2019年3月22日金曜日

白血病から生還、復職、剣道再開

白血病から生還


復職


 急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体異常と診断されてからちょうど1年。
 8カ月間の抗がん剤治療(入院)と1カ月間の放射線治療(通院)、そして3か月間の自宅療養を経て、2018年4月に元の職場に復職しました。

 会社には特別な配慮をしていただき、リハビリがてら負担のかからない仕事から始めさせてもらえました。
 白血病と診断された時は、まさか仕事に復帰できるとは思いませんでしたので、うれしかったですね。会社や上司、同僚の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 この病気にかかって、治る見込みがないと会社に判断され、退職を余儀なくされてしまう方も多いと聞きます。命が危ぶまれる病気にかかって、そのうえ仕事も失う…。胸が詰まります。

剣道再開


 復職と同時に剣道の稽古も再開しました。病に倒れる前までは、稽古のし過ぎだったと反省しきり。(以前の稽古メニューはこちら
 最初の1カ月間は、週1回1時間の稽古だけに抑えました。本当は、もっとやりたかったんですけど…。稽古をすると3日間ぐらい疲労が取れないんです。抗がん剤治療の後遺症ですね。

 しかし、1カ月後に開催が予定されている市民大会には、このときすでに出場する気満々になってました。試合大好きですから。
 そして、試合当日を迎えました。

復帰戦


 当日、試合会場について、トーナメント表を見て愕然としました。1回戦のお相手が、一昨年の大会の優勝者。その時、私はこの方に負けているのです。しかも今回は、病み上がり。勝ち目はありません。

 「とっとと1回戦で負けて、早く家に帰って体を休めよう」

 そう思いましたね。とにかくこのころは、体を休めたいということばかり考えていましたので。

 そんなあきらめムードの中、1回戦が始まった。蹲踞の姿勢から「はじめ」の号令がかり、立ち上がって上下太刀に構える。(注:上下太刀とは二刀の代表的な構えの一つ。上段の構えの一種)

 「あらっ?」

 ちょっと様子が違うんです。私は体力も筋力も極端に落ちました。稽古もしてません。しかし、お相手の動きがよく見える。まったく怖くないんです。気づけば体力がない私が、お相手を追い込んでいる。しかも、足の裏とつま先は、抗がん剤治療の後遺症で感覚がないままなのに。

 終わってみれば、この大会、優勝していました。

 何とも不思議なものですね。長く過酷な闘病生活から得たものが、私の剣道の成長にも作用したのでしょうか。

 表彰式のあと、周りの方々から「本当に白血病で入院してたの?」なんて言われてしまいました。笑 (この大会の試合内容は、こちらの投稿で記述しています)

 しかし、これでちょっと自信をつけてしまったんですね。
 この4カ月後に行われる、千葉県剣道選手権大会(全日本剣道選手権大会千葉県予選)に出場することを決意してしまったんです。(出場の模様はこちら


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2019年3月17日日曜日

剣道 古流に学ぶ

「古流」という裏付けのある「剣道」 

片手刀法。右片手上段からの正面打ち
片手刀法:右片手上段からの正面打ち

剣道家が「流派」に属していた時代


 1972(昭和47)年。小学2年だった私が剣道を始めたころ、元立に立っている先生方は、皆さん大正生まれでした。ですから、現在のように「現代剣道」だけをやっている方はおりませんでした。

 大正生まれということは戦前から剣道をやっていた方々です。それは、ほとんどの方が古流のいずれかの流派に属しているということです。剣道に古流という裏付けがあった時代。揺るがない理論と技がありました。

「講話」と「理」


 当時、私が所属した中山剣友会(現名称:市川市剣道連盟東部支部)は、戦後、GHQによるいわゆる〝剣道禁止令〟が解禁された後、約20の流派の剣道家が集まって始められた道場だと聞いています。
 ですから、指導する先生によって、教え方がまったく違いました。例えば、作法が違う。面打ちの教え方が違う。技の理合いの解釈が違う。
 小学生だった私は、先生によってなぜ教え方が違うのか、それが大変興味深く、稽古に通うのが楽しみになっていきました。
 
