年代ぐらいまでは自由に遣われていたように思います。

 そのころ実際に、一刀で左足前で左手前の中段の構えを執る選手がいました。(警視庁の方だったと記憶しております)
 現代ではどうでしょうか。
 そういう構え方をしている人はまず見ないと思います。
 そういった"例外"を認めない風潮になってはいないでしょうか。

"標準"という既成概念を作ってしまう人


 今から5年ほど前に、私の出身中学に在籍していた生徒で、隻腕の女の子がいました。(この子は、生まれながらにして、左腕のヒジから先がありません)
 中学で剣道部に入部して初心者から始め、持ち前の負けん気の強さで、人の何倍もの努力をした。
 部活動の外部指導者で、警視庁出身の方が片手刀法を教えてめきめきと上達。中学2年になると、市内では優勝を争うほどの選手になっていた。
 すると、ある学校の剣道部顧問から、クレームが入った。「柄(つか)で右小手を防御するのはズルい」というのです。
 この女の子は、右片手で竹刀の柄(つか)の鍔(つば)に近いところを持ちます。
 「面」を防御する時は、竹刀を頭上で水平にします。その時、「面」と同時に「右小手」も柄で防御されているというのです。それがズルいと。

 剣道高段者の教員がこんなクレームを入れるんですよ。信じがたいと思う方もいるかもしれませんが事実です。

 そして、市内の中学校の剣道部顧問を集めてローカルルールを作ってしまった。高段者で、強豪校の顧問が音頭をとっているので、誰も異論を唱えられないんです。
 片手で竹刀を持つ場合は、柄頭(つかがしら)に近い方を握らなけらば反則とする、というありえないローカルルールを作ってしまったのです。
 繰り返しますが、全剣連の規則では竹刀の柄であればどこを持ってもいいんです。だから「柄」なのです。持ってはいけないところがあるのなら、それは「柄」ではありません。

 そのクレームを入れた方の考えでいくと、いろいろと不都合なことになるんじゃないでしょうか。
 両手で竹刀を持った人が、中段に構えたら、左右の「胴」が隠れます。諸手左上段の人が構えれば、「面」が隠れます。それをズルいというんでしょうか。 
 普通と違うということが受け入れられないんですね。おかしなルールを作ってまで排除してしまう。教員がよってたかって、何の落ち度もない隻腕の女子生徒を追い詰めるんですよ。
 この隻腕の女子生徒は、大人たちに理不尽なことを言われながら剣道をしたくない、と言って、剣道をやめてしまいました。

 私が二刀を執っていて、試合中に審判から暴言を吐かれたこともあります。
 「打つところがないじゃねえか」
 こう言ったのも、ある強豪校(高校)の剣道部顧問です。その時私と対戦していたのは、その高校のOBだったのです。
 確かに、二刀は一刀と比較すると防御にすぐれていると言えます。だからといって、試合中に審判がそんなことを選手に向かって言うんですからね。この人も、もちろん教員です。

 他人と違うということが許せない。最近は、教員たちだけではないように思います。
 両手で1本の竹刀をもって、右手前で中段に構え、右足前の送り足でする剣道。これが"標準"になってしまって、それ以外が許せないという。
 剣道を知らない剣道家が非常に多くなってきている気がしますね。指導者や高段者といっても、剣道を解っているわけじゃない。
 そう感じている人は、多いんじゃないでしょうか。

陰陽の足


 そういった現代剣道の状況の中にあっても、剣道の多様性を信じて、「歩み足」で剣道をやってみたいと思う方はいらっしゃると思います。

 私もその一人。子供のころに通った道場で、「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突する剣道をされている方を見ていましたので、今になってやってみたいと思うんです。
 30年のブランクから剣道を再開して、古流である二天一流と出会い、「歩み足」の剣道を学ぶ機会を得ました。まず、知っておかなければならないのが、「陰陽の足」についてです。

 先に踏み出す足(右足前で構えた場合は右足)が「陰の足」、あとから引付ける足が「陽の足」です。
「陰の足」から「陽の足」に動作が移る瞬間が、"物打ち"で打突する瞬間です。

 送り足で稽古する場合は、右足前であれば「陰の足」は右足に固定されています。左足は「陽の足」で替わることはありません。
 一方、歩み足で稽古する場合は、それが切り替わる。踏み出す足が替わりますから、そのつど「陰の足」が切り替わる。したがって「陽の足」も切り替わります。この切り替わりが連続した状態が歩み足だともいえるわけです。

歩み足の前提は「ナンバ歩き」


 左右の足を交互に出して進むだけなら、ただ歩けばいいだけなので難しいことではありません。
 しかし立合いですから、打突できなければなりません。右足前でも左足前でも。しかも瞬時にです。

 この「歩み足」での打突の前提になる動作が、「ナンバ歩き」の動作です。(ナンバ歩きとは、こちら

 「ナンバ歩き」というと、手と足を一緒に出す歩き方でしょ、という方が多いと思いますが、ちょっと違います。
 歩くときの腰の遣い方をある動作に変更すると、結果的に手と足が一緒に前に出ます。
 ですから、重要なのは手と足が一緒に出ることではなく、腰の遣い方なのです。
 その腰の遣い方は、打突する時の腰の遣い方と一致します。これは「送り足」でも「歩み足」でも同じです。特に「歩み足」の場合は「陰陽の足」を切り替えて、瞬時に打突できなければならないので、「ナンバ歩き」の稽古は必須です。

二刀流で歩み足を実戦


 最近の二刀者は「送り足」のままの方がほとんどのようですが、昭和50年代までの二刀流は皆「歩み足」でした。
 
 私の場合、リバ剣と同時に二刀を執って、歩み足の剣道に取り組み、実戦で「歩み足」の打突ができるようになったのが、3年目です。市民大会で優勝するようになった時期と一致します。

 「歩み足」で攻め、「歩み足」で打突できるようになって何が変わったか。
 強い「攻め」ができるようになり、打突の機会は倍以上になったことです。

 例えば、一刀中段同士で立合った場合、表からの攻めしか知らなかった方が、裏からの攻めを覚えれば、打突の機会は飛躍的に増えます。
 それと同じように、「送り足」で右足だけを「陰の足」としていた方が、「歩み足」で左右両方を次々に「陰の足」に切り替えて攻め込み、どちらの足が前であっても瞬時に打突できれば、その機会は倍増しますね。

 私は、一刀でも二刀でも「歩み足」で剣道をされることを心からおすすめします。
 日本剣道形がなぜ「歩み足」なのか。おのずと解ってくるのではないでしょうか。

 画一化された世界に閉じ込められた状態から、その殻を破って「理」と一体になる。
 殻を破る方法は人それぞれ違うと思います。
 私はこんな方法で、「理外の理」を知ることができた。
 剣道というのは、本当に奥深いものですね。さらに精進します。


追記

 「ASIMO」(アシモ)という二足歩行ロボットの歴史を切り拓いた存在を、皆さん憶えていらっしゃるでしょうか。
 当時の研究者たちが、開発段階での失敗の連続から最後にたどり着いたのが「ナンバ歩き」。
 その歩き方を実践する剣道家を招いて研究者たちが「ナンバ歩き」の講義を受け、ロボットの二足歩行の成功につながったことは、あまり知られていませんね。



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