 もう一つの楽しみが「講話」です。稽古が終わって整列し、静座の前に小学生に向けて剣道の講話があった。3分程度だったと思います。
 各流派の先生方が日替わりで話をする。これが実に興味深い。各流派に連綿として伝わってきた「理」がある。それを、「剣道」で、あるいは「日常」の生活の中で体現する話。剣道をやっていく上ではもちろん、一人の人間として人生をやっていく上で有意義な話ばかり。学校では絶対に教えてもらえない貴重な話が満載でした。
 今では、そういう「講話」はどこの道場でも聴くことはありませんね。指導者に古流というバックボーンがないからです。残念なことです。

 そして中学生になったころ、剣道の稽古中に、あの“教え方の違い”について、ふと自分の中で“答え”が出た。
 各流派の教え方、言い回しは違うが、言わんとしていること、物毎(ものごと)の根底においてのは同じなんだ、ということが。
 小学生の時に、古流の裏付けのある先生方に剣道を教わったことは、私の財産になりました。

古流に習い、剣道で実践


 高校で剣道を離れて、45歳の時に再開を決意。同時に二刀を執ろうと決めた。

 それにあたって、古流二刀を教えてもらえる道場を探そう。見つからなければ剣道再開はあきらめよう。そう思いました。

 なぜそう思ったのか。
 それは、我流でやるなら意味がないと思ったからです。

 諸手一刀中段の剣道を、我流でやっている方は、おそらく日本で一人もいないと思います。必ず、最初は指導者から「基本」を習っているはずです。

 しかし、これが諸手左上段や二刀となると、片手刀法の基本も習おうともせず、自分勝手な思いつきでやる人が多い。

 言うまでもなく、鎌倉から江戸初期にかけての各流派を源流とする「剣術」が連綿と継承され明治期に統合されたものが「剣道」です。
 私たちは、この“源流”の部分を「稽古」しているわけです。「古(いにしえ)を稽(かんがえる)
 
 自分の思いつきでやっているもの、我流でやっているものは「稽古」とは言わず、「練習」と言います。我流でやる剣道ほど、見ていてむなしいものはありません。


白血病の治療~私の場合~⑰ 注意点

特に気をつけたいこと


病院選び


 白血病と診断されて、会社の上司に報告すると、こんな話が返ってきた。
 上司の甥っ子が高校生の時に白血病になり亡くなったと。その親御さん(上司の兄)は、病院選びを間違ったと、後で大変後悔されていたそうです。どうも最初の段階で適切な治療を受けることができなかったらしのです。

 私が入院中にも、やはり他の病院で適切な治療を受けることができずに、転院してきた方を何人か見ました。その方たちのその後の治療経過は、あまりよくなかったように思います。

 白血病を疑われたら、血液内科のある総合病院を受診しなければなりません。そして、必ず「無菌室」の設備のある病院であることを確認することが大事です。

 私の場合は、自宅から最も近い病院が某大学病院だったので、その点はラッキーでした。

病院は1カ所に、そして薬は「院内処方」で


 先ほど病院選びでは、血液内科のある総合病院を受診すべし、と言いました。これは、他に持病があって病院にかかっている場合、複数の病院や薬局の医療費は合算されず、個別に限度額認定が適用されるからです。

 例えば、もともと糖尿病でA病院にかかっていて、毎月検査と薬の代金が1万円かかっていたとします。白血病になりB病院に入院して限度額認定を受け、上限の88,000円(前年の収入によって変動します)を毎月支払っていたとする。
 入院での治療を終えて通院で治療を続ける場合、以前のようにA病院に糖尿病の治療で受診すると、合算されませんから1万円の支払いが発生します。白血病の薬を院外薬局で求めれば、それも合算されませんから支払いが発生します。特に白血病の薬は非常に高額ですから、ここでも限度額適用の上限の88,000円の支払いが発生します。(申請すれば一部は戻りますが、全額は戻りません)
 これを、糖尿病もB病院で治療し、白血病薬も院内処方にしてもらえば、88,000円で全て収まってしまう。それ以上の支払いが発生しないのです。

がん保険加入は必須


  • 受け取ったがん保険の診断給付金(一時金)は残しておく方がいい
     がん保険の診断給付金(一時金)の必要性は、「白血病の治療~私の場合~②」の中で書きました。入院1~2カ月目に必要です。その後、各種保険請求の手続きが済めば、使った一時金を戻しておくことができます。
     診断給付金は、がんと診断された最初の1回しかおりません。再発したり、新たに違う癌になっても一時金はもう出ません。ですから、万が一の再発のために備えておく必要があると思います。

  • がん保険のカスタマイズ
     がんになった時に一番頼りになる保険は「がん保険」であることは、言うまでもありませんが、大事なのはその内容です。
     現在は、付帯する保障内容は様々なものがあり、特約をつけられるものもあります。いたれり尽くせりというところでしょうか。しかし重要なのは基本の部分です。
     それは、「診断給付金(一時金)」と「入院給付金」です。中でも、「入院給付金」は最も手厚い保証を設定しておくべきです。
     「入院給付金」は通常の医療保険で保証されているから、わざわざがん保険に入る必要はないという方がいます。しかし、実際にがんになってしまったら、ちょっと心細いですね。通常の医療保険の「入院給付金」の支払い期間には“期限”があります。3カ月間とか6カ月間という。それに対して、がん保険の「入院給付金」は無期限です。しかも再発しても無期限で給付されるものがほとんどでしょう。
     「入院給付金」の給付額はカスタマイズ可能です。〈入院1日あたり5千円の給付が1口〉になっているものが多いと思います。それを何口にするかで、1日の給付額が決まります。例えば、2口で契約すれば1日1万円の給付になる。1カ月の入院で30万円が給付される。かかる医療費は限度額適用認定が受けられますので、月に上限いっぱい支払ったとしても10万円前後。残った20万円で、ケータイ料金や家の光熱費などを支払うことができます。最低でもこれくらいの保証はつけておきたいところです。
     一方、「診断給付金」(一時金)は保険会社によって、金額に差があります。私の場合、この「診断給付金」が非常に役立ちました。(「白血病の治療~私の場合~②」に詳しく記載)最低でも50~100万円ぐらい給付されるものを選びたいですね。


食事や運動に制限なし!寛解を一生維持することを目指す!


 注意したい点で、大まかなところは以上です。細かいところはまた別の機会に書きたいと思います。

 白血病は、寛解して白血球が正常値になって、免疫力が上がれば、食事や運動に制限はありません。
 白血病になる以前の生活にもどることができるのです。

 しかしこれは、“完治”したわけではない。“根治”できたわけでもないのです。医学の現状として、この診断を下すことは不可能なのだそうです。
 再発の確率があまりにも高く、そのメカニズムも解明されていない。

 人智でできることは、「寛解を一生維持することを目指す」こと。

 まずは、他の癌と同様、5年間の経過観察で寛解の維持を目指します。

忘れてはならないこと


 私は、52歳で急性リンパ性白血病と診断され(この年齢でこの病名ですと、5年後の生存率は10パーセント以下)、入院1カ月目で寛解し、奇跡的に現在まで約2年間寛解を維持しております。
 しかしながら、長期間治療を受けても寛解しない方がたくさんいらっしゃる。寛解しても、1,2カ月で再発する方も多い。何度も移植をし、あらゆる治療法を尽くしても寛解せず、旅立たれていく方も多い。また、寛解しても合併症で命を落とす方もいらっしゃいます。副作用のつらさのあまり、自ら治療を中止してしまう方も。
 そういった方々がたくさんいらっしゃることを、私たちは絶対に忘れてはなりません。

 私は、白血病と診断された直後から、家族の者に対して、このことをきつく言い渡しておりました。
 「私が、もし寛解したとしても、絶対に喜んだり、浮かれたりしてはいけない。寛解しない方がたくさんいる。再発する方がたくさんいる。その方々の気持ちを考えるように」と。
 
 今でもそのことを、よく守ってくれています、家族みんな。涙が出ます。


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2019年3月16日土曜日

白血病の治療~私の場合~⑯ 治療を振り返って

この一年で経験した大事なこと


医療の限界


「私はこの治療がいい治療だとは思いません」

 セカンドオピニオンで訪れた病院の医師が、1時間の説明の後、私の帰り際にかけてきた言葉です。骨髄(臍帯血)移植の実績では、日本で有数の病院の血液内科医です。今でも耳の奥から離れない。

 医者も“いい治療”だと思っていないのに、患者に移植をすすめなければならない。
 患者も“大きなリスク”を解ったうえで、移植を選択する人が大半。

 これが白血病治療の現状です。ぶっちゃけ、一か八かなんですよ。(セカンドオピニオンについては「白血病の治療~私の場合~⑦」をご覧ください)

 私は移植は選択しませんでした。今も答えは出ていません。それが正しかったのかどうか。答えが出るのは、私が死んだときなんでしょうね。
 寿命いっぱいまで生きれば、「正解」だったということ。骨髄の癌が再発して死ねば「間違っていた」ということですね。いずれにしても、私は生きているうちに、その答えを知ることはできない。なんて因果な病気なんでしょうか。

「感謝」の意味


 一方で、いい経験になったと思う部分もあります。今まで「感謝」の意味がわかっていなかった、ということに気づけたということです。当然、「感謝」の意味はわかっていたつもりでした。

 抗がん剤の投与が始まり、無菌室のベッドの上で自分の体が壊れていくのが分かる。奈落の底に落ちて行くような感じがする中で、今までの人生が走馬灯のように思い起こされる。そんな時、自分はなんてわがままだったんだろうと気づくんですね。なんでもっと、周りの人に感謝してこなっかたんだろうと。

 今の自分の環境を考えたら、自分は幸せ者だったんだと気づき、涙があふれました。
 元気になったら、人の役に立ちたい、そう思いました。その気持ちは今も変わりません。

がん治療にはお金がかかる


 白血病の治療費については、「白血病の治療~私の場合~②」で書きました。
 いろいろな保険制度やがん保険、入院保険などを活用すれば、治療費や生活費は心配ないと言いました。

 これらの社会保険制度や生命保険は、通院や入院で仕事を休業しているときに、最も大きな保障が受けられます。しかし、これらは期限や制限があります。


  • 傷病手当……所属する会社で社会保険に加入していれば、休職している間は、給与の6~7割程度に相当する額が受け取れます。しかし、同一の病気では最長1年6カ月が、支払いの限度です。当然ですが、1年6カ月以内であっても復職すれば受け取れなくなります。
  • 限度額適用……国民保健、社会保険、共通の制度で、前年の収入に応じて医療費の支払い限度額が設定されているというもの(差額ベッド料金など、自費による医療費の支払いは含みません)。白血病の場合、退院した後は服薬と月一回の通院になります。癌ですから、寛解が続いていたとしても5年間は服薬と通院、経過観察が必要です。しかし、この薬の元々の値段が高い。限度額適用の上限いっぱいの額を、5年間は払い続けなければならないのです。
  • 生命保険……白血病で該当してくる保険は、がん保険と入院・通院保険などの医療保険です。しかし、手厚い保証は入院している時だけ。退院した後は通院の保証がありますが、退院後120日間とか180日間とか、期限があるものがほとんどだと思います。
 
 このように、退院して一定の日数が過ぎたり、復職したりすると、傷病手当や保険金の受け取りはなくなります。しかし、服用薬が非常に高額なため、経過が順調だったとしても限度額適用の上限いっぱいの額を払い続けなければならない。これは、かなりの負担になります。

 退院後もかかる高額な薬代。これは、できるだけの対策をとっておく必要があります。


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2019年3月13日水曜日

白血病の治療~私の場合~⑮ 自宅療養

入院と同じくらい大事な期間


復職をあせって後悔


 約1年かけて化学療法(抗がん剤治療)と放射線治療を終えました。PET-CT検査の結果、「癌細胞はもうどこにもありません。いつ仕事に復帰してもいいですよ」と主治医から言われた。
 私も、退院したらなるべく早く職場に復帰しようと思っていました。しかし、実際は仕事に行けるような体の状態ではありませんでした。

退院後も続く抗がん剤による後遺症


  • 体力・筋力の低下……8カ月間の入院生活で筋力が落ち、特に膝から下に力が入らない。階段の昇降ができない。段差が怖い。
  • 思考能力・集中力の低下……脳の情報処理速度が遅くなる。視覚から入る大量の情報を処理しきれなくなり、苦痛に感じる。スマホやPC、テレビの画面を見るのがつらい。長文を読みたくなくなる。
  • 足のしびれ……足の裏と、つま先がしびれる。フローリングの床を素足で歩くと、砂がまいてあるかのように感じる。感覚があまりないので、スリッパを履いたのも脱いだのも、足元を見ないと分からない。退院から1年たった今も、唯一残る後遺症。
  • 皮膚が薄くなる……表皮が薄くなるので、肌が露出している部分(腕など)が家具などの硬いものにぶつかると、表皮がすぐにむける。点滴の管を押さえるテープなどを勢いよく剥がすと、皮膚まで剥がれる。日光を浴びると、表皮が薄いため、紫外線が真皮まで届いて軽いやけどのように赤くなってしまう。外出時はUVローション必携。
  • 体温の調節がうまくいかない……冬場、室内でも防寒着を着ていた。カイロは欠かせない。


リハビリ


  • ウォーキング……自宅周辺を歩くことを日課にした。初日は500メートルぐらいから始めて、徐々に距離を伸ばしていった。半年後には一日4キロメートル歩くようにした。現在も継続中。
  • タイピング……復職準備のため脳トレが必要と考えた。PCのブラインドタッチができなかったので、これを機会にタッチタイピングソフトで練習した。最初のうちは集中力が持続しないため、一日20分間だけ。毎日続けた。これは効果絶大で、3カ月後には最新のテキストでWord、Excel、PowerPointの演習をやるようになった。そして、1年後にこのブログ開設にもつながった。
  • 料理……買い物に行って→料理して→食べる これがすべてリハビリになった。一食食べるごとに体力がつくのがわかる。味覚障害は、抗がん剤治療終了から1カ月ぐらいでなくなっていた。食の有難さ、食べることの喜びを身に染みて感じた。


自宅療養中の食事と運動


 白血病は白血球数が基準値以上になれば、食事も運動も制限がありません。好きなものを食べられるし、好きなだけ運動もできます。
 しかし、実際にそうなるには体力が必要です。長期入院で衰えた体は抗がん剤の影響もあり、体力が戻るのにはかなり時間がかかります。ある程度のところまではすぐに戻りますが、その先がなかなか戻らない。
 退院して復職し、1年がたった今も、元の体力には戻っていません。

家族の理解と協力があっての自宅療養


 退院して自宅に戻り、療養とリハビリに専念できたのは、家族の理解と協力があったから。安心できる環境、これが何よりだたと思います。

 我が家は、家族3人とも剣道をやっています。息子とは息子が小学校から中学卒業まで、毎週一緒に稽古をしてきました。高校生になった後も、たまには一緒に剣道ができることを楽しみにしていた矢先に白血病に。息子にも寂しい思いをさせてしまった。

 妻は、剣道の強豪校に通う息子が朝練のため、毎日4時に起床して弁当を作り、息子を送り出してから仕事に行く。帰宅してからは息子の夕食のしたくをして、入院中の私のところに面会に来る。週2日は道場で小学生の剣道の指導。休日は息子の試合の帯同。月一で2日間、実家の義母の介護のために帰郷する。そんな殺人的なスケジュールを8カ月間もこなしてくれました。

 妻と息子の支えがあって、つらい治療も乗り越えることができ、復職にむけてリハビリに励むことができたと思っています。

仕事の復帰はあせるべからず


 復職したのは退院して4カ月後のこと。会社に迷惑をかけたくない、という一心から、早めに復帰しました。
 しかしこれが、数カ月後、後悔することになったのです。


2019年3月11日月曜日

池江璃花子さん頑張って!私も白血病患者です ②

池江璃花子さんが3週間ぶりのツイート!


抗癌剤治療のつらさを吐露


 2月12日、Twitterで白血病であることを公表された池江璃花子さん。世間に衝撃が走りました。
 3月6日、約3週間ぶりのツイートがありました。「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍、しんどいです」

 これ、化学療法(抗がん剤治療)をやった人の、率直な感想です。私もそうでした。

 そうなると、白血病の種類としては、「急性」ではないでしょうか。

池江璃花子さんの容体、病名、種類


 白血病はまず、2つに大別されます。「慢性」か「急性」。病気の進行の度合いによってどちらかになります。アスリートである池江さんが「数千倍、しんどい」と言ってますから、寛解導入療法による強い抗がん剤の投与が行われていると思われます。よって、「急性」であると推察されます。

 次に、それぞれに「骨髄性」か「リンパ性」があります。血液を造る造血幹細胞のどの部分が癌になるのかによって決まります。これは、正式な病名の発表を待たなければわかりませんが、どちらであっても病状はあまり変わりありません。
 
 中心静脈点滴で抗がん剤の投与が始まって最初の2カ月間は、一番つらい時期だと思います。私も剣道をやっておりましたので、体力には自信がありました。しかし、抗がん剤の投与が始まると、あっという間に体力が奪われます。全身の筋肉が破壊されてしまうんです。歩くことも、ベッドの上で起き上がることも、しゃべることすらつらくなる。奈落の底に落ちていくような気がしました。

 池江さんは、今まさに、そういう状態で治療を受け、闘病されているんですね。

今日3月11日、数回のツイート


 たくさんの方々からの励ましに対してお礼を言い、東日本大震災に思いをよせ、水泳の日本選手権の観戦を呼びかけておられました。
 今まで経験したことのないようなつらい状況の中で、こんなことが言えるなんて、人間的にもメンタル的にもすごいです。

 この先、まだ長い治療が続きますが、必ず乗り越えてください。応援しています!


前回の池江璃花子さんに関する投稿はこちら
ブログ内の「白血病」に関する投稿はこちら
 

白血病の治療~私の場合~⑭ 白血病は完治はしない

「寛解」を維持する


再発のリスクは一生


 前回の投稿で、化学療法(抗がん剤治療)と放射線療法の最終的な検査として、PET-CT検査を受け、「転移(浸潤)なし」という診断だったと書きました。

 実は、医師のこんな言葉が続いたのです。
 「寛解も維持しています。遺伝子レベルで調べても癌細胞はありません。しかし、白血病が治ったわけではありません」

 やっぱりそうなんだ、と思いましたね。1年前、入院してすぐに妻と二人で主治医から説明を受けた。
 「急性リンパ性白血病です。しかも、フィラデルフィア染色体異常の。完治することはありません。寛解(骨髄の癌が消滅)しても再発のリスクは一生続きます」

白血病の原因は解明されていない


 白血病で解っていることは、「感染しない」「遺伝しない」ということだけ。原因は解明されておらず、治療法も確立されているとは言えません。

 最近の研究では、人によって造血幹細胞のどの部分が癌になるかが異なるということが解ってきて、白血病を数百種類に分類できるようになったようですが、なぜそこが癌になるのかが、解明されていない。原因が解らないから、根治ができないんです。

 ですから、寛解しても2カ月で再発する人、1年で再発する人、5年で再発する人、10年で再発する人といろいろいるわけです。

 しかも医師からこうも言われました。「再発した場合は、寛解することは難しい」と。

 これが、白血病治療の現状です。

 水泳の池江璃花子さんが白血病を公表されてから、白血病の専門医でもないタレント医師たちが、リスクの説明も一切なしに「白血病は完治できるようになってきた」なんて言っていますね。一体どの口がそんなことを言うんでしょうかねぇ。

 例えば、私ですが、50歳代で急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体異常ですので、5年後の生存率は10パーセント以下です。何を根拠に「完治できる病気」と言っているのでしょうか。

「寛解」を一生維持することを目指す


 完治(根治)ができないのであれば、医師をはじめとする医療スタッフと患者が協力してできることといえば、「寛解が一生続くことを目指す」ことなのです。“ゴールのないマラソン”のスタートです。

 ですから退院した後も、服薬と月に一度の通院(血液検査をします)は続きます。

 そしてまずは復職を目指すことになりますね。仕事はしなければなりませんから。しかし、すぐには無理です。そのへんは甘く考えてました。退院すればすぐに仕事に復帰できるんではないかと。

 とことがそれはとんでもない話でした。仕事なんて全然無理。長期間の入院と抗がん剤の副作用で体はボロボロ。何しろ、まともに歩けないんです。足が前にでない。横断歩道を信号が“青”のうちに渡り切れないんです。
 筋力の衰えは想像以上です。特に脚力の低下が著しい。

 それでも新たな目標に向かって歩み始めることができたという感謝の気持ちでいっぱいでした。そして、人生でやり残したことをやっておこう、そう思うようになっていたのです。


前の「白血病」の投稿はこちら
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宮本武蔵『独行道』「我事に於て後悔せず」を考察する

後悔などしないという意味ではない 布袋観闘鶏図 宮本武蔵 後悔と反省  行なったことに対して後から悔んだり、言動を振り返って考えを改めようと思うこと。凡人の私には、毎日の習慣のように染み付いてしまっています。考えてみれば、この「習慣」は物心がついた頃から今までずっと繰り返してきた...

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